52.
「つっても、俺が話せることもそうないけどな」
そう前置きをしてから、彼は詳細を思い起こすかのように空色の瞳を宙へと向けた。
「エヴレナの魂がここにないってことが分かって、俺は自分の気持ちの整理をつけてからまず嬢ちゃんを心配したんだ。嬢ちゃんは負の感情の表現が苦手なようだし、もしかしたら混乱してるかもしれないってな」
エヴレナと何百年もともにいた彼は、しかし相棒を喪った悲しみに溺れることなく、隣にいる仲間に目を向けた。その切り替えの早さは、たくさんのものとの別れを経験してきたが故の人ならざる者の境地なのか。
「何に関しても、使わなかったら忘れていくし衰えていく。だから、悲しくても上手く悲しめないんじゃないかと思った。泣きたくても、上手く泣けないんじゃないかと思った。実際嬢ちゃんはあの時、全てが抜け落ちちまったみたいな顔でただ茫然と佇んで、雨に打たれてた」
ヘルモーズが、すっと視線を宙からアマニに滑らせる。
「でもそのとき、嬢ちゃんの瞳が青く光ってるのを、俺は見た」
空色の瞳がアマニを、アマニの瞳を、ただ映す。
彼は確かに見たのである。
亜麻色の少女の瞳が、じんわりと滲んでしまいそうなほどに淡く光っていた様を。ともするとふとした瞬間に光の尾を引きそうなほどに強い光を乗せた瞳を。
「俺は驚いたさ、嬢ちゃんに何があったんだってな。でもなぜか、それを見て腑にも落ちたんだよ。この雨は嬢ちゃんの涙だって、心の中から表面に出てこられない強い悲しみが渦巻いて、異能として形を成したんだってな。実際、エヴレナが目を覚ました瞬間に空は晴れ渡っただろ」
思い返せば、確かにそうである。
全身を冷たく濡らすほどに降り注いでいた雨であったはずなのに、みるみるうちに陽が射したのだ。そして今、彼らの体は雨に打たれていたのが嘘のように乾いていた。これが神からの授かりものでなければ、何なのか。
「きっと、心緒の神は嬢ちゃんに感情の吐き出す方法を届けてくれたんだ。手遅れになる前に、嬢ちゃんが本当に分からなくなっちまう前に」
——どうして心緒の神継ぎなんでしょう。
かつてぽつりと口からこぼれた疑問が、霧が晴れるように消えていくのを感じた。ぞわぞわと興奮が体を駆け巡って、さあ喜べと伝えてくる。
しかしその反面、新たな疑問も浮かんでくる。
「あの、異能を使うたびに強い悲しみを感じなければならないってことでしょうか」
「あー……まだそれしか成功してないわけだしな……」
「一度成功すれば、その後は特に使用に関しての制約はなかったりするのでは」
「んなことあるか……?」
「……実際にいま試してみればよいのでは?」
それぞれが好きなように話す中、レイナードがそう口にすると一斉に全員の視線が彼に集まる。
アマニは確かにとでも言わんばかりの晴れやかな表情、エヴレナはいまの今まで聞き役に徹していた兄が喋ったことに対する驚きの表情。ヘルモーズに至っては彼の言がその通りであることは承知しているが、ただで同意するには心が許してくれないような顔をしていた。結局理性が勝って同意していたが。
「それじゃ、いきますよ」
アマニの明るい声とともに、彼女の指が鳴らされ、小気味よい音が響き渡る。
瞬間、彼らの頭上からバケツをひっくり返したかのように降ってくる水。
「首折れたか……!?」
「すみません!!」
思いのほか勢いの激しかった濁流に半分頭を持っていかれかけた面々は、咄嗟に首を触って安全を確かめる。
「……まあ、これでお嬢さんの異能が問題なく使えることが分かりましたね。攻撃としても転用できると」
「攻撃……」
戯れ程度に発生させた水をレイナードに攻撃と言い切られてしまい、アマニは少々肩を落とす。しかし、本人ですら思うところがあるので強く反発はできない。
しかしその場は、荒い運転で突然彼らの視界に現れた車と、そこから現れた青い青年によって収められる。
「——どうしたんですか、皆さん仲良く濡れ鼠で。というかなんか想像の五百倍くらいレイナードさん馴染んでますね」
その顔に心底面白そうな、そして興味津々な表情を浮かべたノーシスである。
「皆さんお疲れなのは百も承知ですが、お話しするなら場所を改めた方がいいですよ」
彼の言葉に、今の今まで当たり前のように外で会話を続けていたことに気が付く。
その反応ににっこりと笑みを浮かべたノーシスは、流れるような動作で彼が乗ってきた車に四人を誘導した。彼らが各々後部座席に収まったことを確認したノーシスは、そのまま運転席に乗り込む。
「待てノーシス……アンタが運転するのか? いつもの運転手は?」
「連れてきていませんよ、なにせ今回はあまり公にできない方がいらっしゃいますからね」
「……本当にやるのか? ドッキリではなく?」
あまりのヘルモーズの焦りようにアマニは小首を傾げかけて、そしてここに登場した際の荒々しさを思い出す。みるみるうちに顔から色が失われていった。
「安心してください、俺たちは多少事故に遭ってもそうそう死にません。怪我はエヴレナさんが治してくれます、……よね?」
黙ったままのエヴレナを不安そうに窺ったノーシスは、そのまま視線を彼女の隣にいるレイナードに滑らせる。
「……この子に憎まれていなければなんだかんだ治してくれるのではないですかね」
「じゃあ俺大丈夫ですね!」
「ノーシス憎まれてない自信あんのか?」
「……ヘルモーズ?」
「えっ俺エヴレナさんに嫌われてるんですか!?」
「……ノーシス……」
ヘルモーズのからかいを真に受けてショックを受けているようなノーシスに呆れた様子のエヴレナが、諦めたように口を開く。
「本当に瀕死の場合にしか異能は使いません。ですから安全運転を徹底してくださいね、痛いのは嫌でしょう?」
「すみません、安全運転でいきます。ただそれで到着が遅くなっても文句は受け付けませんよ」
ぎゅっとハンドルを両手で握りしめたノーシスが、いそいそと車のエンジンを入れた。
「あの、これからどこに行くんですか?」
僅かに揺れた車内の中で、アマニの声が静かに響く。
それに少しだけ振り返って、ノーシスが不敵な笑みを浮かべた。
「第三塔。秘密のお話をするならうってつけの廃墟かな」
「廃墟……?」
仮にも神継ぎの住処でありながら、何故廃墟と称されるのか。
そんなアマニの胸中を読んだかのように、ノーシスがもう一度笑って前を向いた。
「見れば分かる。楽しみにしておきな」
安全運転だと宣言した通り、走り出した車の速度は控えめであった。
それに満足そうにしていたエヴレナは、やがて隣の兄の肩に頭を乗せてとろとろと微睡みに包まれていった。




