35.
恐らくこの話はこれから堂々巡りに入る。
そうなる前に話題を挿げ替えてしまおうと、アクイラはふと頭をよぎった疑問をそのまま口にした。
「……ビーマさんが第五塔に行った経緯は大体分かったんですけど、他の方々はどうしてあそこにいるんでしょう? 俺は兄が悪魔憑きだから、もう一人の同期は神権が慈愛の災厄を連想させるからっていうのは分かってるんですけど」
それまで続いていたヴァルグルとスルトのやり取りがぴたりと止まり、二人の意識が完全に新たな話題に移ったのを感じ取る。
先程までの慰めには参加していなかったユーフォニアも、考えるように視線をさまよわせていた。
視線を伏せていたヴァルグルが、お偉いさんの考えてることはよく分からないけど、という前置きと共に口を開いた。
「ヴィーちゃんって元々政府から嫌われてたんだよな。まあヴィーちゃんも嫌ってたし困ることなかったけど。んで、ミスラさんとの契約のときに、アイツ笑顔で言い放ったんだよ。君らの不利にはならないけど有利にもならないから、私は私がしたいように生きていく、ってね」
「当然激怒されたらしいけれど、ミスラさんが予め契約内容に変更を加えることは許さないってこれまた契約していたから、表立って違反していないルディヴィーを処罰することはできなかったのよね」
「そ。でもそのままさよならじゃ腹の虫が収まらないから、嫌がらせとして第五塔に送られたんだろうなって俺は思ってる。ヴィーちゃんにとっては好きなことできるし楽園でしかないだろうけど」
苦笑いでそう締めくくったヴァルグルは、しかし続いてレーヴについて首をひねる。
「レーヴさんについては俺よく知らねえんだよな。神継戦争の初期に俺生まれたんだけど、物心ついたときにはあの人はもう神継ぎとして戦ってたし」
「今いる神継ぎでヴァルより歴が長いのはレーヴさんとミスラさんの二人だけなんでしょう? ヴァルが生まれるより前に政府との間に何かがあったのではなくて?」
「そうだとしても、塔の振り分けのときにはもう当時の政府の人間なんて生きてないじゃん? あの人すっげえ強いし、絶対第二塔だと思ってたんだけどなあ。スルトお前、なんか知らねえの? 戦争終結から塔成立の短い間だったけど、なんかあの二人と仲良さそうにしてたじゃん」
不思議そうに首を傾げていたヴァルグルは、先程から珍しく黙ったままのスルトに話を振った。
突然のことに驚いたような顔をしたスルトは、きっとそのサングラスの下で目を瞬かせているのだろう。
「うーんそうだな……。あ、俺あの二人が慈愛の災厄の数少ない生き残りだってことは聞いた」
「え、マジ?」
「うん、マジ」
大真面目な顔をして頷き返したスルトと、それに呆気にとられたような顔をしている彼らのやり取りを見ながら聞いた話を静かに整理していたアクイラは、ふと降ってわいた疑問に首を傾げる。
「……あの、慈愛の災厄って今からおよそ千年前の出来事ですよね?」
「マジじゃんヤバ、長生きすぎね?」
「気ぃ狂ってもおかしくねーよなあ」
ぱた、と机に伏せったスルトが、ぽつりとそう呟いた。
「慈愛の災厄って、結局言い伝え通りなの? 私てっきり、古人が作り出した夢物語だと思っていたわ」
「俺もそれ聞いてみたんだけどさ、中らずと雖も遠からずですね、ってミスラさんに言われて終わったんだよなー」
「一部はフィクションってことかしら」
「えー、そうだとしたらどこが? 慈愛の神による粛清のとこ? 人類滅亡の危機のとこ?」
指折り数えて一つ一つ考えられる事象を挙げていくヴァルグルも、少しずつスルトのように体勢を崩していく。
慈愛の災厄の話は、簡単な書物にまとめられている。
