30.
「俺さァ、下の兄妹欲しかったわけ。だからノーシスからお前のこと聞いたときめちゃくちゃ喜んだの。でもさァ、そのあとすぐに『あでも第二塔には来ませんけどね』って言われた俺の気持ちわかる? アイツ人のこと上げて落とすの好きだよな、俺いっつもやられる」
肩に腕を回されたまま、ほぼ強制的にヴァルグルにどこかへと連行される。
第五塔でのふれあいなんてせいぜい頭を撫でるくらいのものだったので、正直この距離感についていけなかった。
スルトとユーフォニアはあのまま鍛錬場へと引き返してしまったし、ルディヴィーは瞬間移動で第五塔に帰ってしまった。つまり、逃げ切れなかったアクイラだけが、こうしてヴァルグルとともにいるのである。
「しかも俺の絶望顔見て鼻で笑いやがった!! 昔はあんな子じゃなくてもっと弄りがいがあったのに……誰があの子のことあんな風に育てたわけ……」
「……ミスラさんじゃないですかね」
「なら文句言えねえや……」
ぐずぐずと湿っぽくなっているヴァルグルにうんざりしてくるが、第二塔の構造を説明してくれているので突き放すわけにもいかない。ここで「ヴァルグルさんのせいでは」だなんて言ってはいけないのである。
「なー弟が駄目なら弟子は? 俺のことはお師匠でいいからさ」
「普通にヴァルグルさんって呼びますよ」
「えー遠いよ関係値が。せめてヴァルさんとかグルさんとかヴァーさんとかさァ、あるじゃんいろいろ」
あまりの面倒くささに、アクイラの顔がきゅっと中央に寄った。
ルディヴィーからの呼び名を思い出して、もうそれでいいやと匙を投げる。
「……ヴァルさんでいきますね」
途端、見なくともヴァルグルの顔がぱっと華やぐのを感じた。
「マジ!? じゃあ俺キミのことアックンって呼ぶね」
「どうぞ。……ん?」
やー嬉しー、だなんて宣っているヴァルグルに頬を引きつらせる。
「……何でそうなるんです」
「だってアクイラくんでしょ? アークくんは言いづらいし、それなら縮めてアックン」
「アクイラでいいですよ」
「えー遠いじゃん関係値が!」
「はあ……そうですか」
ビーマの心労の原因は九割九分この人によるものではないかと思えてくる。尤も、もしかしたらこの絡みも同じ神権を有するからこそのものであって、ビーマにはそこまで絡みついてはいなかったのかもしれないが。
「あ、ちなみに最上階はユーフォニア専用スペースだから。入っても怒られないけど、故意に邪魔したら怒られる」
「……何してらっしゃるんです?」
きっと邪魔したことがあるんだろうことは、ヴァルグルの表情から容易に察せられた。
しかし、アクイラがあえてそれを無視して話を逸らすと、ヴァルグルは最上階へと繋がる階段の向こうへと視線をやった。
「ずっと演奏してんだよ。毎日欠かさず、いろんな楽器で、いろんな旋律を。約束なんだと、人間時代の忘れられない人との」
「約束……」
それはまた、何年越しの約束なのだろうか。
そう考えを巡らせていたアクイラは、粗方の説明を終えたヴァルグルによって思考を引き戻される。
「ま、とりあえずは見取り稽古に専念でしょ。てことで、早速鍛錬場に戻んぞー」
「え、今からですか?」
「時間は有限だからな。あと今もスルトの相手をしてるユーフォニアの限界がそろそろ来るハズ」
キリ、と引き締まった表情でそう言ったヴァルグルには、年長者の貫禄が確かにあった。
けれども鍛錬場の扉を開けた瞬間に一歩後ろにいるアクイラを振り返った表情は、しおしおと力ないものであった。
「ゴメン、もうとっくに限界きてたっぽい……」
何が何だか分からないアクイラの生返事を気にした様子もなく、彼はスタスタと中へと足を踏み入れる。
それに続いて鍛錬場に入ったアクイラが目にしたのは、地べたに萎びたように座り込んでいるスルトと、その目の前で仁王立ちしているユーフォニア。
「……え、ユーフォニアさんが限界を迎えたんじゃないんですか……?」
「うんそう。んで、疲れ切ってキレたユーフォニアが——」
視線だけで、前方の二人を示される。
「——異能でスルト縛り付けてんの」
「……うーん?」
そもそもヴァルグルの神権しか知らないアクイラは、やっぱり何が何だか分からない。
近づいてくるアクイラたちに気が付いたユーフォニアが冷たい表情でスルトを見下ろした。
「ほら、あなたの正規のお相手のお帰りよ。私はあの人みたいに強くないから手加減してって言ってるのに、この単細胞さんは本当に……」
「ごめんってば……。だってお前、ちゃんと防御も反撃もしてくるんだもん……」
「だから我を忘れてしまうの? それじゃあ私が一度こっぴどく被弾すればいいのかしら?」
「それは痛いじゃん、駄目だと思う」
「でしょうね。ヴァル、このテンポ感お馬鹿のこと殴らせてもらってもよくて?」
突然話を振られたヴァルグルは、難しい顔をして腕を組んだ。
「一発……いや、三発まで許す」
一人は素、一人は本気、一人はノリの地獄のような混沌を第三者の冷めた視線で眺めるアクイラに気が付いた様子も見せず、彼らは非常にスムーズにやり取りをする。もはやこの三人がかみ合っているのが奇跡だとすら思えた。
「えっアクィーラいるじゃん! 俺と模擬戦しよー!」
しょげた様子で首を巡らせ、背後のヴァルグルを振り返ったスルトが、しかしその向こうにいるアクイラを見た瞬間に嬉しそうに声を上げる。感情の乱降下がかなり激しい人である。
「……いえ。俺は観戦要因として呼ばれたので」
「えー!!」
「今日のところは、だけどな。そのうちアックンも戦わせるからなー」
「えー……」
正直な心の声が口から漏れたところで、ユーフォニアが疲れ切ったように横笛を構えた。いつの間にか手にしていたそれに吹き込まれた呼気が管内を震わせ、共鳴させる。
柔らかな音色が鼓膜を撫でていったあと、全ての意識をそれに向けて聞き入っていたことに気が付いて、アクイラは思い出したように瞬きをした。
「あー、数分だったのにめちゃくちゃ腰痛え……」
今まで首から下が微動だにしなかったスルトが立ち上がり、関節を鳴らしながら気持ちが良さそうに伸びをする。
そのままヴァルグルに模擬戦の誘いをかけ、連れ立って鍛錬場中央へと歩いていく二人を、未だ状況が理解できていないアクイラはただ視線で追いかける。
「——私の神権は調和なのよ。音を媒介にして相手を操るの。スルトには笛の音で不動を命じただけ。簡単でしょう?」
彼ら二人の後には続かず、傍に立っていたユーフォニアが静かに種明かしをしてくれた。
「……簡単……?」
少しの混乱を交えて復唱したアクイラに、ユーフォニアがたまらずといったような笑みを落としたのが聞こえた。
用は済んだとばかりに颯爽と肩までの藤色の髪をなびかせ、鍛錬場から出ていったユーフォニアを見送ってから、アクイラはゆっくりと鍛錬場の中央にいるヴァルグルとスルトの元へ歩いていった。




