41.忘れてしまったもの
「——エヴレナさん、これはセリですか?」
珍しく朝から第四塔にいたエヴレナは、せっかくなのだから休めばいいという言葉に首を横に振った。日ごろからコツコツと集めて天日干しにしていた薬草たちを、この機に薬にしてしまうのだという。
久々に三人で薬草の匂いに包まれていたが、作業を進めるエヴレナとヘルモーズとは違い、アマニには一つの課題が与えられていた。
「いえ、それはドクゼリですね」
「うそ……」
薬草と毒草の見分けである。
曰く、第四塔に移住するのならこれくらいはできるようにならないといけないとのこと。
今のところ正答率は六割弱であり、鑑定士レベルでいうとまだまだ不安が残るといったところであろうか。正誤判定をするエヴレナはただひたすらに淡々と結果を告げているが、正解するとそれにさらりと誉め言葉が付け足される。
そして、嬉しくなって止められないほどの笑みが零れるのを、ヘルモーズが微笑ましそうに見ているのである。
「セリの効能は?」
「涼性の薬草なので、解熱や利尿作用があります!」
「ええ、合っています。この手の暗記で貴方が困ることはなさそうですね」
エヴレナの手元、ごりごりと薬研で橙色のものがすりつぶされているのを、アマニはじっと見つめる。
そんなアマニの様子をちらと確認して、エヴレナがその形の良い唇を開いた。
「それでは、私がいますりつぶしているものはなんでしょう?」
「えっと……ミカンの皮、ですか?」
「そうです。去痰の作用があるので、これも風邪薬として利用できます」
立ち込める草の匂いに混じってほのかに香る柑橘のそれにアタリをつけたアマニの回答は、どうやら正解を引き当てたらしい。新しい知識を得たアマニが驚いたように目を見開いて、再び手元のミカンの皮に視線を落とす。
「ちなみにこれは、貴方がここに来た日にルディヴィーさんが食べていったミカンの皮です。ヘルモーズが残した皮はあちらに」
エヴレナが示した先を見ると、そこにあったのはまだ原形を保っているミカンの皮の山々。
「……多くないですか?」
「毎日のように食べているので。私は普段食べないので、有難いと言えば有難いのですけれど」
「そ、れにしても多くないです……?」
「なんだなんだ、俺が大食いって話かー?」
「ぎゃーっ!?」
少し距離のあるところで作業をしていたのもあって会話に混ざってくるとは思いもしなかったので、アマニの心臓が盛大に拍動を始める。
「すまん、そんなに驚くとは思わなかったぜ……」
「いえ、私の心臓と肝が弱いばかりにすみません……」
息も絶え絶えに返してくるアマニに苦笑したヘルモーズが、エヴレナへと視線を移す。
「そろそろ作り置きしてた蜂蜜飴がダメになるから、八つ刻でちょうどいいしみんなで食べねえかと思って持ってきたんだが」
「そうですね、そうしましょうか」
そう同意したエヴレナは、薬研を脇に置き、長時間の作業で強張った体を控えめに動かしほぐした。
「蜂蜜飴、ですか?」
「ああ。喉の乾燥によく効くんだ。そうでなくとも甘くて美味しいからな、子どもには人気だぞ」
琥珀色の飴を一粒取り出して口に放り込んだヘルモーズは、そう言いながら瓶をアマニに差し出してくる。
それをありがたく受け取って口に含むと、途端にまろやかな甘さが口内を満たした。
「抗菌や抗炎症作用もありますから、とても便利な代物なんです」
同じようにしているエヴレナが、そっと情報を付け加えてくる。
またもや知らなかった事実に、アマニは数度瞬きをしてほんわか笑った。
「エヴレナさんは何でも知っていますね」
「薬のことに関してだけですよ。人間時代は薬師でしたから」
「えっそうだったんですか?」
やたらと薬研や乳鉢を扱う姿が様になる人だとは思っていた。薬草の匂いがよくなじむ人だとも思っていた。
だけれどまさか、本業の人だったとは。
「あっでも、私知ってますよ。一番優しくてよく効く薬はエヴレナさんの手ですもんね」
ふふ、と穏やかながらに得意げに少女が胸を張る。エヴレナが一撫でしたそばから瞬く間に治る傷を知っている。優しさにたくさん浸した筆で、傷跡をそっと撫でられるような感覚なのだ。
ころ、と飴玉が軽く歯に当たる音がして、軽く目を見張っていたエヴレナが氷が解けるように笑んだ。第四塔に来てからアマニが初めて見る、エヴレナの想いを宿した笑みだった。
「ええ、そうですね」
紅玉が美しいほどに煌めいていて、アマニはただただそれに見惚れていた。




