44.
「おや、貴方……薙刀の。久しいですね」
つ、と彼の赤い瞳が辺りを見渡して、そしてちらりとヘルモーズを見やる。
「あの頃の相方には逃げられたのですか? また見慣れない方ですね」
正体を知らずとも悪魔憑きだと分かるその風貌にか、視線の先のヘルモーズが警戒を露わに瞳を細めた。
前回のように異形は領域から淘汰されているようだったが、生きている人間はそういうわけにもいかないらしい。今もヘルモーズの背後で異様な光景に目を見開いて硬直していた。
「この間は乱入者のせいで満足に戦えませんでしたし、貴方、少しは強くなったのでしょう? どうぞ、私を楽しませてから彼岸を訪ねてくださいね」
艶やかに目を細めてみせたレイナードが、予備動作なしにその場から掻き消える。
けれど、彼が次の瞬間にその手にしている鎖鎌の分銅部分を振り下ろす先は、アマニではない。
「ヘルモーズさん!!」
思わずアマニが声を張り上げた先、ヘルモーズは、咄嗟に蹴り技で横から分銅を突き、その軌道を反らしたようである。
それに僅かに目を見開いてすぐさま分銅部分を引き戻したレイナードが、今度こそしっかりとヘルモーズの空色の瞳と視線を合わせた。
「反応速度、最小限の回避行動、重心の把握とその突き崩し。弱いながらに相当な場数を踏んでいますね。……貴方、あの戦争の経験者で、尚且つ前線に立っていましたか」
考えるように赤い瞳が伏せられても、全身でこちらの出方を窺っていることがひしひしと伝わってくる。まるで攻め入る隙のない出で立ちだった。
「今いる神継ぎなんてほとんどそうだろうよ。ちなみに、戦争時代にアンタに会ったことがあるっつったらどうする?」
「私は人間時代のことは覚えておりませんよ」
「その状態になってからだよ。アンタのこの領域に連れ込まれて、瀕死にまで追いやられたチビがいただろ」
レイナードがゆっくりと瞬きをした。
そのままヘルモーズを観察するように眺めた後、彼は合点がいったかのように表情を晴れやかなものにした。
「思い出しました、そういえばいましたね。殺してほしいとばかり言うのでつまらなくて、瀕死の状態まで嬲っても変化がないのでやはりつまらなくて、もう殺してしまおうとした瞬間に助けが現れた、哀れな小童が」
思い出すままに言葉を並べるレイナードの声が、ただ一つ、響いていた。
「目の前で陳腐な友情物語を見せられている気分でしたが、なんともまあここまで目に光を取り戻してしまって……。そういえば、あの時に助けに来た異能者は今日はいないのですか。万物を拒絶する強固な防壁使いでしたね。私の領域効果もことごとく無効化するものですから、当時は本当に未知に出会ったと思いましたが……」
回想は終わりとばかりに、レイナードの首が小さく傾げられる。
口元に上品に指先が添えられ、うっそりと瞳が細められた。
「お二方まとめて、再戦といきましょうか。今度は邪魔が入らないといいのですが」
ちり、と張り詰めたその空気は、まごうことなき攻撃開始の合図だった。
アマニが素早く走り出すと同時、レイナードが笑みを崩さないままに口元に添えていた指を振るった。
アマニの斜め後ろ、ヘルモーズがいる辺りを豪風が駆け抜ける音がした。次いで、誰かが息を詰める音。
「おや、貴方を傷付けるつもりは毛頭なかったのですが……」
近接戦に応じたレイナードの鎖鎌をいなしつつ、アマニはレイナードを飛び越えてヘルモーズたちが位置する場所に着地していた。視線を定めた鎌の端、舞う血飛沫に視線が吸い寄せられそうになった瞬間、聞いたことのないヘルモーズの大声が耳を打った。
「俺らを気にするな! 攻撃が来るぞ!」
けれども、アマニはすでに視界に映してしまった。
彼が地面に手のひらをついて体を支えている様を。
否、本来なら四本の手足で支えられているはずの胴は、危なっかしく左に重心を寄せている。
彼の右腕が、ない。切り離された彼の右腕は、まるで別の生命体のように地面に転がっていた。
「ヘルモーズさん!!」
「気にするなって言っただろ! こいつらは俺が守るから、アンタはそのキツネのことだけ考えてろ!」
鋭い声に叱咤されるようにして、アマニは迎撃を再開する。
腹を抉ろうとする鎌を弾き、頭を潰そうとする分銅を避け、薙刀の自由を、アマニの自由を奪おうとする鎖から逃れる。
それでも、凄まじい攻防に少しずつ、しかし確実に消耗していく。
頬がぱっくりと割れた。額を切られて、生暖かい血が右目に流れ込んだ。髪が斬撃で千切れて、そのまま地面に落ちていった。薙刀を握る手の甲にまで、どこからかの出血が伝っている。
裂傷だけではない。分銅を受け続けた腕は、きっと打撲根だらけであろう。時折アマニですら把握していない傷口をもろに打たれ、鋭い痛みに追随するように鈍い痛みが響いていた。
ちら、とレイナードの赤がアマニから逸れた瞬間に、アマニは右手で隠し持っていた短剣を左から薙いだ。
けれどもその刃はあと首の皮まで数ミリというところで何かに阻まれる。
赤い瞳が、流し目で目を見張っているアマニを映した。
「ここは私の領域ですよ。これくらいのことは造作もありません」
間髪を入れず、アマニの脇腹に払うような横からの拳が入る。
激痛。
そうして離れたところに吹き飛ばされた少女の体は、何本もの彼岸花をへし折って地面に衝突する。運悪く巻き込まれてしまった真白の蝶が、無残な姿となって彼岸花と共に息絶えていた。
受け身を取ったアマニが次の攻撃を警戒してすぐに顔を上げるも、目の前に予想していたような追い打ちはない。
その姿は、ヘルモーズの目の前にあった。
急いで立ち上がろうとして、アマニは体の内部を走る得も言われぬ痛みに思わず固まった。息すら詰めて、けれど力みすぎないように、何一つ振動が体にいかないように、ほとんど本能のままに動きを止めた。
けれどもそのままというわけにはいかない。
なるべく肺を膨らませないよう、浅い呼吸を心がける。
けれど、アマニはそこでひどく違和感に襲われた。まるで、片方の肺でしか呼吸ができないような、必死に、右の肺が収縮を繰り返しているかのような。
けれどアマニは、決して自分の体を見下ろそうとはしなかった。自分の現状を正しく目にしてしまえば、途端に足がくず折れてしまいそうだったので。
だからアマニは、まずは薙刀の形を確かめるように握りしめて、そうしてゆっくりと足に力を入れた。




