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65.無上の愛

「やっと帰ってきたなこのスカポンタン!」

「イッテ!」


 スルトが辺りの様子を窺いながら恐る恐る第二塔の敷居をまたいだ瞬間、彼の脳天に拳骨が落ちた。


「何すんだよヴァルグル!」

「遅えんだよこのアンポンタン!」


 アクイラが第二塔に帰ってきてから優に二時間を超えていた。

 常ならばまたどこで道草を食っているのか、と気にも留められない彼の遅帰りは、今回ばかりはそうもいかなかった。赤い瞳は須らく駆逐するべきというトチ狂った組織に追われているのではないかと、彼らは気が気ではなかったのである。


「俺だってもう大人だし!」

「だからここで大人しく待っていたのよ。明日になっても帰ってこなかったらこちらから探しに行っていたけれど。……ところで」


 スルトの背後から顔を覗き込んだユーフォニアが、声を低める。


「どうして貴方、未だにそれ(サングラス)を着けているのかしら? もう(わたくし)たちの前では要らないのではなくて?」


 そう、スルトは懲りずにサングラスを身に着けていたのである。

 アクイラの前ではヘルに予備のサングラスを強請るほどだったのだから、恐らくいま身に着けているものもヘルに貰ったものなのだろう。


「だって……。だって俺、もう何百年もサングラス常備だったんだぞ。ない方が不安になるっていうか……」

「へーえ? アックンの前では普通に目ェ見せて話してたって聞いたんだけどなあ?」

「アクィーラ……!」


 なんてことを言ってくれたんだという顔のスルトから、アクイラはそっと目を逸らす。禁止されているのはヘルのことをこの二人に話すことであって、スルトのサングラス事情ではない。

 そもそも、この期に及んで何をそこまで尻込みしているのか。


「まさかとは思うけれど、(わたくし)たちとはそのガラスを介さないと顔を合わせられないなんて言わないわよね? カメラのレンズには存分に見せてあげていたのに」

「あれはっ……無機物じゃん!」

「スルトクン、キミはぐらかすの得意じゃないんだから正直に言っとけって。ユーフォニアが強制的に吐かせようとする前に」

(わたくし)を盾にするのやめてくれる?」

「ゴメン」


 ユーフォニアの注意が一割ほどヴァルグルに向いたことに気が付いて、スルトが期待を込めた顔でヴァルグルを見上げた。どうかこのまま場を有耶無耶にしてくれ、とその顔にでかでかと書いてある。


「スルト? (わたくし)はやらないとは言ってないわ」

「ウウン」


 縮こまったスルトから、助けを求めるような視線がぐさぐさと刺さる。


「アクィーラ……」

「助けませんよ」


 しゅん、と見るからに小さくなったスルトが、一度ぐっと唇を引き結んで、それから観念したように口を開いた。


「……やっぱその目気持ち悪いって言われたらどうしよう、って思って……」

「……ハア?」


 咄嗟に漏れたようなヴァルグルのガラの悪い声にスルトが一瞬肩を強張らせたことを見て取って、ユーフォニアがヴァルグルを咎めるように睨んだ。


「俺、お前らのこと大好きだよ。俺が何やっても愛想尽かさないし、何でも付き合ってくれるじゃん。普通はそういうの嫌われるはずなのに、お前ら優しいから」

「だからこそでしょう? 今更貴方の外見でどうこうなるような関係じゃないわ」

「でも俺、怖いよ。もう長いことこの目は見せてなかったから、この目の所為でした嫌な思いも忘れちゃった」


 それを聞いて、アクイラは首を傾げる。

 彼は今日、撮影現場で罵詈雑言をぶつけられていたはずである。彼はあれで、嫌な思いの一つもしなかったのだろうか。


「……馬鹿じゃねえの」


 ぽつり、と落とされたヴァルグルの唸り声は、しっかりとスルトの耳に滑り込んだ。


「いいことじゃねえか、忘れたんならもういいじゃねえか。覚えてないことを怖がっても意味ないだろ。それよりも、これから起こる良いことを一生覚えてろ」


 わずかに首を傾げたスルトが、その言葉の真意を問いかける前に、ヴァルグルの指が彼のサングラスを掠め取る。

 その指の行方を追っているスルトの瞳が露わになった。

 あ、と彼の喉から微かな吐息が漏れる。


「絶対に忘れるなよ。俺らはその色を見ても顔をしかめない。目を背けない、恐れない」

(わたくし)たちはあなたを、対等に愛している」


 じわじわと、スルトが言葉の意味を咀嚼しているのが見て取れた。

 ゆっくりと瞬きを繰り返して、ヴァルグルとユーフォニアを交互に見やる。

 そして、数多の感情を瞳に乗せて、スルトが嬉しそうに顔を綻ばせた(涙をこぼした)


「俺さあ、お前らに出会えて本当によかったよ」


 この場にいるには相応しくないとそっとその場を去ろうとしたアクイラの手首が掴まれて、勢いよく後ろに引かれる。

 そのままぎゅっと力の限り抱きしめられて、アクイラは一瞬息をつめた。


「本当に、アクィーラの言った通りだった……」

「でしょう?」


 ぐす、と耳元で鼻を啜る音がして、さらにきつく抱きしめられる。

 その苦しさを甘んじて受け入れて、アクイラは緩く笑った。

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