86.あなたが見せた夢
かつて、世界を掌握しようとした人間がいた。その人間は、後に神継ぎと呼ばれる半人外に目を付け、彼らを従え意のままに動かすことにした。
けれども世界には、神継ぎとは似て非なる存在である悪魔憑きも存在していた。彼らと相対させるため、また権威を確立するために、人間は戦闘系の異能をもつ神継ぎを重宝した。
そうして抱え込まれた神継ぎが存在していた一方で、戦闘系異能ではない神継ぎは囲われるだけ囲われ、放置されていたものである。
しかし千年前の慈愛の災厄をはじまりとして、これまで見向きもされなかった彼らの異能は一転して求められるようになった。崩壊の危機にさらされた世界がもう一度人間の暮らせるものになるまでの仮の住まいとして、虚構の神権は確かに役立った。
しかし、人間は分かっていなかったのだ。これまでの仕打ちがどれだけ腹に据えかねているのか、内通者への仕打ちが、慈愛の神継ぎへの仕打ちが、そして後のヘリオスへの仕打ちが、どれだけレーヴとミスラの胸中で不信感をくすぶらせたのか、それを見誤ったのだ。
人間に命じられて当時結ばれた「虚構の再構築の封殺」の契約だって、今のレーヴの行動を制限することはない。これは虚構の再構築ではなく、単なる崩壊なのだから。
レーヴはそっと天井を見上げた。
政府の監視を潜り抜けるために室内に全員を集めたが、今日は気持ちがいいほどの晴天であった。この空も偽りのものだが、本当の空はいま、どんな表情をしているのだろうか。
氷でかたどられた弓を作り出し、左手でしかと手にする。この日まで、数百年もの間ずっとレーヴが手にしてきた武器は弓だった。虚構はレーヴの領域であったから、ある程度のことはその目で見えていなくとも感知できる。それ故に、遠距離武器は彼女に適していたのだ。
レーヴは矢の番えられていない弓を天に向け、まるでそこに矢が宛がわれているかのように右手を引いた。やがて弦が引かれていくにつれて彼女の異能が再び収束し、矢としての形を持ち始める。限界まで弦が引き絞られる頃には、レーヴの指先は矢筈を摘まんでいた。
「何百年も、この世界は夢を見ていたの」
最大限に体を伸ばした状態で、レーヴが歌うようにそう言った。
「夢の創造主によってしか醒めることのできない夢。夢でありながら、何一つ私たちに優しくない、現実と地続きの夢」
矢筈から、レーヴの指先が離された。
たわみながらも勢いよく放たれた弓矢は、眩い軌道を引きながら第五塔の天井を貫き、さらに天へと駆け上がる。
「そうでないと、醒めなければいけないそのときに躊躇ってしまうから。夢を夢と心得ながら、居座ってしまいたくなるから」
尾を引いて小さくなっていく弓矢は、やがてどこまでも続くと思われていた空の途中で何かに突き刺さった。偽りの空がひび割れ、ぼろぼろと崩壊していく。その向こうから、虚構内の太陽ではない光源が差し込んできた。
「それでも、私にとっては——」
虚構の境界が崩れていくにつれ、レーヴの姿にも淡さが混ざっていく。
弓矢の行く先に据えられていた彼女の金茶が、初めて大衆を振り返った。ラベンダーの髪が一拍遅れて広がり、金茶の瞳が温かな笑みを刻んだ。
「とても素敵な夢だった!」
そう言うや否や、彼女の姿がそっと掻き消える。僅かばかりに残された光の粒子が、その場で揺蕩っていた。
同時に虚構も崩れ去り、これまでとは似て非なる冷たい世界だけが、その場で夢から醒めたばかりの者たちを迎えていた。




