1 逃走
夜の静寂を打ち破る警報が研究所の敷地内から発せられた。
「奴が逃げたぞ!」
「まだ近くにいるはずだ、捜せ!」
「絶対逃がすな」
研究所内で守衛の声が飛び交う。
「いたぞ!」
庭にいた守衛から声が上がった。
林の中を一人の男がコンクリートの塀目指して、駆けていく。
その後を二匹のドーベルマンが追う。
男は体つきは細いが、足はかなり速い。背中にはリュックを背負い、手にはボストンバッグを持っている。
「くっ」
男は口で発煙筒のリングを抜き、後ろに放り投げた。
地面に落ちた発煙筒からは白い煙と共に強烈な異臭が漂った。
男を追跡していた二匹のドーベルマンはその煙の中に突っ込むと、突然苦しみだし、よろよろとその場に倒れてしまった。
男はその間に塀の前にたどり着いた。
コンクリートの塀は三メートル近くあり、さらにその上にも有刺鉄線が張られている。
男は塀の前でしゃがみ込むと、足下の積もった落ち葉をかきわけた。
落ち葉の下から梯子の一部が姿を見せる。
男が梯子の両端を持って持ち上げると、三メートルの梯子が落ち葉の中から現れた。
梯子を塀に立てかけ、素早く昇った。
塀の上に昇ると、リュックから取り出したニッパーで有刺鉄線を切断し、その切れ目の中をくぐった。
そして、思い切って塀の外へ飛び降りる。
外の道には車が止まっていた。
「遅いわ」
車の運転席には若い女――相沢響子が乗っていた。
「すまない」
男は素早く車に乗り込んだ。響子はすぐにエンジンをかけた。
「例のものは持ち出せた?」
「ああ」
男はボストンバッグを開けて、響子に中を見せた。
響子は車を発進させた。
男はリュックを降ろし、後部座席に投げ入れた。
追っ手の姿は見られない。
響子は十分ほど車を走らせると、計器類のそばにあるスイッチを押した。すると、車のナンバープレートが自動的に別のものに変わった。
助手席の男は、逃走に成功し、安心したのか、シートに深くもたれた。響子はハンドルを握りながら、時折後方をバックミラーで確認している。
「ボスに連絡するか……」
響子は無線に手をかけた。
その時だった。
三〇メートル先の路地から一人の女が道路の真ん中に飛び出した。
ヘッドライトで女の姿を確認した響子は慌てて車のブレーキを踏んだ。
車は間一髪、女の数メートル手前で止まった。
急停車の衝撃で前のめりになった響子は顔を上げ、前を見た。
黒いレザージャケットを着用した十代半ばの少女が立っている。
「ちょっと危ないじゃ……」
響子は言葉を切った。
この娘……
響子は一目見ただけで、そのジャケットの少女がただの通りすがりでないことを悟った。
服装もさることながら、無表情な顔、赤く無気味に光る瞳、そして白く短い髪、どれも高校生ぐらいに見えるこの少女の姿からすれば異質であった。
少しでもその少女の行動から目を離せば、自分がやられる。そんな雰囲気がその少女にはあった。
少女は無言のまま、その場に立っている。動く様子は全くない。
「おい、何があったんだ?」
助手席の男はフロント部分に頭を打ちつけたショックで頭を押さえていた。
「黙って」
響子は厳しい口調で言った。
どうする?
響子は思案を巡らせた。
二人の女のにらみ合いはしばし続いた。
少女がジャケットの懐に右手を入れた。
「頭を低くして」
響子は強引に男の頭を下げさせると、反射的に車のアクセルを踏んだ。
車が急発進する。少女は懐から拳銃を抜き、その銃口を響子に向けた。
その瞬間、車が少女をはねた。
少女は車の後方の地面に転がる。
響子は数十メートル走ってすぐに車を止めた。そして、車を降りる。
死んだ?
響子は後ろを見た。
仕方ないわ、あいつは銃を撃とうとしたんだから。
響子は自分にそう言い聞かせ、車に乗ろうとした。
その時――
一発の銃声が闇に轟いた。
「うっ!!」
響子の腹部に激痛が走った。
響子は右手で腹を押さえ、膝を落とした。
一人の少女が歩いてくる。それは車ではねたはずの白髪の少女であった。
「ま、まさか」
響子は苦しそうに立ち上がった。
「八十神博士を返してもらうわ」
少女の手には銃身の長いリヴォルバーが握られている。
「くそっ、こんなところで」
響子は車に乗り込もうとした。
少女の拳銃が火を噴く。
弾丸が今度は響子の太股を貫通した。
「博士、逃げて」
響子は車のドアにつかまり、助手席の男に言った。
「しかし」
「早く!ここは私が何とかする。あなたはここへ」
相沢響子は男――八十神にメモを渡した。
「わかった」
八十神は運転席に移り、車を発進させた。
少女はすぐに追いかけようとする。しかし、響子がその前に立ちはだかる。
「行かせないわ」
響子が苦悶の表情で少女を睨み付ける。
「おまえは終わりだ」
少女は響子に向かって最後の引金を引いた。




