51.こころのいとぐち
そばで佇んだままのヘルモーズとも視線を合わせたエヴレナは、またゆっくりと兄へと視線を戻す。
「……兄様、角がとれたのですね」
「ええ、もう悪魔憑きでもなくなったようです。本当に、本当に申し訳ありません。貴方だけでなく我すら忘れて、貴方に貴方自身の身を犠牲にさせる決心をさせてしまって、本当にすみません」
「決めたのは私ですから。……けれど兄様、ヘルモーズたちを傷付けたことは一生かけても許しませんよ」
「ええ。許されようとも思っていません。理性を失っていたからと言い訳もしません。ここにあるのはただ、私が貴方がたをひどく痛めつけたという事実のみです」
悪魔憑きの頃と変わらぬ赤が、悪魔憑きの頃からは考えられないほどの人情味をもって伏せられる。
「ただ、謝罪を。貴方がたにとっては何の意味も持たないかもしれませんが、自身が行った残虐非道さを今の私は理解しています。心の底からお詫び申し上げます。許しはいりません。気が収まらないのなら、どのような仕打ちでも受けましょう。まだ権能自体は残っているようですから、この体は多少のことでは壊れません」
決まりすぎた覚悟をもったレイナードにアマニは少し気圧されて、ちらとヘルモーズを見た。けれど彼がまるで先を譲るかのように肩を竦めたので、アマニは少し困ったような顔をしてレイナードに視線を戻した。
「……私は、今日されたことに怒ってなんていません。人間の倫理観を悪魔憑きに押し付けること自体、間違ったことだと思うんです。貴方がたの普通が私たちにとっての異端だったからといって、それを責められる謂れはないと、私は思うんです」
「……だからといって、許されるわけにもいかないでしょう」
「そうでしょうね。ですが、身を賭してまで貴方と戦ったのだって私の選択です。その結果私の体が細切れにされようと、ひたすら逃げに徹さなかった私の責任なんです。そうできるほどの身体能力を持ち合わせているんですから」
地面に座り込んでいる彼と同じ視線になるようにしゃがみ込んで、反論を探している様子の彼にアマニは柔らかく微笑んだ。
「それよりも、貴方の名前を知りたいです、キツネさん」
「……レイナードと、申します」
「レイナードさん。権能は?」
「彼岸です」
一問一答に戸惑いながらも応えてくれるレイナードに、アマニはより一層笑みを深めた。
「私はアマニ、心緒の神継ぎです。よろしくお願いします」
「よろしく、お願いいたします……?」
話は終わりとばかりに未だ困惑した様子のレイナードの前から退くと、ヘルモーズが苦笑いしながら場所を替わる。
「よし兄ちゃん、次は俺の番だ。といっても、俺は嬢ちゃんみたいに優しくないからアンタのことは許してやらねえけどな」
エッと驚きの声が出そうになるのをすんでのところでこらえたアマニは、当然だというかのように全てを受け入れる顔つきのレイナードをこっそりと窺う。
「エヴレナが許しても俺は許さねえ。嬢ちゃんの言い分も分かるが、それでもアンタがエヴレナを殺したも同然なのは事実だ。護魂の神の気まぐれが無かったらエヴレナは返ってこなかった、嬢ちゃんが異能を土壇場で扱えてなかったら返ってこなかった!」
「エッ」
今度こそ衝撃で口から驚きの声が飛び出てしまって、アマニは咄嗟に自分の口を手のひらでふさぐ。
自力で起き上がってレイナードの隣に緩く正座をしているエヴレナと目が合って、アマニは小さく首をすくめた。
「いいか、絶対に忘れるなよ。例え今エヴレナが生きてようと、アンタは自分の大事なものを自分の手で一度壊したんだ。エヴレナの魂の感触を、一生忘れるな。そんでもう二度と、エヴレナを悲しませるな」
険しい顔つきでそう言い放ったヘルモーズに、レイナードはいささか困惑したような顔になる。
