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蚜を削ぐ

作者: 星リオマロ
掲載日:2026/10/23

 父の背中を削ぐ音は、熟した柿の皮を包丁の背で撫でる音に似ていた。


 シュリ、シュリ、と湿った暗がりで骨篦(ほねべら)が跳ねるたび、老いた皮膚の皺の谷間から、琥珀色の半透明な脂の塊が巻き上がってくる。それは人脂(じんし)――わが家に代々伝わる、呪われた血の産物だった。


 六十を過ぎた当主の肌は、ある時期を境に突然変質をはじめる。角質は重なり合って亀の甲羅のように硬化し、その隙間から、クチナシの腐敗臭と濃密な蜂蜜を混ぜ合わせたような、目も眩むような甘い香気を放つ粘稠な脂が滲み出し始めるのだ。江戸の昔から、この「人脂(じんし)琥珀」は極上の香木や媚薬の原料として、陰の市場で金と同じ目方で取引されてきた。


 父はもう三年も、母屋の奥の濡れ鋸屑(おがくず)を敷き詰めた特注の木箱の中に横たわっている。かつて精悍だった体は肥大し、自らの脂の重みに押し潰されて動くこともできない。だが、父の口から漏れるのは苦痛の呻きではない。私が銀の匙と骨篦を使い、背中や太腿から脂の層を削ぎ落とすたび、咽び泣くような、おどろおどろしい歓喜の吐息が漏れるのだった。


「もっと……もっと深く削げ、清一……。奥だ……一番甘いところを……」


 濁った眼球を天井に向け、歯の抜け落ちた口を歪めて父がねだる。その声は人間のものというより、体内に巣食う脂そのものが意思を持って囁いているかのようだった。


 幼い頃、私はこの部屋の匂いがたまらなく恐ろしかった。父が私の母を死ぬまで殴りつけ、その血と涙を吸わせるようにして脂の質を高めようとしていた記憶が、暗闇の中にこびりついている。父にとって家族とは、ただ上質な脂を育むための肥やしであり、触媒に過ぎなかった。母が死んだ日も、父は母の冷たくなった脚にへばりつき、必死で骨篦を動かしていたのだ。


 私は父を憎んでいた。このおぞましい血縁の連鎖を、私の代で断ち切るつもりだった。脂を買い取りに来る顔のない商人たちを追い返し、父を餓死させようと試みたことすらある。しかし、父は水と少しの胡麻油さえ与えておけば、自らの肉体を喰らい尽くすようにして脂を生み出し続けた。


 秋の終わり、父はついに息を引き取った。最後の瞬間まで、彼は自らの体を削がれる快楽に身をよじらせていた。


 私は父の遺体を庭の隅で薪とともに燃やした。人脂を含んだ肉体は激しい青紫色の炎を上げ、夜空全体に狂おしいほどの甘香を撒き散らした。その煙を浴びながら、私はようやく解放されたのだと、涙を流して笑った。


……だが、業(ごう)というものは、火などで燃やし尽くせるほど生易しいものではなかった。


 父を焼いて三ヶ月が過ぎた冬の夜、私は肋骨のあたりに猛烈な痒みを覚えた。爪を立てて掻きむしると、皮膚がペリりと音を立てて剥がれた。血は出なかった。代わりに爪の間に挟まったのは、透き通った琥珀色の、あの懐かしくも胸を悪くする甘い匂いを放つ油脂の塊だった。


 私は鏡の前に立った。シャツを捲り上げると、私の腹部から胸にかけて、美しい鱗のような琥珀色の層が重なり合い、部屋のともしびの光を反射して怪しく輝いていた。


 恐怖で叫び出そうとした、その瞬間――私の体の奥底から、これまで味わったこともないような、痺れるような快感が突き上げてきた。


 私は震える手で、父の遺品である骨篦をとった。それを自らの胸の皮膚に当て、力を込めて滑らせる。


 シュリ。


 皮膚が削れる肉感とともに、脳髄が溶け出すような悦楽が全身を駆け巡った。あまりの心地よさに、私はひざまずき、恍惚として声を漏らした。


「ああ……」


 鏡の中に映っていたのは、狂気と歓喜に顔を歪ませた、かつての父とまったく同じ顔をした男だった。


 私は父を憎んでいたのではない。父の持つあの狂おしい快楽を、脂の甘みを、心の底から羨んでいたのだ。血は争えないのではない。私は最初から、このおぞましい脂の虜となるべくして生まれてきたのだ。


 私は暗闇の中で笑いながら、無心で骨篦を動かし続けた。削っても、削っても、私の内側から湧き出る脂は止まらない。部屋中に満ちていく甘い香気の中で、私は自分がもう二度と、人間の世界へは戻れないことを確信していた。

乱筆乱文にて失礼いたしました。

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