14:聖堂騎士とレフたちが双方望まずして戦闘になる
最近、帝都の警備隊が密かに教会関係者の身辺を洗っている。
そんな情報が教皇庁の間で出回り始めた。
帝国は教会に借りを作り始めている。
それで廷臣の誰かが自分の地位を危ぶみ始めたのだろう。
聖職者のスキャンダルでも探って弱みを得ておきたいと考えてもおかしくない。
教会の上層部はおおむねそのように考えていた。
そして逆に帝国の連中へさらに貸しを作ってやろうと工作を始めた。
司祭となったイミテイターの下にも、それくらいの噂は耳に入っていた。
そして、この状況から自分の正体が看破される可能性を考える。
冷静に考えれば、さすがにそう高くはないだろう。
(だが、無視していいほどの低確率ではない)
イミテイターはそう結論付けた。
素人が思っている以上に、治安維持組織は「優秀」である。
何かの弱みを握るため、火のない所に煙は立てるくらいはお手の物だ。
ましてや、今の自分は面白いくらいに轟々と燃える醜聞の炎である。
放置して正体を見抜かれる恐れは、下手に動いて怪しまれる可能性より高い。
(何かしら、官憲に餌でも用意してやるか)
そう考えた彼は、難民キャンプから自分についてきた聖堂騎士たちを呼びつけた。
警備隊に聖堂騎士たちの監視や尾行がついたのは、その次の日からのことである。
聖堂騎士たちは、教皇庁のお偉方から多数の「依頼」を受けて四苦八苦していた。
ある司祭が警備隊を見張っておかしな動きを報告しろと言う。
ある司祭がおかしなことをしないようなにかしら「警告」して来いと言う。
ある司教が警備隊を動かした廷臣の素性を洗えと言う。
またある司祭は、自分が疑われているようで怖いのでなんとかしてくれと言う。
聖堂騎士は、そもそも信者を守護するための団体である。
上から矢のように降ってくる無茶をまとめて成し遂げる余裕などない。
当然である。
そのために作られた組織ではないのだから。
とはいえ、お偉方の意向を完全に無視するのも体裁が悪い。
そんな妥協の結果が、この「警備隊員に対するバレバレな尾行と監視」であった。
わざわざ警備隊に「見ているぞ」と言わんばかりの監視を行う。
これで警備隊が活動を自粛すればそれでよし。
間抜けにも監視下で妙なことを起こせば儲けもの。
最悪でも「警告はした」という上に対する言い訳にはなる。
(お役所仕事もここに極まれりだな)
警備隊長を尾行することになった聖堂騎士が心の中でそう嘆いた。
警備隊長は、普段通りの簡単な武装で帝都の街路を回っていた。
隠す気があるのかわからない視線が、そこかしこからねっとりと絡みついてくる。
聖堂騎士たちの尾行と監視であろう。
(監視するにしても相手に対するマナーってもんがあるだろうに)
警備隊長は、そんなどこかずれた憤懣を抱いた。
そしてそんな監視などないかのように気付かぬふりを決め込む。
彼なりの監視者に対する気づかいであった。
日も傾いてきたころ、警備隊長は貴族の住まう高級住宅街の近くを歩いていた。
雪がちらほらと舞い始める。
夜警の当番は大変だなと、警備隊長は心の中で部下を気遣った。
そうして彼は大通りを曲がり、人通りの少ない路地裏に進む。
ただでさえ閑静な住宅街は、路地裏に入るとさらに静寂に包まれる。
遠くから子供二人と思しき足音が聞こえてくるほどだ。
そしてすぐに、その足音の主が現れた。
イヴァンと、彼より少し小柄な少年である。
イヴァンはフード付きの毛皮のコートに、首どころか鼻までマフラーで覆っている。
そしてコートの下からは、見習い魔術師が着るというローブと銀の腕輪が覗いていた。
(知り合いじゃなかったらとりあえず職質してるな)
警備隊長がそう思うくらい、イヴァンは「防寒」で体を隠していた。
そしてそんなイヴァンの横にいる少年は、逆の意味で異質だった。
服装自体はそうおかしなものではない。
青系統で揃えた冬服をこじゃれた感じで纏めている。
この辺に住むいいところの子供がよく来ていそうな服装だ。
まるで服屋のマネキンが着ているような、あまりにも「普通すぎる」格好である。
「チョイとそこの坊ちゃん方、その格好で街を練り歩く気ですかい?」
警備隊長が思わずそうツッコミを入れる。
「失礼じゃ、なきゃ、いいってことで?」
普通すぎる冬服を着た少年がそうたどたどしく返す。
そして、それを誤魔化すかのようにはにかみながら会釈した。
賢明な読者諸氏ならばもはやお分かりであろう。
このイヴァンの横にいる少年こそが今回の騒動の発端、レフ・クジョーであった。
足音も消え、降雪の音が聞こえてきそうな静寂が路地裏を包む。
「こんな、賑やかだし、ね?」
にもかかわらず、レフは周りを見回してそう言った。
「違いない、ではさっさと要件を済ませちまいましょう」
警備隊長も何のことを言っているのかすぐに察する。
そして上着の外ポケットからメモ帳のようなものを取り出した。
合わせるようにレフがどこからか小型のノートを手に出す。
そのまま二人はメモ帳とノートを交換した。
「これ、あなたが来る必要あったんですか?」
ふと思った素朴な疑問を口にしようとした刹那、彼の手が止まった。
今までねっとり絡みついていた監視の視線に強い敵意が混じったからだ。
「二人とも、チョイと俺の後ろに隠れててくださいよ?」
そう言って二人を壁に押しやると、腰に佩いた太刀の鯉口を切る。
たちまちのうちに武装したが6人どこからか現れ、3人を取り囲んだ。
「警備隊長が子供を使って何か調べさせているとはな。
その書類、我々聖堂騎士に渡してもらおうか」
その内の一人がそう宣言する。
そしてその6人も、腰の刀の鯉口を切った。
「おいおい、そりゃあ横暴ってもんだろ?
