71.
「どうやって来たのかな。ここには誰も瞬間移動なんてできないと思っていたけど」
「皆が皆高速移動してると思っちゃダメだよ。種も仕掛けもない瞬間移動だってちゃんと存在するんだから」
楽しそうに琥珀を細めたルディヴィーは、ずいと兄に顔を近づけて首を傾げた。
「アークちゃんのお兄ちゃん、お名前は? あたしはルディヴィーだよ~!」
「……フィニクス」
「フィニクスちゃん! いいね、キツネちゃんよりも素直!」
彼女は明るくそう笑って太い枝に腰かけた。ぷらぷらと奔放に足が揺れている。
確かに、レイナードには初対面で名前を教えてくれるような気安さはないかもしれない。アクイラだってヘルから聞いたから知っているだけで、もしかしたらルディヴィーは彼の名前すら知らないのかもしれない。
「ねえねえ、フィニクスちゃんのその角、本物だよね?」
「……そうだね」
「だよねえ、それなのにどうして攻撃してこないで談笑なんてしてるの?」
ルディヴィーは神継戦争中にもたくさんの悪魔憑きと対峙したらしい。
その彼女が不思議そうに首を傾げるくらいなのだから、今のフィニクスのような、穏やかに話の出来る悪魔憑きは相当珍しいのであろう。
「俺の弟が相手だったからね」
「でも、アークちゃんの右腕がなくなってるのは君の仕業でしょ?」
「その時は俺の弟だって知らなかったから」
それはつまり、ルディヴィーは彼の弟ではないのだからすぐさま攻撃してもいいのだということでもある。それに気が付きながらも、ルディヴィーは笑みを崩さない。
「どうして君の弟は攻撃対象外なの?」
「俺は弟を守るために存在しているんだよ。守るべき対象を攻撃してどうするの?」
少しだけ瞳を眇めてそう答えたフィニクスに、ルディヴィーはふうん、とだけ返した。
「弟は守るべきって、どうして思ったの?」
「さあ」
「……兄さん」
始終面倒くさそうに問答に応じていたフィニクスが、ついに応答を放棄しようとしたのを咎める。
アクイラの視線に促されて、フィニクスは渋々口を開いた。
「気が付いたころにはなんとなくそうあるべきだと思ってはいたけど、はっきり自覚したのはこの間レイナードと話したときかな。長兄同盟を組みましょうって言われて。面倒だから空に逃げたけどね」
「何やってるの兄さん……」
相手が追いかけてこられないことを知ってやっているのだから、何ともいい性格をしているというか、新参者のくせに神経が図太いというか。
じとりと兄を見つめるアクイラとは反対に、ルディヴィーは顎に手を当てて視線を少しだけ下にもっていった。
「面白いね、キツネちゃんも成り立ての頃はそうだったのかな? 後でレヴィちゃんにも教えてあげよっと」
そう自分の中で結論付けた彼女は、笑みを深めて小首を傾げながらフィニクスを見上げた。
「それで、フィニクスちゃんはいつまでここにいるの? こんなところで密会してるって政府にバレたら、アークちゃんの立場が悪くなるのに」
「……それは、気にしなくちゃいけない立場なの?」
初めてかち合ったフィニクスとルディヴィーの視線は、どちらからも逸らされることなく交わり続けた。
彼の赤を探るようにじっと見つめていたルディヴィーは、やがてぱっと笑みを浮かべて身を引いた。
「なーんだ。アークちゃんのことならまだまともな価値観もってるかなって思ってたのに、結局君は君なんだね」
「そう。俺は何か、返答を間違えたみたいだね」
ルディヴィーから興味を失ったかのようにまた視線を外したフィニクスが、彼女を見ないままに問いかける。
「きみは、俺に帰ってほしいんだよね」
「まあね。このまま平和に帰ってくれるなら大歓迎だよ~」
「帰らない、って言ったら?」
口の端に笑みを湛えたフィニクスが、大樹の新芽を眺めながらそう問うた。
話の流れが不穏な方向に行っているとは思えないような、まるで世間話をしているかのような口ぶり。
それに合わせて、自身の爪を眺めているルディヴィーの口調も軽くなる。否、彼女の口調は常から軽い。
「力尽くで帰すよ。こっちにはまだ君を受け入れる余裕はないからねえ。その角を落としてから出直してきてくれる?」
「俺を攻撃するの?」
「それが最善だと思ったなら、ね」
喉の奥で小さく笑ったフィニクスが、微かに目を細めた。
「そう。それならきみたちには成す術がないね。だって俺は知っているから。きみたちは俺を殺さない。そうだよね?」
「……誰かから聞いたの?」
訝しげに眉を顰めたルディヴィーからの問いかけに、彼は何事もないかのように肩を竦めた。
「まさか。見てれば分かる。レイナードが何度ぼろ雑巾みたいになって帰ってきたと思う?」
「ふーん。……でも、君への最善はこれじゃない? 『アークちゃんを殺すけど、それでもいいの?』ってね」
それまで静かに傍観の姿勢をとっていたアクイラの後頭部に、硬い何かが当たる感触がした。否、何か、などと濁さなくともアクイラには容易に想像できた。きっと今、銃口がアクイラの後頭部に押し付けられているのだろう。
「……本当に、それが最善?」
フィニクスの声が、ほんの少しだけ笑みの色を濃くした。
否、アクイラは知っていた。兄は怒るとき、少しだけ笑う。
「兄さん、——」
「これは不可抗力だよね、アクイラ?」
刹那、アクイラの後頭部の辺りを熱い空気の塊が通り過ぎていき、次いで爆発音が響いた。
それが、アクイラの後方の銃が取り払われ放られた先で爆発した音だと一拍遅れてアクイラは理解した。
「兄さん、殺しちゃダメだよ!!」
「——できない相談かな」
その言葉を最後に、アクイラを挟んで座っていたはずの二人の姿は消えていた。




