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布団が吹っ飛んだ~掛敷 タツオの場合~

 掛敷 タツオの場合

 布団が吹っ飛んだ。

 この業界に足を踏み入れてから、約半年。一体何度この言葉を耳にした事だろうか?私は白い軽トラックを停め、棚引く雲を眺めながら、少し前の事を考えていた。

「風が吹けば桶屋が儲かるなんてまどろっこしいったらありゃあしねぇ。布団が吹っ飛べばうちは儲かるのよ!」

 と三代続いて葛飾に生まれた、生粋の江戸っ子である私の上司の言葉を思い出していた。

「布団が吹っ飛んでも、竿が折れなければ儲からないのでは無いでしょうか?」

「こまけーことは気にすんな新入り!」

 私の肩を思い切り叩きながら、呵々大笑した上司の笑顔が印象的だった。なるほど、江戸っ子とはこういうものかと、その時私はえらく納得した。

 かく言う私も、分類上は江戸っ子に属するのだが、生まれは埼玉に程近い練馬のとある町。お世辞にも下町気質があるとは言えず、曾祖父から私の代までつつが無く暮らしてきた。

 義務教育、高校生活、大学生活を平々凡々と送り、一般企業に就職し、それなりに実績を上げ、それなりの役職にいついた。が、しかし、突如として勤めていた会社が倒産し、退職金を貰えずに無職となったのが、約1年前。それなりに働かないで暮らす事が出来る、それなりの貯蓄はあったが、所詮はそれなりなので、当然再就職の道に足を向けるのであったが、どうしたものか、間も無く45歳を迎える私を受け入れる企業は皆無であった。不幸にも私が勤めていた会社で得たのスキルというものは、焼け石に水程度のものであった。井の中の蛙大海を知らず。  途方に暮れながらも、肉体関係の仕事であれば、どうにか受け入れてくれる会社を幾つか見付ける事が出来たが、お世辞にも体力があるとはいえない私には、その気概が無かった。いやはや、わがままを言ったものである。

 結局仕事が見つからず、貯蓄を崩し生活していたのだが、僅か半年で尽きた。私が築いたそれなりとは、所詮そんなものだったのかと、事実を突きつけられた私は随分と

落ち込んだものだった。

 そして、相談する友人と家族がいないという事実も、私の心に重く押し掛かってきた。

 父と母は、私が幼少の頃に亡くなっていて、父方の祖父母が私が生まれる前に亡くなっていた。私は母方の祖父母に育てられたのだが、大学を卒業する直前に、祖父母共に病に倒れ、そのまま還らぬ人となった。

 野暮な話だが、保険金はそれなりの金額が下りたのだが、祖父母にはそれなりの額の借金があったのだ。知らぬが仏とはまさにこの事であった。

 考えてみれば、葬儀の時に親及び友人が誰一人来なかったのも納得がいく。

 結局、それなりの保険金はそれなりの借金に当てられて、色々と綺麗に無くなった。 

 元々友人が少ない私は、大学を卒業就職したと同時に、生まれ故郷を何の躊躇いもなく離れ、会社が近い神保町へと移り住んだのだった。当然、少ない友人とも疎遠になり、連絡を全く取らなくなった。

 随分と孤独だったのだなと、無職の半年間に、私は痛感したが、不思議とすんなりと受け入れられたが、確実に路頭へと迷い込んでいた。

 蓄えが少なくなった私は、あまり飲めない酒に逃げるという方法を取ったのだが、逃げた1日目にあっさりと捕まってしまった。

 生まれて初めて入る立ち飲み屋で、生まれて初めてホッピーを注文した私は、その味の素朴さに驚いていた。モツ煮込みをつまみに飲んでいたのだが、空腹に流れ込んだホッピーの酔いの威力は私にとっては凄まじく、気が付けば随分と気持ちの良い状態であった。

 気がでかくなったのだろうか。私は隣に立っていた、恰幅のいい肌が少し浅黒い、恐らく同年代の男性に声を掛けた。居酒屋で知らない人に声を掛けるという行為、当然その時が初めてであったが、

「山、お好きなんですか?」

 その男性が、私の唯一の趣味登山が好きであると、確固自信があった。

「おっ。なんで分かった?」

 浅黒い肌に、少し赤みがかり、昔見た映画に出てくる酷く酔っぱらったアメリカ人を彷彿とさせる、屈託の無い笑顔を浮かべ、その人は返してきた。

 それから半年後、私は軽トラックに乗り、物干し竿を売る毎日を過ごしているのである。わざわざその経緯まで思い出す事は無い。実に瑣末な幸福である。

 私はいつもの様に、軽トラックに物干し竿を三十本載せて、小さい事務所から町へと繰り出した。社長曰く、売れれば何処へ行っても構わない、というがガソリン代を考えると。無駄には遠出は出来ないが、販路を把握出来ないので、博打要素が強い営業であった。

