32.
「……ヴァルグルさん、狼男なんです?」
「ヴァルさん!!」
「……ヴァルさん」
根負けして乞われた通りに呼び直すと、それだけで彼は満足そうにする。
いつの間にか胡坐のまま上半身を後ろに倒して寝そべっていたスルトが、にっこにこと笑みを浮かべながら口を開いた。
「正真正銘生粋の人間だぞー。コイツが異能でオオカミに変身できるみたいな、なんかそんな感じ」
「なるほど……?」
迅雷の神権からどこをどう通ってオオカミに行きつくのかが想像できなくて、アクイラは首をひねる。
その様子を見かねてか、ヴァルグルも補足を入れてくる。
「こう……全身を雷で満たして人間としての許容を超えると、体が勝手にオオカミに変わるっぽいんだよな。俺以外にできた奴がいないから、皆須らくオオカミなのか、迅雷がオオカミのか、はたまた俺がオオカミなのか分かんなくて」
「ああ、なるほど。やっぱり強いんですか?」
「そりゃあな。耳も鼻もよく利くし、持久力はあるし。ただ全身が純度100%の雷なもんで、炎には絶対触れちゃいけねえんだよな。だからスルトとの模擬戦じゃ滅多に使わない」
夢があるなあと感慨深く思っていたけれど、どうにもそれだけというわけにはいかないらしい。
どういうことかよく理解できずに瞬きを返すと、今度はスルトが補足をしてくれる。
「炎と雷って相性悪くてさー、接触すると大爆発が起きんの。演出としてやったことはあるけど、俺ら絶対半径1メートル以内じゃやらない。ワンチャン体吹き飛んで死んじゃうから」
けろっとした顔で言い放っていい内容ではない。つまり、この二人の模擬戦だってどちらかがうっかりしていれば木っ端微塵になる可能性があるのである。
そこまで考えて、アクイラははっとした。
この間たまたま兄と遭遇して、レーヴが氷の蔓でアクイラのことを救出してくれた時。あの時アクイラはその身に雷を纏っていて、その状態で炎の壁に突っ込もうとしていた。もしもレーヴが炎の壁を割ってその裂け目から器用にアクイラを救出してくれていなかったら、きっとアクイラの体は弾け飛んで即死していたのだろう。
今更ながらに恐ろしいことに気が付いてしまって戦々恐々としているアクイラに気が付いていないスルトが、ぱちんと指を鳴らしてアクイラを見た。
「アクィーラ!! お前も同じことしてオオカミになるのか試してみよーぜ!!」
「え……いいですけど、できるとは限りませんよ。聞いているだけで難しそうですし」
「やー君はできるね。見取り稽古、得意なんでしょ?」
「得意なだけで、絶対できるとは限らないんですってば」
必要以上に期待をされている気がして、アクイラは居心地が悪くなった。
「ま、君はとりあえず見てなって。今日できなくても、この先何回だって見せてあげるし教えてあげるから」
かっくいー、とスルトがけらけら笑う。寝転がっていた体勢から、足を振った反動で上半身を起こしていた。どうやら彼も見学するらしい。
少しだけ二人から距離をとったヴァルグルは、アクイラと目を合わせて屈託なく笑った。
それから天を仰ぎ、両手を広げた彼は、一種の宗教画のような神々しさであった。
しかし瞬きの間に彼の姿は天を裂いて落ちてきた紫電に呑まれ、見えなくなる。
轟音と衝撃波と、熱。
それらすべてが過ぎ去ってからアクイラが目にしたものは、少しだけ目を細めてこちらを見据える四足獣。
「……でかくないですか?」
「そう? 俺が初めて見たときからこんなもんだったよ」
段々と近づいてくるオオカミに、アクイラは少し怖気づく。
アクイラと同じくらいか、それより少し小さいくらいのオオカミは、ふんふんと鼻を動かしていた。普通の動物とは違って、彼は常にざわめくエネルギーで構成されており、毛先で時折雷が爆ぜていた。
「……撫でても大丈夫なんですか?」
「んや、止めておいた方がいいよ。すげー威力の感電で、全身動かなくなる」
「触ったことあるんですか……?」
「初めて見たとき興奮しちゃって」
懐古するようにそう口にする彼の精神が計り知れない。
ありえない思いでスルトを見つめていると、くるりと彼が期待に満ちた表情でアクイラを見返してきた。
「アクィーラ!! 早速やってみて!!」
「……いいですよ」
アクイラはもうこの技を一度見た。特別不明瞭な点もなかった。
ゆっくりと立ち上がって、先程のヴァルグルに倣って少しだけ彼らから距離をとる。
ぼんやりと佇んで鍛錬場の天井を見上げた。先程まで鍛錬場を内から壊すほどの威力で模擬戦をしていたのに、傷一つついていなかった。床の石畳もそうである。神継ぎの異能訓練のための、非常に頑丈な造りであるらしかった。ビーマが潰してしまったから、再建の際に強度を上げたのかもしれない。
そのままそっと目を閉じる。
——体内にエネルギーを凝縮させるのならば、尻込みせずに一思いにいった方がいいのかもしれない。
そう考えたアクイラは、前触れもなくできうる限りの最大火力の雷撃をこの身に落とした。
痛くは、ない。
雷なんて直撃したら即死級であろうに、まったくもって痛くない。むしろ、柔らかい毛布で包まれているかのような暖かさであった。
ほう、とあまりの心地よさにため息が漏れる。
体の表面から芯までじんわりと染み渡っていくような、そんな心地よさだった。
果たして数秒だったのか、数分だったのか。
