83.
「……待ってください、虚構の外には、レーヴさんを害そうとしている誰かがいるってことですか?」
それまで黙っていたノーシスが、真剣な表情で口を挟む。
「あら……ごめんなさい、説明し忘れていたわ。気が付かないうちに焦っていたのかしら」
ふと、レーヴから切羽詰まった様子が掻き消えた。おっとりと首を傾げた彼女が、少しの間目を閉じて、そして金茶の瞳がひたとノーシスを見据えた。
「私を、というよりも、この虚構内の神継ぎを一網打尽に殺したい人間がいるのよ。勝手気ままに生きる私たちのような神継ぎではなくて、自分たちだけの神継ぎを渇望する人間が。彼らは神継ぎを権威の象徴として、挙句の果てには都合のいい駒として使い潰すつもりよ」
「どうしてそこまで、この世界の外のことについて言い切れるんですか?」
「内通者がいるからよ。彼が虚構の外の私の本体を通じて、虚構の中の私に情報共有をしてくれているの」
「その内通者を信じ切れるという根拠は?」
「私の幼なじみだから、という理由では弱いかしら? 彼——テオナールは、私とミスラと、慈愛の神継ぎの幼なじみなの」
今はもう皆バラバラになってしまったけれど、とレーヴが瞳に少し影を落とす。
一人は精神と肉体が虚構の内外に分けられ、一人は虚構の中に、一人は虚構の外に、そして最後の一人はすでに亡くなっている。
「もし偽の情報を流されていたとしても、私の体が死に直面しているのは紛れもない事実よ。私の体のことは私が一番分かっている。だからこそ、すぐにでもこの虚構は壊すべきなの。それに今が好機なのよ。悪魔憑きとされる者はいなくなった。あとは私が神になって、全ての世界を、他の神ですらも、私の虚構で包み込むの。悪魔憑きなんて二度と生まれない世界に、私が書き換える」
アクイラが第五塔に来た当初、レーヴは言っていた。悪魔憑きの生まれない世界を作る手立てはあるのだと。まさかそれがこんな形のものだとは、とアクイラは視線をうろつかせる。
でもそれじゃあ、とルディヴィーが依然として茫然と言葉を紡いだのが、やけにはっきりと聞こえた。
「神になるってことは、レヴィちゃんは結局死ぬってこと……?」
「言ったでしょう、私の体はもう限界よ。このまま死ぬ以外の道はないわ」
「でも、急いでレイナちゃんに診てもらえば——」
「——いいえ」
これまで長らく、レーヴの隣で佇んでいたミスラが、否定の言葉を吐いた。
「虚構の外にある神継ぎ自身の本体が昏睡状態であること。これは、契約の神の名の下に結ばれた契約です。どれだけ治療を施しても、例えそれが命脈の権能だったとしても、契約が覆されることはありません」
「……どうしてそんな契約をしたの」
怒りに耐えているかのような、はたまた涙を堪えているかのような、言葉尻の震えた声だった。ルディヴィーのそんな声は、初めて聞いた。
「必要でしたから」
さらりと返したミスラは、緩く息を吸って、さらに続ける。
「それに、私たちにはその時点でもう覚悟ができていました」
から、と何か軽いものが後方で音を立てた。
つられてそちらに視線をやれば、茫然と目を見開いたヘルがいた。
「俺の、せい? 俺が悪魔憑きになったから……?」
「違うわヘリオス。貴方のせいじゃ——」
「俺が生まれたばかりの頃、レーヴの神権はまだ虚構だった。いくらすぐに悪魔憑きではなくなったとはいえ、一度でも悪魔憑きに堕ちた俺のことを見逃す代わりに、レーヴは虚構の外に出された。そうだね?」
確信をもった言い方だった。
それにミスラが、落ち着いた様子で一つ頷く。
「確かに、レーヴが虚構の外に出たのはそのタイミングです。ですが、貴方の件がなくともやることは同じでした。もうずっと前、慈愛の神継ぎが亡くなった日から、私たちは覚悟を決めていたんですから」
「だからヘリオス、どうか気に病まないで。むしろ貴方が私たちの愛を受けて理性を取り戻してくれたから、私たちも確固たる希望をもつことができたのよ」
「……そう」
ヘルがそっと視線を地面に落とした。
それにどこか仕方が無さそうに笑ったレーヴが、再び周囲を見渡す。
「私が虚構を崩した後のことは、貴方たちに任せるわ。テオナールの話が本当なら、虚構の外の人間たちは貴方たちを殺そうとしてくるでしょう。万が一私を殺しても虚構が弾けるだけで中身がそのまま出てくることも考えて、何らかの攻撃手段と防衛手段ももっているはず。それら全てをどう処理するかは、貴方たち次第よ」
「……そんなの、返り討ち一択ではなくて?」
そう声を上げたのはユーフォニアだった。
「あちらが従順な神継ぎを所望している時点で話し合いの余地なんてないわ。私が傅く相手はこの世でただ一人だけだもの。神継ぎであることが私の生きる上での枷になるようなことを宣うのなら、私は私のためにその相手を潰す」
「ワ、ユーフォニアがユーフォニアしてる!!」
「横暴って意味で言っているのなら、あなたのこともいま潰すけれど」
「ゴメンナサイ!」
謝罪してしまった時点で横暴の意味で言ったことを肯定したようなものだが、スルトは気が付いていないらしい。
結局彼を冷めた目で見るにとどめたユーフォニアは、再び口を開いた。
「まあ、これは私の意見だし、無駄な血を流したくないっていうのならそれも一つの選択ね」
「俺も政府ぶっ飛ばしたいです! 政府所属の塔だからって書類仕事ばっかりさせてくる上に英知の神権使って毎秒情報収集しろとか舐めてんのかってずっと思ってました!」
「ノーシス落ち着け、虚構の中にいる政府の人間と虚構の外にいる政府の人間は別物だぞ」
「いやこれは上層部中の上層部が同じ可能性ありますよヘルモーズさん!」
ノーシスが神継ぎになってから三百年間、彼のなかで積もりに積もっていた不満が爆発したようである。それにどこか生温い視線を送っているようなミスラも、同じ塔の所属として共通する不満があるのかもしれない。
彼らから視線を逸らさずに、アクイラも隣のアマニに語り掛ける。
「まあ、問答無用で攻撃されたら俺らも抵抗するしかないよね」
「そもそもレーヴさんを殺して私たちを全滅させようとしてる時点で、私たちへの殺意マシマシだよね。そうっとしとけばいいのに」
それもそうだと、アクイラは静かに肯定した。




