04.
「——皆さんようこそお越しくださいました。本日は悪魔の家の処刑日にございます」
広場の壇上に上がった男が、慇懃に頭を下げた。その隣に鎮座するギロチンが、ひどく異色を放っていた。
縄に戒められた状態でそれを見上げたアクイラは、見世物にされていることの不愉快さに顔を歪ませた。そのまま視線をそらした先で、いまのアクイラと同じく白けた表情で壇上を見上げるフードを被った男が視界に入る。向こうも視線に気が付いたのか、フードの奥の冷たいアイスブルーの瞳がアクイラを映して、——そして、にっこりと笑んだ。
「……? ……あ」
あまり見覚えのない配色だと思いながらとりあえず会釈の姿勢を取ろうとして、しかし人を食ったような笑みに覚えを感じて中途半端な姿勢で固まる。
——まさか本当に見に来たのか、あの人は。
視界に入らないように思い切り顔をそむけたアクイラを、ノーシスがにやにやと見ていた。
そんな二人のやり取りを他所に、処刑人は言葉を連ねていく。
「——先日発生した惨事は、皆さんの記憶に新しいでしょう。元凶は悪魔に堕ちた一人の男、フィニクスです。かつて彼は、とても良く働く好青年だったと言います。それが今では町一つを半壊に追いやった大罪人。何とも無情な世の中です。だからこそ、彼には死の救済を与えましょう。生前の善行を讃え、彼がもう罪を重ねずにすむように」
くるり、と処刑人が後ろを振り返る。
「そして習わし通り、彼の家族は殺さねばなりません。私共としてはとても心苦しいのですが、それでもしきたりですから」
強めに縄が引かれ、つられて足が前に出る。
アクイラの前には、つい先ほど再開した両親が同じように縄を引かれている。一瞬だけちらりと見えた彼らの表情は、死に絶望しているでもなく、とても険しかった。
壇上に上げられ横に並べられた三者は、何とはなしにただ無言で観衆を見下ろした。特に話すこともなかったし、怯えることもなかった。
するりと横に並んだ処刑人は、そんなアクイラたちの表情をじっくりと見ながら口を開く。
「何か、最期に言い残すことはありますか。陳腐なものでも聞いてあげますよ。そうですね、過去には自分たちにそのような子どもはいないと叫んだ者もいたらしいですね。どうですか、やはり悪魔の子なんて貴方達は知らないのですか」
アクイラは思わず顔をしかめた。
分かりやすく表情に出したアクイラをちらりと見やった処刑人は、しかしあくまで両親に詰め寄るらしい。性根が腐っていると心底思った。
「——まず言わせてもらいますが、フィニクスは悪魔の子ではありません。正真正銘、私たちの息子です」
「……おや」
母親の凛とした声が、広場を割った。
「悪魔の子? あの子が? 笑わせないでください。皆さんはあの子の何を知っていると言うんです。知らないことを知った気になって総叩きするのはお止めなさいな。お里が知れますよ」
その語気の強さに気圧されていた観衆が、しばらくしてようやっと我に返る。波紋のように広がる彼らのざわめきを、母親は冷たい相貌で見下ろしていた。
「——でも! 実際にお前の息子の理性は切れたし、町だって酷い有り様じゃねえか! あれが悪魔に魅入られた奴じゃなかったら何なんだよ!」
観衆から飛び出てきたその声に、同意と野次が勢いづく。
それに、今度は父親がゆったりと首を傾げた。
「理性が切れていたというのなら、何故私たちは生きてこの場に立っているんです? 何故、怪我の程度はあれど、誰一人として死んでいないのですか? それは偏に、彼の理性が最後の最後で踏みとどまったからではないかと、何故誰も考えないのですか」
風貌も性格も、物言いさえも兄によく似た、否、兄がよく似た父親は、瞳をすがめて笑った。
「ああそれとも、考えたくないのですか。あの子への批判が楽しいのでしょう。罵詈雑言が楽しいのでしょう。相手をただの化け物だと思えば、罪悪感など無いに等しいですからね」
化け物はどちらでしょう、と落とされた声音は、柔らかく、それでいてよく響いた。
しんと静まり返ったこの場で、今まで傍観に徹していた処刑人がするりと動いた。
