63.地獄はかつて、太陽の名をもっていた
スルトが何故、意図的に瞳の色を世間に晒したのか。
どうやらスルトの瞳の色についてはすでに知っていたらしいヴァルグルとユーフォニアは、それでも険しい顔つきで何かを話し合っていた。
それを横目に、アクイラはそっと広間を出た。そのまま玄関口から外に出ると、今の心境とは似ても似つかないような温かな日差しがアクイラを迎えた。
当てもなくただ衝動に任せて、アクイラは歩いた。自分でもどこに行きたいのか分からなくて、今いる場所がどこなのかも分からなくなったころ、アクイラは覚えのある声を耳にした。一般人は入れない空間で、彼らの声は密やかながらによく聞こえた。
「——俺は前から決めてた。俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」
片方は、最近よく耳にする声。今、世間を騒がしている張本人。
いつもは元気で朗らかな声ばっかり出しているくせに、彼、スルトの声は硬かった。
「お前がやらずとも俺がやったよ、スルト。お前が傷付く必要なんてどこにもなかったのに、どうして……」
そして、もう一方は、随分と前に、一度だけ聞いた声。
「ヘルさん……?」
兄と対峙した時に、彼を何らかの術で帰してくれたひと。謎めいていて、そしていつか、兄を殺すかもしれないひと。
アクイラの声は風に流されてしまいそうなほどに小さかったのに、彼らは正しくその声を聞いたらしい。
「……誰?」
警戒するようなヘルの声がして、アクイラはそっと物陰から姿を現した。
「アクィーラ……」
目を見開いてアクイラを見つめるスルトの目元を隠すサングラスは、もうなかった。彼の美しい赤が、ひたとアクイラを映していた。
しかし次の瞬間、スルトはぎゅっと瞼を下ろしてその瞳を隠してしまった。さらに目元に手のひらを押しあて、そっと顔を正面から逸らされる。
「……ごめん、ヤなもの見せた」
「……何を言ってるんです……?」
挨拶をしようと開かれた口は、別の言葉を紡ぐこととなった。アクイラは困惑して、そして彼の隣にいるヘルを見上げる。
けれども彼は、アクイラではなくスルトを見下ろしていた。
「……スルト」
丁寧に呼ばれた彼の名は、どこか嗜めるような響きももっていた。それを嫌がるようにぶんぶんと首を横に振ったスルトは、その状態のままヘルに強請る。
「なあ、サングラス貸して。予備持ってるだろ」
「もうバレているのに、どうして。もとよりそのつもりでしょう?」
「だって、アクィーラの兄ちゃんは……」
そこまで聞いて、アクイラは理解した。スルトが何を憂いているのか、何をそんなに怖がっているのか。
「……スルトさん」
アクイラの呼びかけに、彼の肩がピクリと揺れた。
「俺、あなたのこと怖くないですよ。あなたの瞳を見て、兄のことを思い出したりもしません」
「……分かんないじゃん、そんなの」
ぽつり、と落とされたスルトの否定の言葉は、彼に似つかわしくないほど弱々しかった。
「アクィーラは、悪魔憑きと交戦したことあるって聞いた」
「たったの二回ですよ」
「変化したての兄ちゃんに殺される寸前だったってのも、聞いた」
「確かに、あれは怖かったですね」
「ほら!」
勢いあまって顔を上げようとしたスルトは、しかし寸前で思いとどまったようだった。
そのまま顔を上げてしまえばいいのに、と思いながら、アクイラはスルトを見つめる。
「でも、あれはあなたじゃありません。確かに瞳の色こそ同じですが、姿かたちは全く違います。俺の目を見て、ルディヴィーさんを想起したことがあるんですか?」
「ないけど……」
「そもそも、瞳の温度が違うんですよ。目は口程に物を言うんです。スルトさんは素直な人だから、感情が全部瞳に乗るでしょう。兄なんて無でしたよ。いつもは優しくてフワフワしてるのに、悪魔憑きになった途端にそこら辺に落ちてるゴミみたいに俺のこと見てきて」
「俺の目なんて一瞬しか見えてないだろ」
「その一瞬でも十分なくらい、あなたの瞳は雄弁だったんです」
きゅ、とスルトの口元が引き結ばれた。もともと答弁が苦手な彼が、新たな反論を必死に探しているのが手に取るように分かった。
「当ててみせましょうか、あなたが何を考えているのか」
「目見なくていいなら、いいよ」
「それじゃただの超能力じゃないですか」
ヘルが少しだけ笑みを浮かべて、スルトの頭に手を乗せた。
「お前、ここまで熱心に言ってくれているんだから、意固地にならずに見せてやればいいのに」
「でも……」
「彼がその瞳を怖がると思い込むのは、お前をその色で迫害していた奴らの決めつけと同義だよ」
ぐ、と息をつめたスルトが、大きく息を吐いて、そして吸った。
ゆっくりと指と指の隙間から窺うように覗いたのは、鮮烈な赤。
アクイラと同じ高さにあるそれをまっすぐと見つめていると、いろいろな感情が見えてくる。不安、切望、疑念、期待。それらが全て打ち消し合うことなくきらめいて、彼の瞳を一層美しいものに彩っていた。
「ほら、なんともないでしょう」
「口じゃなんとでも言えるって誰かが言ってた。アクィーラが無理してるかどうかなんて、俺気付けないよ」
「俺が他人のために無理するようなタマに見えますか」
「……見えないかも……」
「失礼ですね」
「俺になんて言わせたかったの!?」
わっと泣く素振りを見せた彼の姿に、アクイラはそっと目を細める。やはりスルトは、難しい顔ではなくてそういった豊かな表情がよく似合う。
「大丈夫ですよ。今あなたの周りにいる人たちは、あなたに遠慮するような人じゃないでしょう? そういう関係を、あなたはこれまで築いてきたんです」
それにはっと目を見開いたスルトは、恐る恐るといったようにアクイラを窺う。
「アイツら、怒ってた?」
「まあ……ちょっとキレてましたね、主にユーフォニアさん辺りが」
「……それは、俺の目に?」
「いえ」
スルトのいらぬ心配に、アクイラは間髪を入れずに否定する。
「あなたの行動に、ですね。いきなりいろいろすっ飛ばして全世界公開じゃなくて、まず段階を踏め、みたいな」
自分たちに一番に打ち明けてほしかった、という子供じみた嫉妬を彼らはしていたように思えた。恐らく各々面倒なへその曲げ方をするんじゃないかと思うのだが、スルトには黙っておく。
「そもそもあの二人、スルトさんの目の色知ってましたよ」
「エッ!?」
「生活しているうちにどこかで見えたんじゃないですかね」
「エッ」
スルトにとっては思いもよらないことだったのか、ひたすらに衝撃を受けていた。その横で、ヘルは予想通りだと苦笑いを浮かべて口を開く。
「まあ、四百年も一緒にいればそりゃあね?」
「俺頑張ってたのに……!」
悔しさを露わに嘆いているスルトは、もうアクイラの瞳の奥を探らなかった。
話しているうちに窺っていたことを忘れたのか、無意識だとしてもアクイラは大丈夫だと思ってくれたのか。
どちらにせよ、ころころと変わる瞳を惜しげもなく見せてくれるその事実だけで、アクイラは満足だった。




