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76.鷲の名を冠する者

「……何しようとしてるの、アークちゃん……?」


 ルディヴィーが茫然と呟くのが聞こえた。

 ここまでアクイラのために力を尽くしてくれたルディヴィーに途端に申し訳なくなって、アクイラは少しだけ逡巡した。

 しかし、アクイラはやると決めたのだ。

 兄の行動は一貫していて揺らぐことはない。これ以上ルディヴィーに負担をかけるわけにもいかない。

 いつか兄は悪魔憑きをやめなければならない。やめた先、行きつく先は此岸にしろ彼岸にしろ、その「いつか」はいまなのだ。

 翼を大きく振りかぶって、アクイラはその翼の内に無数のランスを出現させる。蠢く雷エネルギーが、ところどころで爆ぜていた。

 それらが全て、一つの羽ばたきとともに地上に降り注ぐ。


「アークちゃん……!!」


 巻き起こる突風と砂塵から身を守るように腕で庇いながら、ルディヴィーがアクイラの名を呼ぶ。

 それを努めて冷静に無視して、アクイラはただ一人、兄の懐に豪速で潜り込んだ。かぎ爪を目いっぱい伸ばして、彼の心臓を抉るように。

 塵煙の割れた先、接近してくるワシの姿を認めて、フィニクスが赤い瞳を見開いているのが見えた。

 そして、アクイラの大きく開かれたかぎ爪が彼の胸に突き刺さる瞬間。

 甲高い擦過音が響いて、アクイラの体は大きな衝撃を受けた。

 かぎ爪と彼の体の間に、半透明の膜。それを引っ掻くようにかぎ爪が滑って、ギギ、と空気が引き攣れるような音が生まれた。

 硬質な輝きを放つその膜は、炎の異能である兄による生産物ではない。


「死ぬつもりなの、アークちゃん……」


 驚くほどの反射神経だった。

 震える指先を握りしめて、まっすぐとアクイラを見つめるルディヴィーの琥珀色からそっと視線を逸らす。


「全身雷でいっぱいの状態でいまのフィニクスちゃんに向かっていくなんて、そんなの自殺行為だよ。フィニクスちゃんはいま、()()()()()()()()()()()()()()!」


 渦中のフィニクスは、アクイラのかぎ爪がすぐそこまで迫った心の臓の辺りを抑えて茫然としていた。その彼の周囲にはアクイラと初めて相対した時と変わらず、炎の膜が揺らめいていた。

 きっとそれが悪魔憑きとしての彼の標準装備なのだろう。常に炎の鎧で身を守っているのだ。そして彼は恐らく、それが当たり前であるがゆえに、その解き方を知らない。

 そしてそれは、アクイラにとって非常に都合がよかった。

 ただホバリングを繰り返していたアクイラが再びフィニクスに向かっていこうとしたことに気が付いて、フィニクスはすぐさま不死鳥に変化した。美しい金色の尾を引きながら、彼は瞬間的に加速して上空を突き進む。

 いまの雷エネルギーで満ちた状態のアクイラは、炎を纏ったフィニクスに掠っただけでもその身が爆ぜてしまうだろう。

 それを理解して逃げを打ったフィニクスを追う形で、アクイラも加速した。アクイラの目は、高速で動く遠く離れた兄の姿でさえ鮮明に映してくれる。

 通常の追いかけっこではアクイラの分が悪い。

 そう判断したアクイラは不死鳥に向かって嘴を大きく開き、喉奥で渦巻く光に形をもたせた。それが溢れ出しそうなほどのエネルギーを有した瞬間、兄に向かって続けざまに解き放たれる。

 まるで彗星のように一直線に光の尾を引いて、それが兄の背に迫った。

 すんでのところで大きく宙がえりをして回避行動をした兄が、ちらと追手のアクイラを確認して下方向に突き進み、木々の影に紛れていった。森の中では、視界もスピードも制限される追手が非常に不利になる。追う側がワシのような巨体であるのならなおさら。

 だからこそ、無闇に自身も森の中に飛び込むようなことはしない。葉の茂る樹冠のさらに上から、アクイラは変わらずただ一点を追いながら飛行する。不死鳥が僅かに焼いてしまった草木が、兄の居場所を明白に伝えてくれた。

