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46.兄妹喧嘩は命でもって

「……まあ、傷一つ負いませんよね」


 辺りが更地になれど、その中心にいたはずの彼は無傷に等しい。ここは彼の楽園(領域)であるから、どれだけの衝撃が襲おうが全て防がれてしまうのである。不意打ちでなければ、の注釈はついてしまうが。

 まさにその不意打ちによって体に打ち込まれた薙刀をゆっくりと抜き、それを支えにして立ち上がる。

 傷口からとめどなく血は溢れているし、左腕は千切れかけで、抉られた太ももは筋肉が傷付いてしまったのか初めの数歩は力が抜けてしまったが、しばらくそのまま歩き続けると気にならなくなった。力技である。

 そのままゆっくりと地面に伏しているアマニの方に向かっていく。もう薙刀は杖として使っていないが、惰性で持ってきていた。

 少女は意識を飛ばしているようで、レイナードが近づいてもぴくりとも動かなかった。着地の時点で気を失っていたのか、着地の衝撃で気を失ったのか。どちらにせよ上手な着地はできなかったようで、あばらがさらに深く患部に食い込んでいてまともに呼吸ができていなかった。


「苦しそうですね……。一足先に、貴方だけでも彼岸に送ってさしあげましょうか」


 レイナードの言葉に、何一つ返ってくる声はない。

 アマニとヘルモーズが必死に守ろうとしていた人間たちは早い段階で気絶していたし、ヘルモーズも先程、想像を絶する痛みに気をやった。それでも想定よりも長いこと意識を保っていたほうである。だとしても、彼の吊し上げはまだやめるつもりは毛頭なかったが。

 レイナードの後方に全てを呑み込んでしまいそうなほどの黒々とした亜空間(彼岸)が広がって、彼は一つ瞬きをした。ゆったりと手のひらをアマニに向けて、彼女の魂を摘み取る。


 その、はずだった。


 旋風すら巻き起こす勢いで、目の前に白が沸き起こった。

 それに瞠目して、そしてレイナードは正しくその白の正体を認識する。

 蝶であった。神々しさすら感じさせるような真白の蝶が、まるで虫籠から放たれたかのように、ある一点から四方八方へと舞い散っていく。

 そして、まるでそれらを纏うようにして宙から降り立ったのは、少女と女性の境目にあるような、ゆとりのある漢服を身に纏ったひと。


「——いけませんよ兄様(あにさま)。貴方に、この子たちの命を好き勝手する権利はありません」


 美しい紅玉の瞳が、薄暗がりの中で妖しく光っていた。

 それを真正面から受け止めて、レイナードはゆっくりと彼の赤を瞬かせる。

 そして、先程の出会い頭にかけられた言葉に思いをはせてゆったりと瞳を細めた。


「妹。私は貴方の存在を知ってから長らく、貴方に会いたいと思っていたんですよ」

「ええ、(わたくし)も。ずっと、それこそ貴方がそうなって(わたくし)たちが離れ離れになってしまったあの日から、お会いしたいと思っておりました」


 丁寧な口調とは裏腹に強い意志をもった瞳は、これまた彼女の言葉とは裏腹にちっとも感動を匂わせないままにぐっと細められる。レイナード自身それを期待していたわけでもないが、そのちぐはぐな乖離に少し拍子抜けした。

 けれども彼は、すぐにその態度を改めることとなる。


「貴方にお会いして、そうして——」


 袖の中で、彼女の白い拳が強く握られた。


「——貴方を一度、殴り飛ばしたいと思っておりました」


 素早くレイナードの腹に突き出された拳は、けれど武術を知らないままに弱く、拙い。

 そのはずであるのに、何故彼の体は吹き飛んで、その衝撃のままに吐血しているのか。


(わたくし)はあの時、確かに貴方に庇ってもらわなければ爆撃で死んでいました。けれどその代わりに、(わたくし)の代わりに死ぬ兄がどこにいるのです! 下手に医術の能があるために貴方の死を悟ってしまった(わたくし)の気持ちが分かりますか! 死亡したはずの兄が動き出して、けれどその目に(わたくし)を映してくれないことの絶望が、愛する兄が処刑対象としていつ殺されるとも分からない恐怖がどれほどか、貴方に分かりますか!」


 手の甲で血に濡れた口元を拭いながら、レイナードは顔を歪めて思いのままに慟哭している妹を見た。

 権能なのだろうが、それならばもっと、武術に長けたような、他人を殴り慣れた動きになるはずである。


「許しません、勝手に守って勝手に死んで、勝手に(わたくし)のことを忘れた兄様のことなど」


 ぐ、とエヴレナの顔が泣きそうに歪んで、そっと紅玉が伏せられる。

 一拍ののちに開けられた瞳には、もう妹としての色はなく、大人びて冷たい光を帯びていた。


「そして、(わたくし)の愛する子たちをここまで痛めつけたからには、絶対に許してなどやりません」


 自然とレイナードの視線が妹の背後に横たわる少女に向けられ、そして目を見開いた。

 彼女の顔はもう苦痛に歪められてはおらず、顔色もよくなってきていた。そして何より、流された血は拭われてはいないものの、体表に刻み付けられていたはずの傷がすっかり癒えている。

 いつの間に。

 続けざまにヘルモーズを確認しようとしたレイナードの視線は、けれど微かに身じろぎをしたアマニに吸い寄せられる。


「……エヴレナさん?」

「はい、遅くなってすみません」


 寝起きの子どもに相対するときのような、柔らかい声音がレイナードの耳を撫でた。


「全身的に治癒したのですが、不調は残っていませんか」

「いいえ、もうどこも痛くないです……」

「良かった。眠いですよね、眠っていて大丈夫ですよ」


 初めてエヴレナに頭を撫でてもらえて、アマニは夢うつつの状態でふふ、と笑った。


「……身内の不始末は、身内が清算しなくては」


 不穏な言葉が、アマニの脳内を引っ搔いた。

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