89.
「それはまた……なるほど……」
ミスラが静かなため息とともに、ほんの少しだけ肩を落とした。虚脱感に襲われているようでもあった。
「大丈夫ですよ。テオナールは昔から少しひねくれていて……真実を、意味を勘違いされるような言い方で口にするんです。尤も、今回は相手を欺くためにわざとそうしたようですが」
「待て待て、俺はアンタがたの話にちっともついていけてないんだが、質問してもいいか」
「手短にどうぞ」
ミスラからの許可に一瞬酸っぱい顔をしたヘルモーズが、ミスラを見上げたまま口を開く。何も知らされていなかった彼には何もかもが疑問点だろうに、彼はたった一つの質問を鋭い視線とともに投げかけた。
「ミスラさん、アンタここで死ぬつもりか?」
「……そうですね」
「なんで」
「必要ですから」
よどみなく答えるミスラには、たった今本人が肯定した死への恐怖などどこにも見受けられなかった。
「皆さんの権能は私の契約によって縛られています。ですがそれらは全て、神継ぎである私の名において縛られた契約です」
「つまり、アンタが死ねば契約は反故になるってことか?」
「ええ」
ヘルモーズの眇められた空色の瞳を、ミスラは静かに受け止める。
「重要な契約は、すべて神の名において契約を結びました。それらは私が死んだ後も永遠に破棄されることはありませんから、皆さんの不利になるようなことも決してありません」
「……そうか。アンタはそれでいいんだな」
「ええ」
ヘルモーズは無理矢理自らを納得させて、ミスラから視線を逸らした。
その様子を見守っていたノーシスが、ヘルモーズからの追及がそれ以上ないことを確認して口を開く。
「俺はいまのこの虚構の構築者に会いに行きます。生まれてこのかたずっと国家に囲われて生きてきた彼女にレーヴさんの記憶を見せてほしいと、レーヴさんにも言われているので。……それより先に、誰かが内から虚構を破るかもしれませんが」
「まあ、彼女の生き様を共有して損はないでしょうし、それが得策かもしれませんね」
「はい。それとヘルモーズさんには、研究施設に向かっていただきたいんです」
突然の要求に訝しげな顔をしたヘルモーズに、ノーシスは説明を重ねた。
「そこでは神継ぎからの権能の抽出の実験が行われています。この虚構のすぐ外に張られている鎮守の結界も、その実験結果の一つです」
「……鎮守の神継ぎが、そこにいるのか」
どこか縋るような色を纏ったヘルモーズの視線に、ノーシスは努めて冷静に、そして残酷に返す。
「いえ、既に亡くなっています。ですが権能を無理矢理に抽出されたせいで、魂の一部も引きずり出されてしまっています」
「なるほどな、だから護魂ってわけだ」
親友の死の報せに一瞬だけ悲しみを過らせたヘルモーズが、得心したように頷いた。
「いいぜ、実験ってことは鎮守の神継ぎ以外も被害に遭ってんだろ。俺が全員の魂を護りきってやるよ」
「助かります」
ノーシスがアイスブルーの瞳を安堵に緩め、次いでミスラを見た。
「ミスラさんは……」
「……私は、テオナールの元へ行きます」
「そうですか。……それではここで全員お別れですね」
寂しそうなノーシスの声音に、ミスラが眉を下げた。
「貴方、以前自衛の方法を見つけたと言っていましたが、本当に平気なんですね?」
「一般人の脳じゃ到底処理できない情報量をぶち込むんですよ。そんなことされたら、まず普通の人は隙だらけですから」
「それ相手廃人にならないか?」
「正当防衛ですよ!」
「過剰防衛だろ……」
ヘルモーズの呆れたようなツッコミは、しかし制止の色をもっていなかった。
ノーシスはそれに少しだけ笑って、ミスラを見上げた。
「俺、ミスラさんと会えてよかったです。いつかまた、神として再会しましょうね」
ミスラはほうと一息ついて、深い声音で静かに頷いた。
「……ええ、必ず」