かつて人間は、慈愛の神継ぎに無礼を働いたのだという。それを知った慈愛の神は心底人間に呆れ、そして彼らはこの世に存在しなくてよいものと結論付けた。神の圧倒的な力に到底敵うことのない人間は、それでも持ち前のしぶとさで辛うじて生き残り、今もなお命を繋いでいるという、そんな神話。
それ故に、神継ぎを怒らせてはいけないのだと、彼らは神の寵愛を一身に受けているのだから、決して粗末に扱ってはいけないのだと、そう後世へと教訓を伝えている神話。
「……神は、俺たちが理不尽な目に遭ったところで、態々敵討ちのようなことをしてくれるんでしょうか。彼らは何も、人間の庇護者というわけではないのに」
瞬きと共に視線を落として、アクイラはそう呟いた。
別に卑屈になっているわけではない。悲観しているわけでもない。
ただ、そう、ふと思ったのである。
「その程度の器だったと見放すか、あるいは神権を分け与えたことすら忘れてしまっているかも。……本当のところは誰にも分かりませんけどね」
一つ、二つ。
瞬きをただ繰り返したヴァルグルが、やがてニッと口角を上げる。
「それでもいいよ。俺はそれでも、お前らに会うための媒体になってくれた神に感謝するかな」
「神様はマッチングアプリの大元ってこと?」
「多方面からめっちゃ怒られそうだけどまあそう」
自分で例えを出しておきながら笑いを堪え切れなかったスルトが、肩を小刻みに震わせる。
「俺も、お前らに会えてよかったって思うぞ」
「私は別に」
「えーさみし。アックンは?」
言葉のわりに棘のないユーフォニアの声音を正しく聞き取ったヴァルグルは、取り立てて騒ぐこともせずにアクイラへと水を向けてくる。
「まあ、いい人たちばかりだし、いい出会いだなとは思いますね」
「だよなあ……」
恥ずかしげもなくそう返したアクイラを、こういう場面では絶対にヴァルグルは茶化すこともからかうこともない。
ただ、大人びた表情で眩しそうに目を細めるのである。
すとん、と会話の切れ目がやってきて、アクイラはそっと手元のカップを傾けてお茶を口に含んだ。大分冷めてしまったそれが、ゆっくりと喉を通って流れていく。
心地よい眠気がふわりとその場を包んだころ、しかしそれは突然机の上に現れた一枚の紙きれによってシャボンの泡のようにはじけた。
「なに……ヴィーちゃんから?」
「ですかね……」
時折送られてくる料理のように専用の受け取りスペースに寸分違わず舞い降りてきたそれを引き寄せて開くと、ルディヴィーの筆跡が顔を覗かせる。
けれども、あまり見かけない些か乱暴な文字。
——アマちゃんが第四塔に異動になった。詳細はまた今度会ったときに。
たったそれだけが走り書きで記されていて、アクイラは得も言われぬ不安に駆られる。
「アマちゃんって、例のアックンの同期の子?」
アクイラの背後から手元を覗き込んできたヴァルグルが、不思議そうに言葉を落とす。
「はい、心緒の。……第四塔って、治癒専門ですよね? アマニが異能を使えるようになったってことでしょうか」
「うーんどうだろ。その可能性もあるけど、ヴィーちゃんだったらまずその子引き連れてここに来そうだよね。政府に知られる前にアックンと話させてあげようって。仲良かったんでしょ?」
「はい、同年代でしたし」
難しい顔をして黙り込んでしまったヴァルグルの様子を伺いながら、アクイラも悪い予感を拭いきれなかった。
「まールディヴィーが来るまでは俺らじゃどうしようもないし、深刻に捉えるのも話聞いてからでいーんじゃね?」
「そう、ですよね」
スルトのもっともな言い分に、アクイラもゆっくりと頷く。
と、と軽く勢いをつけて立ち上がった彼が、くるりと身を翻して自室へと帰って行ったのを皮切りに、アクイラたちもそれぞれその場を後にした。