周囲の空気がすっと冷えて、自身が発生させた稲妻が去っていったことを知った。
閉じていた瞼を持ち上げて、ふと先程までよりも地面が近いことに気が付く。何故だろうかと混乱したところで、今度は体が前へと傾いだ。上手いこと腕が前に出ず、あわや顔で地面を受け止めるというところで、首後ろを何かに掴まれた。
段々遠ざかっていく地面を見ながら助かったと思ったところで、首後ろから小さな唸り声と、呼気。
アクイラはぎょっとした。項は掴まれているのではない。何者かに咥えられているのだ。
けれど急所ともいえる首を押さえられて何もできずに、アクイラはその何者かに反動をつけて宙へと放られた。
ようやっと少しだけ動くようになった両腕をばたつかせても、大した役には立たない。そのままどこかふわふわした場所にうつぶせに着地して、アクイラは困惑に目を瞬かせる。
「えー!! 鳥だ!!」
うつぶせのままで顔を上げると、スルトが身を屈めてアクイラを覗き込んでいた。
そのまま彼の視線を辿って自身を見下ろすと、それよりさきにふかふかの毛皮の正体が視界に入る。
「……ヴァルさん」
きちんと言葉を発したと思ったのに、口からはピェ……とアマニが口走っていそうな音が出た。
驚いて視線を中央に寄せると、今まで見えていた鼻ではなく、嘴がそこに鎮座していることに気が付く。段々予想がついてきて先程何の役にも立たなかった自身の腕を見ると、やはりそこは翼になっていた。
「えーじゃあ個人個人で違うんだな、変身先の動物。アクィーラのそれってなんだろ? 鳥は鳥だけど、うーん、すっげえでかいんだよな。ハトとかスズメとか目じゃないくらい。カラスよりでかいし……」
一人で悶々と考え込んでいるスルトを他所に、アクイラは少しずつヴァルグルの背中の上で体勢を整える。足を折りたたんで腹ばいになるのが今の状態では一番楽で、ふかふかのオオカミの毛皮をありがたく使わせてもらった。
「てか、その変身状態同士なら感電もしないんだな。うらやましー。どうせ俺がその状態になっても、くっついたそばからお互い吹き飛ぶんだろ」
ヴァルグルが鼻を鳴らしたのを聞きとがめて、スルトが今度は文句を垂れ始める。
それを右から左に受け流しつつ、アクイラは段々と慣れない姿に居心地が悪くなってくる。二本足で立とうとしても、重心が安定しなくてすぐに転びそうになるのだ。かといって、ずっと腹ばいでいるわけにもいかない。そもそも、自分一人でヴァルグルの背中から降りられない。
それを察したのか、今までじっとしていたヴァルグルがとことこと一定のリズムで歩き始める。背中に乗っかっているだけのアクイラを振り落とさないように最大限の配慮がなされていて、アクイラは呑気に座っているだけでよかった。
と、思っていたのに、スルトからある程度の距離をとったヴァルグルが突然アクイラを振り落とした。
可能な限り地面に近い高さから振り落とされたために無傷ではあるが、それでもショックは大きい。あまりの暴挙にぽかんと転がされた状態でヴァルグルを見上げると、彼はまるでよく見ておけと言わんばかりにアクイラを見下ろしていた。
もぞもぞと体勢を戻しながら彼の様子を注視していると、ヴァルグルはそっと瞳を伏せて長く長く息を吐いた。
体内から吐き出される空気につられてか、彼の体を構成している淡い光が少しずつ散っていく。爆ぜていたはずの雷も、だんだんと蛍火のように小さな光の粒となって宙に溶けていった。
零れるような光粒が彼の体を包み込んだ後、その眩さが落ち着いたころには、もう彼は人の身で地べたに座っていた。
「さ、アックンもやってみよー」
もしできなかったら一生このままなのであろうか。
勢いでここまで来てしまったことに一抹の不安を覚えながら、アクイラも先程のヴァルグルに倣って目を閉じた。
体内に渦巻くエネルギーを、体外へ、地面へ、宙へ。
まるで深い眠りに誘われたかのように、ゆっくりと深い呼吸をする。
「上出来~!!」
笑みを含んだ声音に目を開いて、自身を覗き込むヴァルグルと視線を合わせる。
「……これ、仲間と意思疎通できないの辛いですね」
「YES/NO構文ならギリじゃね?」
「もし俺ら二人しかいなかったらって話ですよ」
「あー確かに」
会話をしながら、自分の体を入念に確認する。急激な身体構造の変化に、未だ体に違和感が残っている気がしてくる。
その様子が面白いのか、はたまた懐かしいのか、ヴァルグルもアクイラの一挙一動をじっと見つめながら会話に応じてきた。
「俺もあんまり鳥に詳しくないからあれだけど、アックンたぶんワシだったと思う」
「あ、そうだったんですね。俺自分の羽とかしか見られなくて——」
「——ワシ!?」
ものすごい勢いで会話に合流してきたスルトは、きらきらと顔を輝かせてアクイラに迫ってくる。
「めっちゃかっけーじゃん! 強いやつじゃん!」
「そうそ。でもまだふらふらだから、これからちょっとずつ慣れていこうなー」
「飛べるようになるってこと!?」
「まあいけんじゃね? こればっかりは俺も手本見せらんないし、頑張ってもらうしかないけどね」
「ワー!!」
当のアクイラよりもスルトの方が興奮しているのは何故だろうか。
ぐおんぐおんと肩を掴まれて興奮のまま揺さぶられ続けるアクイラは、この濃さでまだ初日だという事実に少しだけげんなりしていた。