「……貴方自身への、償いは? 私は二度も貴方を領域に引きずり込みましたし、一度目だって貴方のご戦友がいらっしゃらなければ魂を摘み取っていました」
「俺は別に。死んだところで神の御許に還るだけだし、むしろそこでそいつに会えたらいいくらいにしか思ってねえしな。でもアンタとエヴレナはこの世でたった二人の兄妹だろ。泣かせたら承知しないぞ」
「……私はそうやすやすと泣きませんし、貴方は私の何のつもりですか」
「400年も一緒にいたパートナーだろ。情も湧くに決まってる」
それまで静かに耳を傾けていたエヴレナが、たまらずといったように口を挟む。
それに恥ずかしげもなく堂々と断言したヘルモーズに、アマニは感動でそっと口元を押さえ、そしてすす、とエヴレナの横ににじり寄っていった。呆れたような視線をヘルモーズに送っていた彼女は、アマニの姿に気が付き、素直に耳を貸してくれる。
「——エヴレナさん、エヴレナさん。ヘルモーズさんの戦友さんって亡くなっておられるんですか?」
「そうですね。戦争終結のときの混乱の中で姿を消したらしいのですが、ノーシスによるともうこの世界に存在していないと。英知の神継ぎである彼の言葉をもって、私たちは鎮守の神継ぎであった彼——イージスを、帰らぬ人とみなしました」
アマニの囁くような声に合わせてトーンを落としてくれたエヴレナの返答に言葉を詰まらせて、アマニは俯く。
「神継戦争は、例え神継ぎだったとしても生き残れないようなものだったんですか」
「そう、ですね……。あの戦争では、敵国の神継ぎを殺してしまえばその国を制圧できたも同然でした。ですから神継ぎは最も攻撃を受ける立場にいまして、なおかつ往々にして前線に立たされたものですから、神継ぎの生存能力の高さをもってしても死亡リスクは高かった。それこそ、自衛の手段をもたなかった神継ぎは瞬く間に命を散らしたのでしょう」
ゆっくりと瞳を瞬かせたエヴレナがその紅玉を陰らせたのを見て、アマニはハッと目を見開く。
「すみません、戦争の記憶なんて忘れていたいですよね……!」
「いえ……。私の国は少し違う手法で戦っていたものですから、実際にこの目で見たわけでもないですし。それより貴方、他にも聞きたいことがあるのでしょう?」
そっと引導を渡されて、アマニはきゅっと口を結ぶ。何故分かったかなんて、そんなの先程目が合ったからに他ならないだろう。
「……私が土壇場で異能を使ったってヘルモーズさんが言ってたことについて、もう少し詳しく聞きたいんですけど……。でも、きっとあの口ぶりからしてエヴレナさんが目を覚ます前でしょうし、聞かれても困りますよね」
アマニはしょんぼりと肩を落とした。
しかしエヴレナは、アマニの予想に反して穏やかに口を開く。
「私、貴方に言いましたでしょう? いつの間にヘルモーズとお揃いになったんですか、と」
「ああ、そういえば……。てっきり顔つきの話かと思っていたんですけど……」
「表情も大分似てはいましたね。私を心底心配してくださった顔。ですがそれよりも、私が言いたかったのは貴方の瞳についてですよ」
思いもよらない返答に、アマニはきょとんと目を点にした。
「瞳、ですか?」
「はい。ヘルモーズとお揃いの空色……いえ、もっと深い青だったかもしれません。とにかく、今の貴方の虹色のような瞳ではなくて、青が強かったんです」
「あお……」
「なんだー? 嬢ちゃんの異能の話してんのか?」
自覚がなくて首を傾げるしかないアマニは、隣から首を突っ込んできたヘルモーズを見た。どうやら無事にレイナードとの話し合いは済んだらしい。
「俺は一部始終を見届けた人間だからな、全部話してやるぜ」
「おおー!」
歓声を上げたアマニに、ヘルモーズが得意げに笑った。