「そう、なるほど。とても素晴らしい息子想いの吐露でしたよ。思わず私も慈悲の心でもって処刑を取りやめたくなりました」
芝居がかった口調でそうのたまった処刑人は、くるりとこちらを振り返った。日の入りを背後に、顔面に影がかかる。人差し指が添えられた口元が、ゆっくりと弧を描いた。
「……しかし、大衆はどうでしょうか。図星を突かれた小心者は、ここぞとばかりに牙をむきますよ」
アクイラがその意図を図りかねて戸惑った矢先、鋭い声が空気をつんざいた。
「——あいつらは異端者だ!」
そしてそれを皮切りに、突然広場が喧しくなる。
曰く、俺たちを洗脳しようとしている、悪魔と契約を交わしたのだろう、人の振りをした悪魔だ、ギロチンなど生温い、——嬲り殺せ。
「ほら、だから言ったのに」
処刑人の憐れむような声音に、アクイラは思わず何を白々しいと嚙みつこうとして、しかし処刑人の瞳の奥で揺らめく狂気に気圧されて口をつぐむ。
「皆さん、彼らの処刑法は議決されたものなんです。この場でそれを変更する権限なんて、私にも、もちろん皆さんにもありません」
しかしその声音は残念そうではない。処刑人はその顔にゆっくりと笑みを刻んだ。
「ですが安心してください。皆さんもよく知っているでしょう? 私、こういうのは得意なんです」
含みのある言い方に、アクイラは眉を顰める。
理解のいっていないアクイラとは裏腹に、観衆には正しく意味が通じたらしい。不快な喧騒が止み、嫌らしい笑みを浮かべる者すらいるのが見えた。
嫌な予感が背筋を震わせる。
思わず縋るようにノーシスの姿を探したけれど、雑踏のどこにもフード姿の人間は見当たらなかった。
「執行は親からにしましょうか。あまり先延ばしにするのも悪いですからね。一足先にあの世で息子のことを待っていてください。この子のことも、いまここにはいない息子のことも」
この子、と肩に乗せられたひんやりとした手のひらを払いのけたくて、さりげなく肩を回す。案外あっさりと離れた男は、そのままギロチンの方へと歩みを進める。
そういえばそうだった。あの男は処刑人で、司会進行役というわけではなく、アクイラの両親の首を落とす役目で——
そこまで考えたところで、アクイラと処刑人の視線が交わった。楽しくて楽しくて仕方ないのだというような、笑み。理性が、本能が、何かを疑えと訴える。
処刑人からわずかに視線をずらせば、断頭台に首を差し出す父親の姿。そして、さらに視線を動かせば、鈍く光る鋭利な刃。
「……あれ……」
刃の、形状。あれは、果たして半月状であっただろうか。
そのままいままで目をそらしていたギロチンの刃をまじまじと見て、血の気が引いた。
どうして、刃先があんなにも荒れているのだろう。あれではまるで、一度の斬撃で首を落とすつもりはないとでも言うかのような——
そうして唐突に、アクイラは理解した。
ギロチンの刃は、遅くとも前日までにセットされる。つまりこの現状は、今さっきの大衆の意向を反映したものではない。
彼らは端から、最大の苦痛とともにアクイラたちの首を落とそうとしていたのだ。
処刑人が、全てを悟ったアクイラの表情に気が付いて、瞳を歪める。
アクイラの脳の血管が破れたような音がした。
処刑人が傍らのレバーに手をかけて、……そして。
茜に染まりかけた空を割った稲妻が一つ、大地を揺らした。
体を突き破るように落ちたそれに身を包まれながら、アクイラは確かに、紫電の人ならざるものの視線が自身に降り注いでいるのを感じた。
悲鳴、そして動揺と混乱。
唐突だった。それは、アクイラの兄、フィニクスが悪魔憑きとなったあの瞬間を思い起こさせるような、前触れのない出来事だった。
そしてアクイラは、その混乱を知っている。
故に、誰よりも早く情報を処理できた。
自分が人ならざる力を得たことを正しく理解し、そして、人の身では到底発揮しえない脚力をもって処刑人の元へと踏み切った。腕を縛っていた縄も、まるで綿のように千切れた。
稲妻の発光に視界をやられたらしい処刑人の首は、拍子抜けするほど容易く掴めた。
