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03.

「おいお前、今日が執行日なのは分かっているな? 最後の食事の希望はあるか」


 翌朝目が覚めたアクイラは、ゆっくりと顔をずらして声のもとに視線をやった。

 鉄格子に向こうから静かに伺いを立てる筋肉質な男に、少年は首を振ってこたえる。


「……お腹、減ってないので。大丈夫」


 覇気のない返答に、けれども男は表立った反応を見せなかった。


「薄味のスープくらいなら飲めるだろう」

「……いえ。本当に、要らないんです」


 怠い体を起こして壁に背中を預けたアクイラは、けれども自棄に満ちた虚ろではなく、凪いだ瞳で男を見た。


「こう見えて、かなり参ってるんです。水を口にしただけでも吐きます」


 目の前の少年の行く末に居たたまれなくなって、男は口を開く。けれどもその口は、男の後ろから飛んできた声に閉ざされることとなった。


「まあそうだよね。むしろ狂わずにいられたことを褒めてあげるべきだと思うよ、見上げた精神力だって」


 男の背後の暗がりから姿を現したのは、すらりとした体躯の青年。


「まだこんなに若いのに、ねえ」

「……ノーシス」


 男の制するような硬い声を気にも留めずに、ノーシスと呼ばれた青年は人のよさそうな笑みを崩さない。その笑みを湛えたまま、彼は静かにアクイラを見下ろした。

 暗がりで色の判別がつかないけれど、でも確かに静かな瞳が、ただひたすらに、アクイラを映していた。


「おいノーシス、何故お前がここにいる?」


 焦れたようにそう口を開いた男の方にあっさりと視線を向けたノーシスは、不思議そうに小首を傾げた。


「そんなの、あの部屋を抜け出してきたからに決まってるでしょ?」

「行先なんてもっと他にあっただろうが。お前はこんな薄暗い独房にいるべきじゃないだろう」

「ああ、俺が国家お抱えの神継ぎだから? もう聞き飽きたよそういうの」


 つまらなそうに肩をすくめ、手のひらをひらめかせるノーシスに、男は慣れたように溜息をついた。


「そもそもお前、昨日確認された神継ぎ関連で忙しいんじゃなかったのか」

「そうだけど……でもお偉方はみんな、神継ぎの能力にしか興味ないでしょ? 今回の子について悪口三昧だったから逃げてきた」

「……第五塔送りか」

「たぶんね。心緒の神継ぎだって。慈愛に通ずるものがあるから警戒してるんだ。かつての災厄を繰り返さないようにって」


 言いながらノーシスが歩みを進め、男の隣にしゃがみ込んだ。鉄格子を間に、二人と一人が向かい合う。


「君は知ってる? 千年前に起きた、慈愛の災厄。正しくは、慈愛の神継ぎによって招かれた世界の終焉の危機」

「……まあ、ある程度は」


 眉を顰めた状態でアクイラが小さく口を動かせば、ノーシスは手のひらに顎を乗せて笑んだ。

 慈愛の災厄なんて、この世界では誰もが知る有名な歴史である。かつて人間が慈愛の神継ぎを傷付けて慈愛の神の怒りを買い、その怒りによって世界が滅ぼされかけた、そんな噓か真かも分からない話。


「そ。それで、今回現れた心緒っていうのは、まあ感情を司ると言ってもいいわけ。そうなると喜怒哀楽から始まって何もかもを含むから、当然『愛』も含まれる」


 つ、とノーシスの視線が落ちていく。


「しぶとく生き残った人間を今度こそ根絶やしにするためにきたんじゃないかって、お偉いさんはてんやわんや」

「……くだらなさすぎないか」

「本当にね?」


 引いたような男の声に、これまたノーシスも呆れたように同意する。


「でもま、俺にはあの子の処遇に口を出す権限なんてないし。むしろ第五塔は安心かもね。政府からは腫れもの扱いだけどいい人たちばっかだから。……ね、アクイラくん」

「いや知りませんけど」


 唐突に話の矛先を向けられ、思わず鋭く返してしまった。

 けれども気にした様子も見せずにからからと笑ったノーシスは、よいしょ、だなんて掛け声とともに立ち上がる。


「またね、アクイラくん。君らの処刑、今日の午後だっけ? 俺も見に行くからよろしく」


 ノーシスは返事を待つ様子もなく、さっさと踵を返した。

 アクイラはぽかんとその様を見送って、かけられた言葉を反芻して、そして勢いよく顔をしかめた。嫌悪の集大成である。


「悪趣味すぎませんかね、あの人」

「……まあ、ノーシスはそういう奴ではあるな」

「っていうか、なんで俺の名前知ってるんでしょう」

「英知の神継ぎだからな」


 絶句したアクイラを見て、男は小さく顎を引いた。


「俺も思ったことはある、あんなちゃらんぽらんがこの世の全てを把握しているなんて世も末ではないかと」

「さすがにそこまでは思いませんよ」


 またもや反射で突っ込んだところで、男が喉の奥で小さく笑った。


「時に少年。もう一度聞くが、腹に何か入れておかなくていいのか?」


 アクイラはじとりと視線をやってため息をついた。しかし返答の声音に苛立ちの色はなく、ただただ淡白だった。


「スープだけ、頂いてもいいですか。……あの人のおかげで調子を戻せたって考えると大分嫌ですけど」


 どうせ死ぬなら美味しいものを食べてから。

 脳内によぎったフレーズといまの胃腸環境を考えて、やはりスープが最適だとはじき出す。

 今度こそ声に出して笑った男は、ちょっと待っとけ、と声をかけてからノーシスと同じように背を向けて独房を出ていった。

 そうして差し出されたスープは、とても優しい味がした。

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