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79.

 ヘルが指定してきたのは小さなあばら家だった。

 防壁の外には神継ぎのための塔以外は存在していないと思っていたけれど、そういうわけでもないらしい。防壁は神継戦争終結後にできたものだから、それ以前のものが取り壊されずに放置されているのだろう。


「へ~! キツネちゃんって本名もレイナード(キツネ)なんだ!」


 アクイラが目的地にたどり着いた瞬間に聞こえたのは、ルディヴィーの驚いたような明るい声だった。自身のあだ名のセンスに内心感心しているような顔までしている。

 ルディヴィーの和気あいあいとした声に辟易とするわけでもなく、ヘルは面白そうに彼女の相手をしていた。むしろあのようなテンションはスルトで慣れているのかもしれない。


「知らなかったんだ。てっきりあの子から教えてもらったうえであだ名をつけたんだとばかり」

「それがねえ、キツネちゃん何回聞いても教えてくれないの。あの子プライバシー意識高くない?」

「もう半ば意地なんじゃないかな」

「あ~ありそ~」


 話題のネタにされているレイナードは今頃くしゃみを連発しているのだろう。

 共通の知人という枠ではフィニクスも盛り上がれる話題のはずであるのに、兄はやたらと静かである。不思議に思って辺りを見渡すと、彼は部屋の片隅で壁に背を預けながら瞼を下ろしていた。一見すると一匹狼のクールキャラであるが、あれは恐らくルディヴィーの瞬間移動で若干酔っているのだろう。先程まで全身麻痺していたうえでこの仕打ち。難儀なことである。

 そんな兄に話しかけにいこうかと一歩踏み出しかけたところで、ヘルの視線がすっと到着したばかりのアクイラたちに向いた。


「無事に辿り着けたようでなにより。アクイラとは面識があったけれど、愉悦の子ともう一人の迅雷の子は初対面だよね」


 ルディヴィーとヴァルグルを見据えて、ヘルが穏やかに微笑む。


「初めまして、俺はヘル。この数百年間ずっと悪魔憑きを匿っていた、元光芒の悪魔憑きだよ」


 ちら、とサングラスを傾けて赤い瞳を晒したヘルは、その目をうっすらと細めて笑みの形をかたどった。

 それに臆することなくひらひらと手のひらを振って、ルディヴィーが口を開いた。


「ルディヴィーだよ~、どうしてあたしたちの神権知ってるの?」

「ノーシスに教えてもらった。万が一の時のために、って無理を言ったのは俺だから、ノーシスを責めないであげてね」

「ホントにノーシスちゃんと繋がってるんだねえ」


 そうだよ、とヘルが相槌を打って、ついと視線をヴァルグルに向ける。


「それで、そっちの子は?」

「ヴァルグル。もう子って呼ばれる年齢じゃねえんだけどな」

「俺より若いんだから子でしょ?」

「わか……?」


 呆気にとられたようなヴァルグルにころころとヘルが上品に笑って、こくりと一つ頷きを返す。


「今いる神継ぎでいったら、レーヴとミスラの次に生まれたのが俺だね。それで、俺から百年空いてヴァルグルだったかな」

「……百年間、一人も神継ぎが出なかったわけ?」

「うーん……いなかった、っていうのは嘘になるね。悪魔憑きはいたから」

「そいつらは悪魔憑きから神継ぎにならなかったのか? アックンの兄ちゃんみたいに」


 ちら、と未だに気持ち悪さに耐えているフィニクスを、ヴァルグルが気遣わしげに見やった。

 そんな彼の言葉を耳にして、すっとアクイラの背筋が冷えた。この後のヘルの言葉が想像できてしまったのだ。

 ヘルは動じた様子もなく、ただ小さく首を傾げてなんてことないように口を開いた。


「俺がみんな殺したから。俺が殺さなければ、もしかしたら神継ぎになれたのかもしれないね」

「ちょっとヘルさん、わざわざそんな紛らわしい言いかたしなくても……!」

「そうだよヘル。さっさと死にたいからって大事なところ端折るのはやめてくれる? 理性取り戻したその日に俺らの頭領が死ぬのは本当に勘弁してほしいから」


 思わぬところから援護射撃が飛んできてアクイラは少しだけ驚いた。てっきりこちらの話を聞いてすらいないと思っていたが、兄はしっかりと耳を澄ませていたらしい。

 俯いて目元を覆っている彼は、それでも語気はしっかりとしていた。


「フィニクスちゃん復活した? ごめんね~、まさか瞬間移動苦手とは思ってなくて」

「誰も彼もが瞬間移動に耐性があると思わないでほしいかな……」


 恨みがましくそう言ったフィニクスは、ちらとヘルの様子を窺った。彼はただ、じっとフィニクスを見つめたまま沈黙している。


「ヘルが悪魔憑きを殺すのは、あくまで悪魔憑き本人がそう願ったときだけだよ。悪魔憑きは時折、ほんの一瞬だけ、理性を取り戻すことがある。それで現実に絶望して、大抵の奴はヘルに願うんだ。殺してほしい、助けてほしい、あなたの手でどうか終わらせてほしい、ってね。言うだけ言って本人は理性を手放すんだから、言い逃げもいいとこだよね」

「……そうだねえ」


 ルディヴィーの相槌が、ぽつりと静かに響いた。


「ヘルはその願いを聞き届けて、これまで大勢の悪魔憑きを眠らせてきた。そう願ったことすら忘れて暴れる悪魔憑きを相手に、あの世への道のりまで示してあげてきた」

「お前は実際に、その現場に立ち会ったわけではないはずだけど」


 ずっと黙って聞いていたヘルが、ゆったりと小首を傾げた。

 それにフィニクスが淡々と言い返す。


「レイナードが言ってきたんだよ。ヘルに最大の負担をかけなかっただけ、俺はまだマシだって。死にたいのならヘルの手を煩わせずに潔く自死しろって」

「あの子も過激なことを言うようになったね……」


 困ったような顔をしたヘルは、やがて小さく首を振った。


「別に俺は、死にたくて仕方がないわけじゃない。良い死に処を探しているだけだよ。数多の同胞たちをこの手で屠ってきたのは事実だし、その罰として殺されるのもアリかなって、そう思っただけ」


 険しい顔をしたままのフィニクスを見やって、そんな顔をしないでほしいと彼は言う。


「俺の役目は今日で終わった。あとはもうハッピーエンドを待つだけだから、レーヴの領分かな」


 さりげなくヘルが口から飛び出してきたレーヴの名に、アクイラだけではなくルディヴィーの目も見開かれたのが、視界の端に映った。

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