「……貴方は、処刑人という立場でありながら命を弄ぶんですね」
父親の命を握るギロチンのレバーから大きく引き離し、その勢いのまま地面へと叩きつける。
息を詰まらせた処刑人は二の次に、アクイラは手のひらをギロチンへと向ける。
手の内で、雷が生まれ揺らめいた。
そのエネルギーを放出しようというところで、横から伸びてきた薄い手のひらがアクイラのそれに重ねられる。傷つけないよう咄嗟に雷を打ち消したアクイラは、次いで視界に入った群青の青年を見やる。
「危ないんですけど」
「仕方ないでしょ、咄嗟に手が出ちゃったんだから」
いつの間にか姿を消したと思っていたノーシスがひらひらと手を振る。
「あのね、早くお父さんを断頭台から下ろしたいのは分かるけど、そのやり方じゃギロチンと一緒にお父さんも吹っ飛ぶよ」
「でも俺、他にやりかたが分かりません」
「だからといって、そんな脳みそに筋肉が詰まってるみたいな行動やめてくれる?」
心底困ったような視線を受けて、アクイラの眉が顰められる。
しかし特段言い返すことはせず、ふいと顔を背けて父親の元へと走り寄った。初めて見る固定具を外そうと四苦八苦していると、背後からノーシスの顔が手元を覗き込んでくる。
「そこより先に、こっち」
静かな声音に導かれながら、今更ながらに震えてくる指先で一つ一つ丁寧に仕掛けを外していく。
父親の首が解放されるまでに、さほど時間はかからなかった。
「アクイラくーん。刃外して粉砕ってのも破片が飛び散るから駄目だよ?」
「分かってますよ」
鈍く光る刃をぼーっと眺めていたら、ノーシスが悪戯な笑みを浮かべて顔を覗き込んできた。そのうっとうしい視線から逃れつつ、今度は所在無さげに立つ父親に視線を向ける。どうやらまだあまり事態を呑み込めていないようだった。否、それはこの場にいるほとんどの人も同様である。
「あ、の……」
恐る恐るといった風体で声をかけてきた警備の男性が、振り返ったアクイラの金の瞳を見て喉を引きつらせる。
それに疑問を覚えて瞳を細めたところで、ノーシスの手のひらがアクイラの視界を覆った。突然のことに文句を言おうとしたアクイラは、しかしそれより早く話し始めたノーシスに大人しく口を閉じる。
「あー、ごめんね。神様と一瞬でも繋がった後って闘争本能が強く出るから。君らも文献で一回くらい読んだことあるでしょ?」
「やっぱり……!」
手のひらの内でゆっくりと瞬きをしたアクイラは、そっと上を向く。指の隙間から、フードを取り払うノーシスが見えた。瞬間、成り行きを見守るだけだった周囲がざわめく。
「あっ英知の……!」
「そう、ノーシス。ここに、迅雷の神継ぎが新たに誕生したことを宣言しよう」
ゆっくりと手のひらが外され、とん、と背中を押される。見上げてくる無数の瞳から意識を逸らし、処刑人に視線をやる。いつの間にか立ち上がっていたその男は、現状に悔しそうに歯噛みしていた。
「だから、この一家の処刑は無効。証人は俺だから、この決定が覆ることはない。いいね?」
気圧されたように渋々、男が頷く。
「それと君、愉悦の神継ぎになることは諦めた方がいい。君の努力は方向性が間違っているし、そもそも愉悦の神の興味は君に欠片も向いていない。だから今回みたいな非人道的な処刑は止すべきだ。何の意味もない」
淡々とそう言ったノーシスは、反応など期待していないかのようにくるりと背を向ける。
「付いておいで、アクイラくん。君らもね」
アクイラの両親に視線を合わせて微笑んだノーシスは、さっさと壇上から降り、広場を後にする。
両親がちゃんと付いてきていることを確認してから、アクイラは早歩きでノーシスの隣に並ぶ。
「あの、たくさん聞きたいことがあるんですけど」
「うん、分かってる。あとでね」
軽い調子で返されて、アクイラはそっと隣のノーシスを見上げる。
「ありがとうございます。あの場を収めていただいて」
「うんうん、もっと感謝してねえ」
途端微妙な顔をしたアクイラに軽く吹き出して、ノーシスはぐしゃぐしゃとアクイラの鳶色の髪の根元をかき回した。