聖堂騎士様に何の権限があって帝都警備隊の活動を掣肘するんだ?」
そんな状況でも、警備隊長は余裕の表情を崩さなかった。
とはいえ、実際に斬りあったらやられるのは間違いなく自分だ。
警備隊長は一瞬でそう結論付けた。
彼方は6人、こちらは実質1人。
しかも守るべき子供を二人も背にしている。
さらに、聖堂騎士には魔術を使うものもいるという。
対して自分は、ただ腕っぷしがいいだけだ。
どの要素を取り出しても自分に有利な部分がない。
そもそも、下手に暴れると向こうが被害者を気取る可能性もある。
つまりハッタリでこの場を切り抜けるしかない。
そう決めたからこそ、あえて余裕ぶることにしたのだ。
「そちらこそ、何の権限があって教会の領域に手を入れようとする?」
対する聖堂騎士も強硬な態度を崩さない。
数の優位をしっかりと認識しているがゆえだ。
とはいえ、彼らとて実際に警備隊長と切り結ぶのは避けたかった。
大勢で取り囲んで警備隊長一人を襲撃する。
どう考えても、悪者はこちらである。
表沙汰になれば、教会と帝国が完全に敵対しかねない醜聞だ。
最悪の場合、帝国以外の世俗権力も教会を見捨てる可能性すらある。
たかがこんな仕事でそのような大事になるのは断じてご免であった。
即座に口封じをして隠蔽を図るという黒い考えが一瞬頭をよぎる。
そしてここがまだ日の当たる天下の往来であることを思い出す。
警備隊長か後ろの子供が叫び声をあげるだけで、野次馬が群れを成すだろう。
隠蔽工作など試みる前に失敗するのが目に見えている。
威圧することで「平和的に」怪しげな文章を手に入れるしかない。
そう考えたからこそ、彼らは場の支配者然とした態度を崩さなかった。
イヴァンは何とか自分にできることがないか考えていた。
向こうは自分をただの子供と侮っているかもしれない。
ならば、覚えたての魔術でも目くらましくらいにはなるかもしれない。
だが、初めて感じる剣呑な空気にイヴァンは気が動転していた。
呼吸が乱れ、自然とできるようになった基礎の型すら満足に思い出せない。
魔術は本来、精細な詠唱と動作によって世界に命令する技術だ。
いかな魔術師とて、冷静さを失えば本来通りの魔術を使うことはできない。
慌てて字を書くと読みにくくなるようなものである。
(……こんな時こそ基礎を思い出すんだ……呼吸を……基礎の呼吸を思い出せ……)
イヴァンは、延々と習い親しんだ型通りに呼吸を行った。
詠唱もなく、体を動かすこともなく、ただ淡々と。
万が一にも、自分が役に立つ時が来た時のために。
各員の奇妙な利害の一致により、場面が膠着状態となった。
それは一体どれくらい続いたろうか。
少なくとも、彼らが感じたほどに長くない事だけは確かである。
ふと、聖堂騎士の一人が何か違和感を感じた。
「……おい、お前、後ろの子供は一人どこに――」
その聖堂騎士が警備隊長に尋ねようとしたのとほぼ同じ時である。
不意に路地裏に風が吹き抜けた。
かと思うと、6人の聖堂騎士が一斉に意識を失う。
一瞬の出来事である。
イヴァンも、警備隊長も、何が起きたのか全く理解できなかった。
「――風を起こす魔術の応用が『窒息』って、攻撃魔術の殺意高すぎるだろ……」
どこかしらから、魔神語によるレフの独り言がかすかに聞こえてくる。
だが、その独白を聞きとれるものはこの場に誰もいない。
同時にレフは周りに敵対する人間が「こちらを見なくなった」のを確認する。
そして、イヴァンの隣にいつの間にかひょいと姿を現した。
読者諸氏に、覚えておられる方はおいでだろうか。
そう、認識阻害と消音の魔術である。
レフが最初の「実験」で、宮殿の監視から逃れるために使用した魔術だ。
レフは姿を現すと、いまだ呆然とする警備隊長の裾を掴む。
「隊長さん、とりあえず、これ、現行犯?」
そして、落とし物を見つけた幼児のようにたどたどしくそう言った。
――聖堂騎士、6人がかりで帝都警備隊隊長を襲撃し、返り討ちに!?――
その報が大聖堂に届けられたのは当日の晩のことであった。
失態を挽回すべく、教会勢力が夜を徹して帝国と交渉に臨んだのは言うまでもない。