 そして、茂る枝葉の隙間から兄の姿が見える瞬間。正確には、兄の姿が一瞬だけ見えるだろう瞬間のコンマ数秒前。

 アクイラはその大きな翼を折りたたんで、枝葉の隙間を縫うようにして一点に向かって急降下する。頭を下に向けた、空気抵抗の最も少ない姿勢。傍からすれば残像しか残らないような速度で、アクイラはそこに突っ込んだ。

 そしてその視界に金色が映り込むころには、アクイラはかぎ爪を前に突き出した捕獲体勢に入っていた。触れさえすればよいのだから狩り姿勢でなくともいいのだが、ワシとしての本能故か、自然と体が動いていた。

 捉えた、とアクイラが確信をもった瞬間だった。

 不死鳥の赤い瞳が、アクイラを映した。映して、そして、その瞳にありありと負の感情を滲ませた。

 恐怖。濃い怯えの色。悪魔憑きらしからぬ色だった。

 今まで散々ガラス玉のような瞳しか晒してこなかったくせに、何故いまさら。

 アクイラの脳裏にその思考がよぎった瞬間、兄が無理矢理に急旋回を試みた。アクイラを避けるような、鋭い左への急旋回。

 虚しく宙を掻いたと思われたかぎ爪は、しかし何かに撫でられるような感触を覚えた途端、鋭い痛みに襲われた。

 一拍遅れて破裂音が響き渡る。鮮血が宙を舞っているのがやけにゆっくりと視界に映った。

 しかしそのどこか非現実的な感覚も、ふいに鼻をついた焦げ臭いにおいに霧散する。反射でそちらを見やれば、不死鳥が生い茂る木々や草本に全身をぶつけながら翼をばたつかせているところだった。

 まるで制御が効かないかのような、おぼつかない動き。

 両脚の痛みに思考を鈍らされながらも、アクイラは兄をしっかりと目で追って、そしてすぐに気が付いた。

 不死鳥の尾羽が、美しくたなびいていたはずの金色の尾羽が、根元近くで不自然に千切れていた。まるで焼き切れてしまったかのような断面。

 恐らく、急旋回の際にアクイラの脚に触れたのはそれである。そして、お互いの接触部位が爆発反応とともに千切れたのだ。その証拠に、アクイラの両脚も焼き切れている。

 尾羽は鳥類にとって重要な部位である。それこそ猫にとっての尻尾のような、否、飛行の舵取りの役割が付加されている分より重要な部位かもしれない。

 だからこそ、兄はいま、上手く飛べていない。

 今この瞬間しかないと思った。

 今を逃したら、兄はきっと逃げ切ってしまう。そして次に出会うころには、炎の鎧を自分で解除できるまでになっているだろう。それでは駄目なのだ。それでは兄は永遠に悪魔憑きのままだろうと、アクイラの勘が叫んでいる。

 だから、アクイラはこのまま兄に突っ込むのだ。

 周囲をも巻き込む爆発を(フィニクス)(アクイラ)で引き起こして、二人して死ぬのだ。フィニクス(不死鳥)は蘇る。それなら、不死の象徴であるアクイラ()だって蘇ることは可能だろう。

 何度だって兄の目の前で、兄のせいで死んでやる。そうして、彼の意識に刻み付けるのだ。存在意義である弟は、自身が理性を取り戻すまで永遠に死に続けるのだと。不可能を押してでも思い出せと、そう、彼の神格を揺さぶるのだ。

 捨て身の攻撃。一か八かの、賭けの攻撃。同時に、アクイラなりの、愛に満ちた攻撃。

 兄弟の視線が再び交わった。

 兄の瞳には未だに恐怖がちらついていて、彼の嘴から悲痛な調べが零れた。まるで来ないでと懇願されているようだった。

 このまま二人を中心に爆発が起きたら、まず助からないから?

 否、兄は助かるのだ。例え即死の攻撃でも、兄は灰の中から蘇る。

 だからこれは、弟を死なせたくないがための必死の抵抗だ。彼はアクイラが画策していることを知らないから、来ないでほしいと、決して触れるなと、そう訴えているのだ。


 ——そこまで情動を感じられるのなら、どうか、死ぬ気で思い出して。


 アクイラはそう思いながら、そっと瞼を下ろした。



 次の瞬間、彼らを中心として、半径80メートルにも及ぶ大地が吹き飛んだ。

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