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26.

「……アクイラ」


 塔に戻ると、レーヴが心配そうにアクイラを見ていた。


「大丈夫? 顔色が悪いわ。お兄さんは無事に帰って行ったのでしょう?」

「……はい。ちゃんと、自分の足で」

「そう、良かった」


 ほっとしたように瞳を細めて、レーヴが笑う。

 それでも晴れない顔をするアクイラに椅子を勧めて、レーヴはティーセットを持って向かいに座った。


「突然のことだったのに、私が気付いて場所を割り出すまでよく耐えたわ。それも、実のお兄さんが相手だったのに」

「いえ、覚悟はしていましたし……皆さんに、稽古もつけていただいていたので」


 小さな音を立てて、アクイラの目の前に紅茶が置かれる。

 角砂糖を入れてかき回すと、独特の香りが鼻腔を満たした。

 それを一口、二口と含んでも、いつもなら手の止まらないクッキーにもどこか上の空なアクイラに、レーヴがおずおずと口を開く。


「……やっぱり、目の前でお兄さんを串刺しにしたのはショックが大きかったかしら……?」

「ん……? あっいえ! それは全然」


 考え事に耽っていて、レーヴに要らぬ心配をさせてしまったとアクイラは焦る。


「確かに痛そうだとは思いましたけど、殺されるよりは断然マシですし……」


 そう、マシなのだ。殺されるよりは。


 『——俺はいつ、お前の兄を殺すでしょう?』


 ヘルの去り際の言葉が、何度も脳内で繰り返される。


「……あの」


 手元の紅茶が冷めてきたころ、アクイラは意を決してレーヴに声をかけた。

 静謐な水面からゆっくりと視線を上げると、レーヴの穏やかな金茶の瞳と目が合った。


「なあに?」

「レーヴさんが前に言っていた悪魔憑きを殺さない話って、神継ぎならみんな知っているっていうわけではないんですか?」


 予期していた質問ではなかったのか、レーヴがその金茶を瞬かせる。

 けれどもすぐに真剣な表情で顎に手を当てた。


「いえ……。私の独断で決めるわけにはいかなかったから、当時の神継ぎ全員の同意を得たわ。その後に生まれた神継ぎたちについても一度現状は説明したから、皆知っているはずよ」


 それもそうか、とアクイラは思う。

 レーヴの視線に促されて、アクイラは口を開く。


「……今日、兄があの場から去ったのは、実質的にはあの場に居合わせたもう一人の男性のおかげだったんですけど、その人が言ったんです」

「……そう。なんて言っていたの?」


 落ち着いたレーヴの声が、内心の動揺を消し去ってくれる。


「まだ、兄を殺すことはしない、と」


 ゆっくりとレーヴの視線が下がっていった。

 瞬きと一緒に、彼女の睫毛が影を落とすのが見える。


「白髪で、サングラスをかけていました。俺よりも上背がありましたが、随分と華奢で、儚かった」

「名は聞いた?」

「はい。ヘル、と名乗っていました」


 ティーカップを柔く包み込んでいた手のひらが片方、彼女の頬に当てられた。そのまま小首を傾げて、レーヴが口を開く。


「そう。ヘル、ね」


 驚き故の行動かと思いきや、彼女は上品に笑んでいた。少々その笑顔は裏がありそうだったけれども、彼女は確かに笑っていた。


「……もしかして、敵だったりします? 俺、あの人に名乗り返しちゃったんですけど」

「ああ、ごめんなさいね。大丈夫、彼はいい人だし、私たちの味方よ」


 安心させるように微笑んだレーヴは、そっと片手を頬に当てた。


「ただ、久しぶりに彼について聞いたから……」

「……え」


 まるで、生きていてくれて良かったと言っているようだった。

 けれどもアクイラのその勘が当たっているのかどうかは、レーヴに話の続きを促されてしまって分からずじまいだった。


「……ヘルさんが去り際、俺に聞いたんです。いつ兄は殺されるだろうか、と。その答えを当てられたら、ヘルさんのことを詳しく教えてくれるって言っていました」

「そう。それで、貴方は別に彼の個人情報を知りたいわけではないのでしょう?」

「あ、はい、それは別に……。俺はただ、兄が期限付きで生かされているのだとしたら止めなければと思っただけで」


 辛辣ともとれる肯定をしたアクイラに上品に笑ったレーヴは、やがてその波が引くと紅茶を口に含んだ。


「彼が貴方のお兄さんを手にかけるとしたら、貴方のお兄さんが他人を殺してしまったときか、あるいは……。とにかく、あの子は理不尽に人の命を奪ったりする子ではないから大丈夫。彼と貴方のお兄さんを信じてあげて」


 穏やかな顔でそう言われると、反対の言葉などもはや出てくるはずがない。


「……レーヴさんも責任重大ですよ、レーヴさんのことも信じてますからね?」

「あら、私はいつだって信用できる大人でしょう?」


 そうして、彼女はお茶目に笑うのだ。金茶を満足そうに細めて、極上の笑みを見せるのである。

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