12:イザベラがレフに魔王の血族に伝わる秘術を伝授する
女の子の家に、しかもプライベートで招かれる。
前世から数えても初めて体験することだ。
それがこんな色気のない理由で達成されるとは思わなかった。
レフはイザベラの馬車に邸宅まで同乗させてもらいつつ、心の中でそうひとりごちた。
名目上は学友による魔術の勉強会だが、その実は帝都に紛れるバケモノ退治の準備である。
甘酸っぱい青春の空気というより鉄と血の臭いが漂ってきそうであった。
しかし、仮にも皇帝の孫が生まれてはじめて宮殿を出て他国の少女の家に押しかけるのだ。
本来なら、何かしら事前の調整だの外交交渉だのあってしかるべきだろう。
だというのに、さほど抵抗もなく従者を付けるだけで訪問が許可されてしまった。
どうやらもう上の方はレフとイザベラをくっつけることでほぼ話をまとめてしまったらしい。
それならそれでこっちにも話を通しておいてほしいものだ。
レフは「自分の結婚」に対してその程度の感情しか持ち合わせていなかった。
「イザベラの邸宅」は宮殿にほど近い高級住宅街のはずれにある。
この辺りは貴族や大富豪の住まう場所であり、邸宅も家の財産として代々受け継がれていくものである。
空き地ができたり邸宅が売りに出されたりすることはまずない。
実際、イザベラの邸宅と言いつつもその建物はリトアニア大公の所有物である。
そして大公の家臣や従者と思しき人物の歓迎を適当にあしらいつつ、レフはイザベラに連れられ彼女の学習室に向かう。
その部屋にはイザベラのためにしつらえられた子供用の机と、大人が使うような巨大な本棚が備え付けられていた。
本棚には、魔神語のタイトルが付けられた書籍が所狭しと並べられている。
レフがタイトルを斜め読みしたところ、どれも魔神語か魔術に関する書物のようであった。
イザベラの手が届きやすそうな場所には、レフが与えられたのと同じ本が並んでいる。
この辺りは初学者に読ませるべき鉄板の書物らしい。
となると探すべきはまだイザベラの手が届かない上の方にある本だろう。
レフはそう推測した。
「私にはまだ難しすぎてタイトルも読めないものが多いのですが……」
イザベラが、本棚を観察するレフを見て恥ずかしそうにそう告げる。
「それは仕方がないよ。じゃあそれっぽいのを調べて行っていい?」
レフはそう言って、本棚の上の方を指す。
思いっきり指を伸ばしているが、指に棚が引っかかってすらいない。
「殿下、ではお付きのものを呼んでとらせましょう」
「いや、時間が惜しいし自分でとるよ」
イザベラの提案をレフはそう断ると、少し前に組み上げた浮遊の魔術でふわりと床から浮かんだ。
そのまま一番上の棚からそれっぽいものを数冊抜き取ると、舞い降りるように再び床に着地した。
「……もう老師殿から浮遊魔術まで教えていただいたのですか?
確かそれは一人前の魔術師になってから使えるものと聞いておりましたが……」
イザベラが驚いたように尋ねる。
少なくとも6歳の子供が教わるような内容ではない。
ましてや、先ほどのような無詠唱無動作で使えるほど極められるものでは決してない。
「え? いや、ええっと……初歩の魔術を並べ替えて作った……」
イザベラの質問に、レフは悪戯がばれた子供のようにばつの悪そうな顔で答える。
(ああ、やっぱ自分が初歩の魔術から思いつく程度のことは前に誰かやってるんだな)
同時にこうも思い、あの晩のことを思い出してさらに気恥ずかしくなった。
「そ、そうですか……。
な、なら、きっとここにある魔術を覚えることもできますわ。
覚えられたらその浮遊魔術と一緒に私に教えてくださると幸いです……」
イザベラはそんな恥ずかしそうに答えるレフを見て、そう答えるのがやっとであった。
幼い男女が一つの部屋に二人きり。
一つの机に色々な本を並べてああだこうだといいあっている。
実にほほえましいシチュエーションである。
主な目的がイミテイターすら倒しうる攻撃魔術の研究でなければだが。
「あ、ほら、ここに浮遊魔術が書いてあるよ?
