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60.鬼ごっこ

「アクィーラ! 今日こそお前が勝つんだぞ! 俺の晩御飯がかかってる!」

「じゃあ今日もスルトさんは晩御飯抜きってことですね」

「エッ」


 鍛錬場に足を踏み入れた瞬間に飛んできたスルトの元気な発破に、アクイラは慣れたように返した。それに情けない声を上げたスルトに、ヴァルグルが大笑いする声が聞こえてくる。

 勝負事と言っても、アクイラがワシに、ヴァルグルがオオカミに変化して、鬼ごっこをするだけである。一定時間逃げきれたらアクイラの勝ち、捕まってしまったら負け。

 鳥類になどなったことがないから飛び方も何も教えられないと言ったヴァルグルから、変化にいち早くなれるための訓練として提案されたのである。曰く、生命の危機に瀕すれば飛べないものも飛べるようになるだろう、と。

 そうしてアクイラは毎日鬼ごっこの子役をする羽目になったのだが、これがまあ児童の遊戯だとは思えないほどに過酷なのである。慣れない翼を羽ばたかせて風を読み、アクイラは必死に飛んでいるというのに、ヴァルグルは彼の真後ろにぴたりと張り付いて離れない。そしてしばらく泳がされた後、実にあっけなくアクイラを捕まえるのだ。

 ワシの視界は人間のそれよりも広く、自分の後方もある程度見える。そしてアクイラはあるとき見てしまった。自分を追いかけるヴァルグルの爛々と輝く二つの瞳を。

 あれは完全に肉食獣の目つきであった。獲物として見られていた。相手は一人きりのはずなのに、彼の後ろにオオカミの群れすら見えた気がした。

 あの時は恐ろしすぎて、オオカミの身では到底届かないような鍛錬場の梁に留まって震えていた。もしワシではなくフクロウであったなら身を細くして微動だにしていなかっただろう。


「今日はヴィーちゃんがご馳走送ってくれるっつってたからな、いっぱい体動かして腹減らすぞー」

「エッ」

「ルディヴィーさんの料理食べられないのは可哀想ですけど、俺まだうまく飛べないんで……。すみませんスルトさん」

「……やっぱ俺今日かけるのやめていい?」

「男に二言は許されねえ、ぞ!」


 ヴァルグルの言葉が終わるや否や、迅雷の二人の姿は掻き消え、爆ぜる紫電の動物が現れる。

 スルトが半分泣きながらアクイラを応援する声を背に、アクイラは地面すれすれを豪速で飛んでいく。初めのうちはこのスピードに脳が追い付いていなかったが、最近ようやっと目を回さずに飛べるようになってきた。

 壁に激突する寸前、それまでの滑空で得た速度を利用して、ほぼ鉛直真上方向に飛び上がる。そのまま羽を大きく羽ばたかせて頭の向きを変え、大きな翼を半分畳んで弾丸のように来た道に向かって急降下する。

 ヴァルグルが壁を蹴って方向転換したことを確認したアクイラは、そのまま再び急上昇の体制に入る。速度を保ったまま、むしろ加速しながらの波状飛行である。尾羽と風切羽で空気の流れを調節し、乱方向への波状飛行でヴァルグルを攪乱する。

 もどかしそうに唸り声を上げたヴァルグルが、アクイラの進行方向目掛けて雷の波動を放ってきた。

 雷のエネルギーで満たされているアクイラは突っ込んでも影響はないのだが、本能的に回避行動をとる。無理に細かい方向転換をしたアクイラは、両翼への負担を労うように空中で大きく旋回を繰り返した。

 下のほうでオオカミの吼え声がしてそちらを見下ろせば、ヴァルグルが首を反らしてまるで降りてこいというかのようにアピールしていた。

 オオカミは空を飛べないのだから当然なのだが、変身以外の異能を不意打ち同然で使ってきた彼への意趣返しとして、アクイラも大きく嘴を広げて彼へと照準を合わせる。

 直後、喉奥ではちきれんばかりに膨らんだ雷エネルギーがヴァルグルへと降り注いだ。

 稲妻よりも濃密で、真白の暴力的な輝きをもったそれに、ヴァルグルの視界は焼けてしまうだろう。それを見越して、アクイラは間髪を入れずにヴァルグルへと急降下をする。

 地面が瞬く間に近づき、アクイラは両の足を前へと突き出す。

 ほぼ墜落の形で突き刺さった先に、果たして彼はいた。

 その体を爪で強く掴んで、落下の勢いで彼の体を地面に引き倒す。かぎ爪でしっかりと彼の体を掴んで全体重をかけ、大きな翼で覆いかぶさるようにして未だ暴れる相手の動きを封じる。

 やがて降参だとでも言うかのように全身から力を抜いたヴァルグルの上から退くと、彼は四つ足で立ち上がって身震いした後、瞬きの間に人間姿に戻った。アクイラも今日の鬼ごっこが終わりだと悟って人間姿に戻ると、息をつく間もなく背後からやってきた誰かに背中を勢い良く叩かれた。


「アクィーラおめでとう! 俺の晩御飯のために頑張ってくれたの!?」


 誰かも何も、ここまで遠慮なくアクイラをはたく人間なんてスルト以外にいないのだが。


「や、鬼ごっこ的には俺負けてるんじゃないですかね」

「エッ」


 先程までのテンションはどこへやら、一気に顔色の悪くなったスルトが、ぶんと顔を動かしてヴァルグルを見る。


「まあ、俺にタッチしちゃってるしね」

「あんまりじゃん!!」


 ワッと顔を覆って嘆くスルトを他所に、ヴァルグルがにやにやしながらアクイラの肩を組んでくる。


「アックンどうしちゃったの? 俺に攻撃してくるなんてさー」

「なんかヴァルさんに攻撃されたのがムカついちゃって」

「あれはアックンが干渉不可能な変な動きをしてたのが悪い」

「波状飛行のことですか? そもそも鬼ごっこってそうやって逃げ回るものでしょう」

「そりゃそうなんだけど」


 あっさりと言い負かされたヴァルグルが、難しい顔をして唸る。


「でもあの動きは初めて見た。アックン成長した?」

「情報処理速度が追い付いてきたんですかね。実はまだちょっと目が回ってるんですけど」


 瞬きを繰り返して視界を安定させようと試みるも、あまり成果はない。それでも惰性で瞬きをしていると、スルトの手がにゅっと視界に入ってきた。


「ルディヴィーのご飯食べたい……」

「今日の分の罰を明日に回せばいんじゃない?」

「確かに!! ヴァルグル天才!!」


 再びテンションの上がったスルトが伸びあがり、ダイニングへと二人を引っ張り始める。


「まだルディヴィーさんのごはん来てないんじゃないですか?」

「それでもいーの。晩御飯前に語らいの場を設けよう!」

「いまさら何を話すんですか……」


 第二塔にいるのはまだ数か月のはずなのに、お喋り好きな彼らにつられて様々なことを口走った記憶のあるアクイラは、手を引かれていることに甘えて未だ歪んでいる視界を閉じた。

 そのまま本当にダイニングまで連れていかれ、ユーフォニアまで連れてきたスルトは、楽しそうにたくさん喋って、嬉しそうにルディヴィーのごはんをかき込んでいた。

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