80.
突然現れたレーヴの名前に反応したアクイラとルディヴィーは、お互いに一瞬だけ視線を交わした。どちらからというわけでもなく自然と逸らされた二人分の視線は、ヘルに注がれる。
「ねえ、レヴィちゃんの領分ってどういうこと?」
「そのままだよ。この世界から悪魔憑きと呼ばれる存在はいなくなった。ここから先、未来永劫悪魔憑きが生まれない世界に書き換えるのは、レーヴの役割だってこと」
分かるようで事の神髄までは分からない、真実のうちの一部しか教えてくれていないようなヘルの口ぶりは、これ以上の追及を拒んでいるようでもあった。
その引かれた線をしっかりと認識したルディヴィーが、それじゃあ、と話を逸らす。
「レヴィちゃんとも知り合いなの?」
「そうだね。……それこそ、俺が悪魔憑きになる以前からの知り合いかな」
少しだけ逡巡して、ヘルがちらとアクイラを見やった。しかしすぐにその視線は逸らされ、ルディヴィーに戻される。
「俺は初めて理性を取り戻した悪魔憑きなわけだけど、そのトリガーになったのはレーヴとミスラだった。あの二人は物心つくころから一緒にいてくれて、俺にとっては親みたいな存在だったから。お前もいつかあの二人のようになるんだよ、って引き合わされるたびに口うるさく外野に言われるのは嫌だったけれど、あの二人のことは本当に慕っていたんだよ」
「神継ぎになるってこと? ヘルちゃんはどうして二人に会えたの? 神継戦争以前だって、神継ぎに会うのは難しいはずでしょ?」
人は、逸脱したものを恐れる生き物である。それが未知の存在であれ、強大な力を有したものであれ、あまりに違いすぎるものを遠ざけることで己の身を守ろうとするのである。
そしてそれは、神継ぎに対して常に発揮されている生存本能でもある。故に、神継ぎは今も昔も隔離され、人々との距離を保ってきたはずなのだ。
矢継ぎ早に繰り出されたルディヴィーからの疑問は予想していたのか、ヘルはそうだね、と一つの肯定を落としてから口を開く。
「でも、俺は神継ぎになるべく作られたクローンだったから」
ゆっくりと瞬きをして、ヘルの言ったことを咀嚼して、そしてアクイラの口から呆けたような声が出た。
「クローン……?」
「そう。自分たちだけの神継ぎが欲しかったお偉いさんが、それなら一から作ってしまおうって考えて生まれたのが俺。五体満足のクローンが生まれる確率なんて0に等しいのに、ようやく出来上がった文句なしの完成品が悪魔憑きになるんだから、本当にいい気味だった」
ヘルの声音に嘲笑が混じって、彼が肩を竦めた。
「レーヴとミスラのおかげですぐに理性を取り戻せたけど、一度悪魔憑きとして暴れた俺が政府付きになれるわけがない。いくつかの条件と引き換えに、俺はあの二人に逃がされた。それでも性懲りもなくクローン作りを続けるんだから、呆れて物も言えないね」
「悪魔憑きは、対象が器として不完全だったときに生まれる、んですよね……?」
先日ノーシスと会ったときに聞いた話を思い出して問いかけると、ヘルが頷いた。
「俺は、人間として不完全だったってこと。所詮はクローンだね」
まるで自分を貶めるような発言に眉を顰めたアクイラに気が付いているのかいないのか、ヘルは続ける。
「何度もクローン体の悪魔憑きを殺してきた。お前たちだってクローンには何度も会っているよ」
ルディヴィーとアクイラ、そしてヴァルグルまで指して、彼は新たな真実を突き付けた。
「第五塔が相手にしている異形は、全てクローンの失敗作だから」
「……え……」
誰の喉から零れ落ちた音だったのかは分からない。もしかしたらアクイラ自身から発せられた声だったのかもしれない。
「昔よりもはるかに技術は高くなっているけれど、それでもクローンを作り出すことは難しい。人としての形を何とか保った生命体が生まれることなんてざらで、政府にとってはゴミに等しいそれを防壁の外に捨てるんだよ」
あまりの衝撃に二の句も告げないアクイラを放って、ヘルは何かを思いついたかのような声を出した。
「そういえば、お前たちは第一塔が何のためにある塔か知っている?」
「……数年間だけ動いてた特殊部門、だよな」
ヴァルグルの考えに沈んだ声に、ヘルは冷静に是と返す。
「あそこはね、クローン成功体が収容される場所だよ。神継戦争以前からある唯一の建造物で、俺も昔はあそこで暮らしていた。きっとノーシスが感知したその数年間も、俺みたいなクローン体が使っていたんだろうね。その後消息を絶ったのは、悪魔憑きになったのを俺が殺したからかな」
粗方話したいことは話し終えたらしい。ヘルが一つ息を吐いて、ぐるりと皆の面々を見渡した。
そしてたくさんの情報を叩き込まれて混乱の渦に飲み込まれている三人を他所に、フィニクスに向かって語り掛ける。
「フィニクスには、レイナードと同じようにしばらくは悪魔憑きに擬態して生活してもらう。といっても、そう長い間待たされることはないかな。ハッピーエンドは、もうすぐそこだから」
「……分かったよ」
恐らく塔制度すらあまり理解していなかったであろうフィニクスは、話の内容が上滑りしていたはずである。それでもヘルの言うことだからと頷きを返した彼は、アクイラたちがレーヴを信じているように、ヘルのことを心の底から信じているのだろう。
「俺はもう帰るね。少し話しすぎたかな」
穏やかな笑みを落としたヘルは、フィニクスを連れ立ってアクイラたちに背を向けかけ、そしてふと思いとどまった。
「アクイラ。この間の約束はこれでチャラだよね」
「……そうですね」
次に会ったときには、ヘルについて教えてもらうという約束。
些か知りすぎてしまったような気もするけれど、彼がこれでチャラだと言うのなら、きっとそうであるのだろう。
ふと目の前に影ができて、不思議に思ったアクイラが見上げた先には、優しくアクイラを見下ろすフィニクスがいた。
「アクイラ、また今度」
「うん、兄さん」
果たして、再会はいつになるのか。
約束を取り付けた兄は満足したように頷いて、踵を返してヘルの背中を追っていった。
ルディヴィーも考え込むようにしながらその場から姿を消し、アクイラとヴァルグルもほんの少しだけ視線を交わらせて、何を言うでもなくほぼ同時に第二塔へと帰っていった。