言った通り初歩の魔術と基礎の型の組み合わせでしょ?」
「ほんとうですわ。こう見ると本当に基礎の型って大事なのですね」
その合間に、レフは魔術書の見物料代わりとイザベラに魔術の解説を行う。
どうやら初歩の魔術から一歩進んだ魔術はほぼ全てそういった初歩の魔術と基礎の型を組み換えてできるようだ。
人間、考えることは今も昔も同じということだろう。
なお暗視やら消音やらの魔術もどうやら既にあるらしい。
治安上の問題か貴族が覚える代物でもないからか、詳しい手順までは記されていなかったが。
色々な魔術書を紐解いては概論をよみ、使えそうな要素を抜き書きしては戻す。
そのような作業を数時間続けたところで、レフは本棚から一冊の分厚い古書を手に取った。
背表紙には見たこともない言語がかかれている。
他が魔神語で書かれている中、この本だけが異質であった。
「あ、殿下、これが祖父からいただいた魔術書です。
古代より伝わる秘術も記しているそうですが……。
他の本と違い我が国の言葉、しかも古語で書かれておりますよ?」
レフが手に取った書を見て、イザベラがそう告げる。
暗に「だからレフには読めない」と告げているわけだ。
「そうか……それは残念……?」
と言って本棚に戻そうとしたところで不意に手を止める。
「いや、魔術に関する本なら詠唱の部分くらいは魔神語で書いてたりしない?
それなら詠唱だけでも追っていけば要素の抜き書きくらいはできそうだけど」
「確かにそうですが……詠唱だけわかっても魔術は使えませんよ?」
「その時はイザベラさん、悪いけど使えそうだと思ったらその部分だけでも後で精読してくれないかな?」
無理? と言いたげにレフが小首をかしげてそう願う。
「全く、殿下にはかないませんね」
イザベラは我儘な弟の頼みを聞くような顔でそう答えた。
すぐ後に、この安請け合いで四苦八苦することも知らずに。
レフがその古書を開くと、果たしてレフには内容の推測すらできない文字がびっしりと並んでいた。
だがそれ故に魔神語、つまり現代日本語を見つけるのはたやすい。
それまでの魔術書とは比べ物にならない速さで、レフは古書の詠唱だけを拾い読みしていった。
そうしてふと、気になる記述を見つける。
「イザベラさん、これ詠唱見ると『相手の生命力を吸収する魔術』みたいなんだけど……あってる?」
レフがそう言って開いたページをイザベラの方に向ける。
イザベラは書かれている文字を一つ一つ追いつつ内容を確かめた。
流石に古語の細かい内容まではわからないが、章のタイトルくらいならイザベラでも何とかなる。
果たして、レフが言った通りの魔術が解説されているようだ。
「確かにそのようですが、これをどうなさるんですか?」
「詠唱の音階と術中の動作を教えて?」
さらっとレフがとんでもないことを要求してきた。
要するに「音階と動きを解読しろ」と言っているのだ。
イザベラでは内容を追うのがやっとの古語で書かれた、魔術書の記述を。
これがひどい無茶振りであると自覚しているのだろうか。
「どうしてわざわざこの魔術なのですか?」
「実際の戦いでピンチになった時に自分を回復させてる暇はないよ?
そうなったときに生き延びるためにはこれを覚えておきたいんだ」
確かに、回復しなければ死ぬような状況で回復に専念しても状況は好転しない。
攻撃と回復が同時にできるなら、それに越したことはないだろう。
――そんな魔法をやすやすと覚えられるなら、だが。
「せめて他の魔術書を調べてからにいたしません?」
イザベラがそう妥協案を提案するも
「わかった、じゃあイザベラさんが解読してる間に僕が他の本を調べておくよ」
とにべもなく答えてきた。
やっぱり自覚したうえで要求していたのかと、イザベラは嘆息した。
「……仕方ありませんね。そのかわり殿下が覚えた魔術はしっかり教えてもらいますよ?」
ひどい男と婚約させられることになったものだ。
この歳でこの調子なら、一体将来どのような無茶をしでかすことやら。
イザベラはまだ8歳の身で己の波乱万丈な人生を思い描き――薄く笑った。
その後、イザベラは魔術書の解読に取り掛かり、何とか形になる程度にまで読み解くことに成功した。
かくして、レフは魔王が伝える生命奪取の魔術を修得したのである。