 しかし、その日はどうにも様子がおかしかった。八時過ぎに車を出し、9時前に武蔵野市のとある住宅街に到着した私は、スピーカーの電源を入れ、カセットデッキの再生ボタンを押して、ゆっくりとした速度で車を走らせていた。

「たけや~さおだけ~」

 この半年で随分と馴染み深くなった、この歌を何百回聞いて声が掛かれば良い方であった。

 その為、1日の売り上げは雀が涙を流す事が常であったが、

「ちょっといいかしら」

 冒頭の歌の部分を流しただけで、一人の主婦から声を掛けられのを皮切りに、物干し竿は驚く程の早さで捌けていった。

 少し早い昼の休憩を取る時には、何と物干し竿は残り一本となっていた。

「珍しい事があるもんだ」

 食後の煙草を車内で呑みながら、一人呟いた。

 サイドミラーに、少し満足気な自分の表情が写り、私は気恥ずかしさを感じ、時計に目を反らした。

 時刻は正午を少し過ぎた辺り。私は再びゆっくりとした速度で車を走らせた。

 雲一つ無く、空は水色掛かった色をしている。運転席から入ってきた風は、助手席から抜けて、私の頬を撫でる。とても気持ちが良い。山に登っている時意外で、こうして空や風に慈しみを感じるのは、随分久し振りかもしれない。

 スピーカーから流れるいつものメロディとは別に、私は鼻歌を奏でていた。幼少の頃、祖母が台所で歌っていた。何の曲かは、全く思いだせない。しかし、思い出す必要は無い。今、私は非常に気持ちが良い。

「「すいません!」」

 私が半ば悦に浸っていると、突然声が聞こえた。左耳、右耳から同時に、そうステレオで聞こえてきた。

 私はブレーキ掛けて車を止めて、右、左と顔を窓の外を見た。お客様からの呼び声が聞こえる様に、当然運転席の窓も、助手席の窓も開けてある。これから季節は辛いかもしれない。

 と、一瞬だけ私は冬の寒さに思いを馳せ、呼び止めたお客様の顔を確認した。

 運転席側の窓から声を掛けてきたのは、15歳位だろうか?一瞬少女と紛う程の端整な顔立ちをしていたが、「すいません」、ともう一度呼び掛けてきた声で、少年だと認識する事が出来た。

 続いて、助手席側の窓から声を掛けてきたのは、こちらも15才位だろうか?運転席側から声を掛けてきた少年と同様、端整な顔立ちをしいてた。「すいません」、と呼ぶ声からして、紛う事無き少女であった。

少年には少し大人しめの印象おを受けたが、少女の方からは非常に快活とした印象を受けた。

「「物干し竿下さい!」」

「…ちょっと」

「…何だよ」

「あんたこそ何よ」

「何って…別にお前に関係ないだろ」

「はぁ?!」

「……」

 さてどうしたのものか。少年と少女は突然窓越しに言い争いを始めたのだ。「なんで今日電話に出なかったのよ!」「電池が切れてたんだよ!」、と車内を隔てて飛び交う話しの内容から、少年と少女は知り合い、いやそれ以上の関係だと、推察できた。

「いやぁ…二人共仲が良いねぇ。付き合ってるのかい?」

「「付き合ってません!!」」

 見事に息が合った答えが返ってきたと思ったら、二人はまた言い争いを始めた。お客様の機嫌を損ねてしまったようだ。未熟なり。

「昨日だって一緒に回ろうって約束したのに、すっぽかした上に転校生と仲良くクレープ食べてるし……信じられない!バカ!」

「だから!何回も謝ってるだろ!……それにお前だって、アイツと随分と楽しそうにしてたじゃないか!」

「ゴホンッ……あーお二人さん。物干し竿が欲しいんだよね?」

 痴話喧嘩から私情の縺れ。男女というのは、何時の時代も変わらないもの。などど感慨に浸っている場合ではなく、話しが拗れ物干し竿とは別の話題に飛躍しそうだったので、私は二人を嗜めるつもりで声を掛けた。と同時に、車のクラクションが後ろから聞こえた。住宅街とはいえ、車が往来する真ん中で何時までも車を停めているわけにはいかないので、私は少年と少女に声を掛けてから、車を道の端に停めた。後ろから来ていた車は、走り去っていた。

「お嬢ちゃん達物干し竿が欲しいんだよね?」

 私は車から降りて、荷台の後方で睨み合っている少年と少女に改めて声を掛けると、二人は無言で頷いた。

「何時も余る程に載せているんだけど、見ての通り今日はどういう訳か1本しか残ってなくてねぇ…」

「私が買います」

「僕が買います」

「………」

 さて、困ったものだ。少年と少女は互いに譲る気は全く無いようだ。しかし、このご時世に、若人達が物干し竿を欲しがるであろうか?統計的に、今まで声を掛けてきたお客様のほとんどが主婦の方達で、それ以外は老人であった。

「お嬢ちゃん達。何故物干し竿が欲しいんだい?」

 自分でも馬鹿な質問だと思った。欲しいと言ってくれるお客様に、何故欲しいのかと聞く物干し竿売りがどこにいる?代金を貰って商品を渡せばいいだけの話であったが、需要に対して供給が間に合っていない今、少年と少女が物干し竿を欲する理由を聞き、私なりに判断して、どちらかに提供しようと思った。いやはや、誠に僭越ではあるが。

「「………」」

 予想外の反応であった。二人は顔を赤くして、俯いてしまった。

 何か特別な理由でもあるのだろうか?物干し竿が何かしらの原因で折れる以外の理由が、私には全く想像出来なかった。

「……飛ん……」

「布団…………だ」

 少年と少女が同時に、何かを呟いたので、

「ん?」

 私が聞き返すと、一生忘れないであろう、返答が返ってきたのだ。

「「布団が吹っ飛んだ!」」

 二人は顔を真っ赤にして叫んだのだ。

「ぶっ…」

「「おじさん!」」

 青天の霹靂。

 私が噴出すと、少年と少女は諌める様に声を上げた。

 しかし、笑いを止める事が出来なかった。布団が吹っ飛んだという、荒唐無稽かつ素朴な理由と、少年少女が声を揃えておじさんと呼ぶ様に、私は青空の下、生まれて初めて豪傑笑いを響かせた。

 苦しくて息が出来なくなる程に、私はしばらく笑ったが、今が商売中である事を思い出し、どうにか息を整えて顔を上げた。

 少年と少女は相も変わらず顔を真っ赤にしていた。怨ずられては敵わないので、私はある提案をした。恐らくこれが、最善の策である。

「お嬢ちゃん達。おじさん今から会社戻って、もう1本竿持ってくるから」

「え?でも…」

「いいからいいから。でも、今積んでる物干し竿は、先ずはお嬢ちゃんに売る。いいね?」

 私は少年の言葉を遮って、積んでる物干し竿を荷台から外して、二人の目の前に差し出した。

「レディーファーストってやつだ」

 私はこんな物言いをする人間だったかしらん?と自分自身に驚きを感じつつ、物干し竿を少年に手渡して、

「ほら、手伝ってやんな」

 肩を軽く叩いた。

「は、はい…」

「おじさん!ありがとう!」

「いや、大丈夫だよ」

 少女の朗々とした声が、非常に心地良かった。

「それじゃ、また後で来るよ」

 私はそれだけ言い残して、車に乗ろうとしたが、一つ聞き忘れていた事があった。

「お嬢ちゃん達の家はどこだい?」

「「ここ」」

 少女は目の前に家を、少年は真向かいの家を指さした。

「わかった。ありがとう」

 私の胸を、何か満ち足りた暖かな気持ちが広がった。

 荷台に何も載っていない軽トラックに乗り込んだ私は、一度バックミラーを確認した。少年と少女は手を振っていた。それに応える様に右手を軽く上げ、車を出した。

「布団が吹っ飛んだ……か」

 私は青空を眺め、一度だけ呟いた。


 布団が吹っ飛んだアフター


 少年と少女の家を離れてから1時間後、私は事務所に戻り事の経緯を社長に話した。

「何でい。狐にでも化かされたか?」

 そう言って豪傑に笑う社長を見て、私も笑ってしまった。

 一頻り笑った後、私は車に乗り込んだ。

 青空の下、、荷台に一本だけ物干し竿を載せ、無音で走る白い軽トラックは、微笑を浮べる私を載せて、少年と少女の元へと向かった。

「布団が吹っ飛んだ」

 駄洒落も、悪くはない。


 終わり

 以上で完結になります。ここまで読んで頂いて、有り難う御座います。

 ご意見、ご感想お待ちしています。

 

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