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ついに、サダの恐れていた日がやって来た。山奥の道場に姉のナルが乗り込んで来たのである。
稽古場のほぼ全床面にジョイントマットが敷かれ、その真ん中に白い道着姿のナルがわくわくした面持ちで立っている。
稽古場の壁際に並んで見守る門下生達は、「サダの体術の師匠」、と言う事前情報を聞かされている為、誰一人としてこの小柄な女性を軽視してはいない。
時として体術は体格差を覆す、と既にサダに思い知らされている上、彼らの目の前にいるのは、そのサダが異様なまでに恐れている当の人物である。
どう恐るべき存在なのかを、早く知りたい気持ちで一杯であった。
どう恐るべき存在なのかを、幼少の頃からイヤと言う程知り尽くしているサダは、姉に近寄って最後の警告を自国語で行っている。
『姉さん、念を押しておきますが、あくまでも標準的な体術ルールに則って下さい。打撃の類は無し。投げや抑え込みが極まったらそこで終わりです。そこからトドメを刺しに行かないで下さい』
『はいはい、分かってる』
『僕が「それまで」と言ったら、速やかに技を解いて下さい。うっかりを装って、折ったり砕いたりしないで下さい』
『はいはい、分かってる』
『門下生の皆は体術に関してあまり経験がありません。姉さんの考案した危険な技の実験台にするのは控えて下さい』
『はいはい、分かってる』
『ところで、姉さん。さっきから僕の話を真剣に聞いてない様に思えるのは気のせいでしょうか?』
『はいはい、分かってる』
『姉さんももう若くはないんですから、無茶は控えて下さ』
その言葉が終わらぬ内に、素早くしゃがんで立て膝を突くナルの体を中心に、右腕を取られたサダの体が宙を一回転し、そのままマットに仰向けに叩きつけられていた。
おおっ、と見ていた門下生達の間からどよめきが起こる。
『ちゃんと聞いてるわよ?』
見下ろす姉の表情に少し殺気がこもっているのを確認し、サダは倒れたまま、
『姉さんはいつまでも若くて元気です』
と、取って付けた様に言った。




