06.
「初めまして。アクイラ殿でよろしいですか」
ダークブラウンの髪を緩く後ろに垂らした彼は、厳かにそう言った。扉を開けてから今この時も、彼の瞳は伏せられた瞼に隠れて見えない。
「はい。……ミスラさん、ですよね」
「ええ」
ゆっくりと頷いたミスラは、自身の斜め後ろに立つ小柄な少年の方へ顔を向ける。黙って行く末を見守っているらしい少年には、ふっと雪のように溶けてなくなりそうな儚さがあった。
「そして、こちらがヘルモーズ殿」
「よろしくなー」
澄んだ空色の瞳がアクイラを映して、ヘルモーズがひらりと手を振った。見た目の儚さとは対照的に、彼ははきはきとしゃべる。こちらこそよろしくお願いします、と返せば、ヘルモーズはからっと笑った。
アクイラは瞬きをして、その見た目との乖離に対する驚きを隠した。
各々好きな場所に腰を落ち着けたころ、やがてミスラが口を開く。
「早速本題に入りましょう。アクイラ殿、契約についての話はノーシス殿にされましたか?」
「はい」
「それなら話は早いですね。契約に関して、何か疑問はありますか」
ゆったりとした彼の口調に、部屋の中の空気が適度に引き締まる気配がした。
少し瞳を伏せて考える素振りをすると、ミスラからどうぞ気兼ねなく、と声がかかる。
「……契約の内容を教えてもらってもいいですか?」
「構いませんよ。神継ぎとしての神権を、己が欲のためではなくこの世界——より分かりやすく言うのなら、この国家のために使用することを誓うだけです」
「その人たちの指示なら、善悪関係なしに実行しなければならないってことですか」
ふ、とミスラの口元が僅かに綻んだ。
「そうとも言えますね。仮に人道に反する行為を強いられた場合、我々には自害しか回避の方法はありません。尤も我々は即死でないと恐ろしいほどの生存能力でもって生き残ってしまいますから、困難を極めますけれども」
「……そうまでして、どうして皆さん契約を交わすんです?」
「守りたいものがあるのでしょう。それは無形有形を問わず、人であり場所であり、約束でもある。人それぞれです」
す、と視線をノーシスに滑らせると、話を黙って聞いていた彼と視線が合った。彼の肩眉が器用に持ち上げられるのを見て、アクイラはそっと視線をミスラに戻す。
あの掴みどころのない三百歳には、どのような守りたいものが存在しているのか。
「……俺もそうだから、こんなに丁寧に話していただけるんですか?」
「ええ。貴方には死ねない理由が存在しますから」
「……やっぱり、契約を拒否すれば死ぬんですね」
「まあ、それが対価ですから。殺さないことと、国家に力を貸すこと。双方に等価的な益がないと、契約というものは成立しません」
アクイラは思わず黙った。虫も殺さないようで、不殺生を謳っていそうですらある目の前の男性が、さらっと命を摘み取る発言をしたことにショックを受けたのである。
とはいえ、いまのアクイラはミスラの言った通り、死ぬわけにはいかないのである。兄を放っては置けなかった。
「何故契約を結ばなければならないんでしょうか?」
「神継ぎによる国家への反逆を防ぐためです。かつて契約を結んでいなかった時代に、国家に仇なす者が居たものですから」
「……神権を介さない抵抗なら、契約違反にはなりませんか?」
「おや」
ミスラの眉が、器用に跳ね上がった。
次いで、ふわりと浮かんだ口元の笑みを隠すように、そっと揃えられた指先が添えられた。
「ええ、なりませんよ。どこにも、それを禁止する事項はありませんから」
ミスラさん笑わせるなんてアクイラくんやるぅ、と野次が飛んできた。ちら、と視線をよこすと、ノーシスが満面の笑みでこちらを見ていた。
「他にも何か、聞いておきたいことはありますか」
「……特には、ないと思います」
「そうですか。それなら、いよいよ契約に移りましょう」
その言葉を合図に、大人しくソファに座っていたヘルモーズが軽やかに地面に降り立つ。
そちらに顔を向けたアクイラを見て、そういえば、とミスラが口を開いた。
「契約を拒否する場合は、私が責任をもって命を刈り取るのでご心配なく。痛みを感じる暇もないはずです」
「ミスラさん俺いっつも思ってたんですけど、それブラックジョークだったりしますか? 笑った方が良いやつ?」
「いえ、そのつもりは全く。安心していただきたくて」
「安心できませんからね? この間の心緒の子なんて半泣きでしたよ」
「おや……」
初めて知りました、みたいな顔をしたミスラにノーシスが苦い笑みを浮かべた。
今までちゃんと前は見えていると思っていたけれど、やはり瞳を閉じている以上何も見えていないのだろうか。
つらつらと失礼なことを考えながら、ミスラがヘルモーズの方へと歩いていくのをぼんやりと見つめた。この契約にノーシスの出る幕はないので、いつも傍観しているのである。
「さあ、ぐだぐだと言っていないで始めましょうか」
きんと空気を張り詰めさせたミスラが、正面からアクイラを見つめる。
「一つ、迅雷の神継ぎアクイラは、その神権を国家のために行使すること。ここに、契約の神継ぎミスラの名を以て、契約を締結します」
深い蒼玉に、どこからかじっと見られている感覚がした。
心の臓の鼓動が耳奥で一際大きく響き、まるでそれすらも、アクイラの体の奥底の蠢きまでも見透かされているような、そんな感覚。
けれどもその異質感は、終了ですよ、と柔らかな笑みを湛えて声をかけてきたミスラによってふつりと消え失せた。
後から襲ってくる体の震えを押し込めて、アクイラはミスラに礼を言う。
アクイラだって人ならざるものの仲間入りを果たしたというのに、彼の本能は目の前の存在をひたすらに恐れているようだった。




