閑話:母
正直、子供に愛情が湧かない。友美はそう思っていた。
夜泣き、おむつ替え、食事、入浴。その他全部が面倒で、夫の関心も自分から逸れることが多くなる。
夫にどうしてもと言われ、子供を仕方なく作ったのだ。自分は本当は望んでいない。
だが、産んだからには育てようという気持ちは友美にはあった。
いつも、育てる行為が面倒、可愛く思えない、という言葉ばかりが脳裏に蔓延っているが。夫の手前、愛情が湧かなくても、作った偽の愛情でどうにか育てていた。
そう、全ては夫に愛してもらうため。
幼いころに早く両親を亡くしていた友美は愛情に飢えていた。だからこそ夫に依存していた。
夫が彼女の全てだった。
子供、醒那が幼稚園に入園する前のある時、友美は一度醒那に少女のような可愛らしい格好をさせた。
特に深い意味はなかったが、それが思いのほか夫から好評であり。その後も数回、醒那に着せた。
可愛らしい服を着た醒那へ夫が『かわいい』と言うたび、友美はその真似をして、愛情があると見えるように醒那へ『かわいい』と声を投げる。
数回着せると、醒那はそれが気に入ったのか可愛らしい服を自ら着るようになった。
一応男子なのだが、友美からしたらどうでもいい。
そうして醒那は入園した。
特に何事もなかった。友美の心も変わらず。
だが、醒那が卒園して少し、小学校の入学の準備をしていたところで、夫が交通事故で死んだ。
夫が全てだったのに、どうして。
どうしてまた私は失うんだ。
どうして。
偽の愛情しかない自分が一人で醒那を育てられるわけがない。
友美の心は混沌と化していた。
無理心中が脳裏に過ったこともあった。
だが、友美はそれをしなかった。
何故なのか、それを彼女が理解することはできなかった。
貯金と夫の遺産で生活する日々。幸いなことに莫大な資金があったため、投資などを活用して、しばらくは生活に困らなかった。
だが友美は心身ともに、日に日に衰弱していくばかり。
そんなある日、醒那が眼前に来てこう言った。
「かわいい?」
そう可愛らしい服に身を包みながら自身を見せてくる醒那。
その服は、友美が夫と最後に醒那へ『かわいい』と言った服。
途端に夫との日々が思い起こされる。
夫との面倒な子育て生活。
面倒ながらも育てた。
面倒ながらも可愛らしい服を着せた。
偽の愛情で『かわいい』と褒めた。
あの日々。
想起する度に喪失感と得体のしれないドロドロとした感情が溢れ出て。
気が付いたら友美は醒那を数回殴りつけており、最後にこう叫んだ。
「二度と私の前に出てくるな!」
その後醒那はふらふらとした足取りで視界から消えた。
感情任せに行動した。偽の愛情で作った仮面が割れた。
そうだ、これこそが本当の自分なのだ。
自分をさらけ出して何が悪い。
友美はそう考え、そこから開き直ることにした。
だが、最後の醒那の怯えた表情が脳裏にずっと貼り付いて剥がれない。
気持ち悪い。
それから酒で日々を消化するばかり。
時が経ち、醒那が高校に上がった後。
貯金やら遺産やらは底をついており、友美たちは金銭的に困窮していた。
金が無い。
たまたま見たECサイトで欲しいものがある、だけど買えない。
友美はもう堕ち切っていた。
最近醒那はバイトをしている、なら金を持っているはずだ。
自分の子供なんだから良いだろう。
そう思い、友美は醒那の貯金を勝手に使った。
その結果。
「お母さん。僕、もう家出るね」
「あ?」
「準備はもう済ませてあるから。それじゃあ」
少しして醒那は家を出て行った。
連絡してみるもブロックされる。
どこに行ったのかもわからない。
ふと、今の自分には何があるのか、と友美は考えた。
何もない。
——私は何のために生きてるんだろう。
それから生活保護の申請をし。
また数年を消化して。
「子供を庇って死んだ?」
それは突然だった。
警察からの連絡で醒那が死んだと、友美は知った。
「死んだんだ」
そうなんだ、と友美は案外すんなり受け入れられた。
死んだ、交通事故で。
夫も息子も交通事故で死んだ。
「ふーん」
もう何が何だか分からない。
どうして。
醒那は自分と違って子供を助けて死んだ。
自分と違って優しさがあった。
本物の愛を誰にでも抱いていた。
自分はそんなものを醒那に抱けていなくて。
醒那に愛情が無かったはずなのに。
どうして。
「うぅ……ぅう゛う゛ぅ゛ッ!」
どうして涙が込みあげてくるのだろうか。
あぁ、どうして……。
胸の中が得体のしれない感情でいっぱいになる。
友美は月を思い出した狼のように長らく声を上げて、その意識を落とした。
おやすみ。




