第1話 断罪劇は、証拠品の匂いがする
拍手が、先に来た。
誰かが何かを告げるよりも前に、貴族たちの手のひらがぶつかり合い、乾いた音が大広間に反響する。
まるで舞台の幕が上がるのを待ちきれない観客のように。
――ああ、そういうことか。
公爵令嬢セリナ・アルフォードは、跪いたまま悟った。
今日、王城の謁見の間は「裁きの場」ではない。
劇場だ。
主役はすでに決まっている。
悪役も、筋書きも、結末さえも。
「公爵令嬢セリナ・アルフォード。貴様の罪状を述べる」
壇上に立つ王太子の声は、よく通った。
幼少より叩き込まれた発声法と、自分が正義の側に立っているという陶酔が、その声を一層朗々と響かせている。
――いい声。
英雄役には、よく似合う。
だが、昂ぶりは隠しきれていなかった。
断罪する快感。
拍手を浴びる高揚。
セリナは目を伏せたまま、視線だけで周囲をなぞる。
右手には、王太子派の貴族たち。
すでに勝利を確信した者の、安堵と優越の表情。
左手には、中立を装った者たち。
拍手の強さを測りながら、次に頭を下げる相手を選んでいる。
そして奥。
白いドレスに身を包んだ聖女リュシアが、清らかな像のように佇んでいた。
――白は、汚れがよく目立つ色だ。
それを好む人間ほど、汚れを他人に押しつける。
「セリナ・アルフォードは、聖女リュシア殿の治癒儀式を妨害し、多くの民を危険に晒した。さらに、聖女殿の名誉を傷つけ、王太子妃の座を穢そうとした!」
ざわめき。
拍手。
その繰り返しが、証拠の代わりに積み上がっていく。
――泣くべき場面なのだろう。
令嬢が声を震わせ、許しを乞えば、観客は満足する。
だが彼らが本当に欲しているのは赦免ではない。
断罪だ。
(……臭い)
セリナの鼻先をかすめたのは、香水ではなかった。
金属、薬草、焦げた羊皮紙。
誓約魔術。
契約書に刻まれた魔力が、燃え残ったときに残す独特の匂い。
「……証拠は、あるのですか」
気づけば、口にしていた。
一瞬で、拍手が止む。
王太子が眉をひそめ、聖女が小さく息を呑んだ。
「……証拠、だと?」
「はい。治癒儀式を妨害したというなら、魔術の残滓が残るはずです。毒であれば成分が。人の手であれば、痕跡が」
貴族たちが困惑する。
分からないのではない。
分かっているのだ。
ここが裁きの場ではなく、予定調和の舞台であることを。
王太子は、諭すように笑った。
「セリナ。最後まで往生際が悪いな。
ここが何の場か、分かっているのか?」
「ええ。皆さまの娯楽です」
誰かが咳き込み、誰かが扇子を落とした。
聖女リュシアの唇が、ほんの一瞬だけ歪む。
怒りではない。
焦りだ。
「……発言を慎め」
「私は婚約破棄そのものを拒みません」
静かな声だった。
だが、大広間に不思議とよく響く。
「殿下が私を不要と判断されたなら、それはそれで結構です。
ですが――罪を被せられたまま捨てられるのは、困ります」
「困る、だと?」
「はい。なぜなら私は、契約を結んでいます」
空気が変わった。
恋愛沙汰の断罪は娯楽になる。
だが“契約”の匂いがした瞬間、貴族たちの目から笑みが消える。
誓約魔術。
破れば、命も財も奪われる世界の基盤。
「……誰とだ」
セリナは、視線を上げた。
謁見の間の奥、柱の影。
拍手も、野次も飛ばさない男。
黒い外套。
銀の徽章。
誓約魔術の執行官――レオニス。
「殿下。私の願いは一つです」
セリナは、はっきりと言った。
「婚約破棄の条件として、私を王都鑑識局へ配属してください。
そして本日この場で、私の“罪”の証拠を、正式に鑑識へ提出することを」
静寂が落ちた。
拍手よりも重く、逃げ場のない沈黙。
そのとき、柱の影からレオニスが一歩前へ出た。
「――承りました」
低く、余韻のない声。
それは判決の宣告に等しかった。
「誓約魔術庁の規定により、疑義が提出された以上、証拠の保全を行います。
王家であろうと、例外はありません」
王太子が言葉を失う。
その瞬間。
セリナの目に、“裂け目”が見えた。
言葉と現実の間に走る、細い亀裂。
契約が偽られる直前にだけ現れるもの。
――やはり。
聖女リュシアの指が、かすかに動いていた。
「殿下。その誓約文、私の離縁ではありません」
ざわめき。
「私の名を使って、別の契約を結ぶ文章です」
レオニスが、初めて笑った。
「……面白い。鑑識局へ来い、セリナ・アルフォード。
お前が本当に“裂け目を見る”なら、俺の仕事が半分になる」
セリナは、微笑んだ。
「仕事は減らしません。
あなたの“嘘”も、鑑識しますから」
断罪劇の幕は、ここでようやく上がった。
主役は、王太子ではない。
証拠だ。
――そして、それを拾う女だ。




