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一礼の後、不承不承、レットが広げた両手を前に揃えて構える。
対するセンガ老人は、「始め」の合図の後も、突っ立ったまま何も構えようとしない。
まるで、山奥で熊にばったり遭遇したものの、何が起こったのか理解していないボケ老人の様である。
それでも熊が忍耐強く、相手が構えるのを待っていると、
「ワシはもう構えとる。そっちが来ないなら、こっちから行くぞ」
センガはそう言って、すたすたと熊の方へ普通に歩いて行く。
困った熊は、申し訳程度に右の拳を繰り出して、センガの歩みを止めようと試みる。
センガが、その拳に両手を上から載せて押し下げると同時に、軽く相手の腹を蹴とばすと、熊は後に豪快に引っくり返った。
驚いた顔をする熊。
「珍しいな。熊がびっくりしてるぞ、おい」
そのリアクションに、見ていた門下生一同が、どっと笑う。
すぐに熊は立ち上がって構え直す。しかしまだ、なぜ自分がやられたのか分からない、と言った表情である。
「はっはっは。タイミングじゃよ。それを上手く合わせる事が肝心じゃ。タイミングと言えば、ギィ」
センガは横を向いて、ギィに呼び掛け、
「さっきの試合、肘のタイミングが悪かったのう。あれさえ決まっていれば、お前の勝ちじゃった。しかし、相手は熊。生半可な技では倒せんよ」
ダメ出しを始めた。
「センガさん、試合中にそういう事をするのは控えていただ」
センガは抗議しかけた熊の懐に飛び込み、ギィがやった様に右肘で相手のみぞおちを突いた。
その場にくの字に倒れ、腹を押さえて苦しがる熊。
門下生達が、またどっと笑う。
「こうやるんじゃ。タイミングが少しずれただけで、この様に技の効果は大きく変わる」
やや困惑気味のギィに対する、センガの講義が続く。
熊がようやく立ち上がろうとするその時、センガは熊のあごに手を掛けて軽く押した。
熊は後に勢い良く引っくり返る。
「相手が立ち上がろうとする瞬間は、色々狙い目じゃ」
そう言って、その後も何度か熊が立ち上がろうとする度に、センガは相手のあごに手を掛けて、その巨体を引っくり返し続けた。
そのコミカルでシュールな動きに、稽古場は大爆笑の渦。
ようやく、この無限ループから解放された熊に対し、ある門下生が笑いながら、
「おーい、レット。相手が老人だからって、手加減し過ぎじゃねえか。もっと真剣にやれ」
それに対して、熊は息を切らしながら、
「そうか、お前達には、私が手加減してる様に、見えるのか」
「え?」
「逆だ。手加減しているのは、あの老人の方だ!」
熊が吠えると、稽古場が一瞬で静かになった。
「はっはっは。一度で仕留めてしまっては稽古にならんからのう」
センガ老人の陽気な笑い声だけが、その静寂の中で響いていた。




