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25.

 炎の波の中から連れ出したときとは打って変わった繊細な動きで鎮火している地面に下ろされる。燃えていたはずなのに地面はひんやりとしているから、恐らくこれも異能で鎮めたのだろう。

 ドン、と地を割る音がしてそちらを見やれば、そこに突き刺さっていたのは想像していた通り弓矢。どう考えてもレーヴの仕業であった。

 穿たれた地面から新たな蔓が伸びて、兄へと襲い掛かる。アクイラを救出し終わった二本の蔓もそこに合流し、合計八本の蔓が四方八方から兄を翻弄する。

 兄が炎で蔓を融かそうとも、レーヴの生み出した氷には通用しない。彼が蔓の攻略を諦めてアクイラへと火炎を放射しても、突如生み出される巨大な氷の壁によって阻まれる。彼が近距離でアクイラを仕留めようとしても、次から次へと射られる弓矢によって移動が制限される。

 完全に形勢が逆転していた。

 先に集中力を欠いた兄の体に、捌ききれなかった蔓が次々に貫通していく。

 炎の膜も力業で突破することができるのか、とぼんやり思った。アクイラも、雷の膜を過信しすぎてはいけないということである。

 ついに八本全てが突き刺さって身動きの取れなくなった兄は、それでも何も言葉を発しない。

 ただただ赤い瞳を見開いて、額から汗を滲ませていた。

 このまま膠着状態に突入するかと思われたが、レーヴにそのつもりはないらしい。

 蔓が一斉に引き抜かれ、兄の体が危なっかしく傾ぐ。肩、腹、腿。至る所に空いた穴から、血が噴き出していた。


「兄さん……!」


 思わず足を踏み出しかけたアクイラの肩が、誰かにそっと掴まれて引き戻された。

 もしやレーヴかと思って振り返ってみたアクイラは、けれど想像していたラベンダーではなく月白の髪が視界に入って拍子抜けした。そして肩に当てられた力の柔さからは想定できないような怪しさ満開のサングラス着用の姿に度肝を抜かれた。まるでスパイや工作員のような、明らかに自分は秘匿される側の人間ですよ、という雰囲気を醸している。


「えっと……?」


 唯一窺える口元は、ほんの少しだけ弧を描いていた。小さく口が開いて、涼やかな声が流れ出した。


「大丈夫。俺はお前の味方だよ」

「……ありがとうございます」


 まあそれも大事なのだが、アクイラとしては兄をスパッと殺されないかが懸念事項である。

 煮え切らない態度のアクイラを見て少し不思議そうに首を傾げていた青年は、やがて納得の声をこぼしてぴん、と人差し指を立てた。


「俺は彼を殺さないよ」


 微笑みを湛えて柔らかく言われた言葉に、アクイラの全身から力が抜ける。間違いなく安堵によるものである。


「今はまだ、ね」

「……え」


 不穏な言葉を残してゆったりと兄の元へと歩いていってしまった青年を追いかけるべきか迷う。

 けれど、彼の言葉を信じるならば、兄は今日のところは見逃されるらしい。会って数分の人間の言葉を信じていいのかも分からないが。

 先程まで思考が高速回転していたとは考えられないほど、アクイラの脳は全く動かない。レーヴの救援に安心して気が緩んだのかもしれない。

 そんなことを考えている間に、青年はすたすたと兄に近づいていった。

 体中の血液がこぼれてしまったのではというほどの血だまりができている。そこに躊躇いもなく足を踏み入れた青年は、長い袖丈を反対の手で押さえながら、右手を兄に伸ばす。


「まったく……」


 顎の下に手のひらを差し入れ、下を向いている兄の顔を持ち上げる。

 細い呼吸を繰り返す兄は、現状に気が付いてすらいないのかもしれない。

 青年が、左手でサングラスを下にずらすような動きをする。辛うじて目を開けている兄と、視線が交わっているのか、否か。


「家へお帰り。どうして出てきてしまったの」


 困ったような、優しい声だった。

 ぴく、と兄の体が震えて、立ち上がろうと力を込められるのが分かった。それにさりげなく手を貸しながら、青年は軽く止血もしているようだった。

 けれど、処置が完全に終わる前に兄は踵を返して歩き始める。まるで操られているかのようだった。段々と歩くスピードも速くなり、やがて駆け足になり、最後には飛ぶように走っていった。

 体にいくつも穴が開いているような大怪我で、尚且つ失血もしているのに、あんなに動いて大丈夫なのだろうか。

 兄の姿が見えなくなるまでその背中を黄金の瞳でじっと追っているアクイラを、青年がサングラス越しにじっと見つめていることには気が付いていた。やがて兄の消えていった方向から視線を外し、アクイラは青年へと改めて顔を向ける。


「初めまして、俺はヘル。お前の名は?」

「アクイラです」


 サングラスからぼんやりと透けて見える瞳を見返して、ヘルに倣って名を名乗る。

 彼の目が柔らかく細められて、口元にも微笑みが浮かんだ。


「お前は彼を、兄と呼んだね」

「……はい」


 この会話、兄が悪魔憑きになったその日にもしたなとふと思う。尤も、あの時目の前にいたのはヘルのような雰囲気の柔らかい男ではなくて、屈強な戦士だったけれど。


「それで、弟のお前は神継ぎか。……難儀だね」


 同情とも皮肉とも取れないその声音が何の想いを孕んでいるのか、アクイラはよく分からなかった。

 けれど突っ込むのも藪蛇かと考えて、アクイラは話の流れを変えることにした。


「あなたも神継ぎですよね、何の神継ぎなんですか?」

「うーん……」


 ゆっくりと唸ったヘルが、おもむろにアクイラと同じ目線の高さまで屈みこんだ。すっと人差し指を目の前に立てられて、アクイラは思わず後ずさる。

 しかし、彼はその人差し指を自身の唇にそっと当てて、薄く口を開いた。


「……ないしょ」


 すん、とアクイラの顔から色が抜けた。

 アクイラには分かる。目の前の青年はかなり年をくっているはずである。少なくともここ数十年で神継ぎになったなどということはないだろう。だってこのおちょくり方は、ここ半年で何度も被った年寄り(神継ぎ)のそれそのものなのだから。

 その様を間近で見て、ヘルが軽やかな笑い声をあげる。見た目にたがわず上品な笑い方だった。


「もっと俺と仲良くなれたら教えてあげる。それよりもほら、お前の兄のことを話そう?」


 ぐわんぐわんとアクイラの頭が揺れるくらい雑に頭を撫でられる。この粗雑さは見た目にそぐわない、とアクイラは心の中で盛大にケチをつけた。


「でも、兄についての何を……」


 揺れる視界の中でぼやぼやとヘルを見上げようとすると、彼は撫でる手を止め、今度は手櫛でアクイラの乱れた髪を整え始める。


「お前、レイナードに会ったことはあるよね?」

「……ないと思いますけど」


 兄の話はどこへ行った、とまではさすがに思っても口に出せない。

 けれども、否定の言葉を聞いたヘルは驚いたように瞳を瞬かせ、小首を傾げた。


「あれ? 一回会ってると思うんだけど……。うーん、『キツネちゃん』って呼ばれてる男、本当に知らない?」

「あ、銀髪で敬語の?」

「そうそう、あの子の名前レイナードね」


 なるほど、だからレイナード(キツネ)ちゃん。てっきり化かすのが得意だからかと思っていた。

 一人ルディヴィーのあだ名に納得していると、ヘルの指先がこつんと額に添えられて、意識を再び向けられる。


「レイナードはよく喋るのに、どうしてお前の兄は喋らないんだろうって思わなかった? あるいは、お前の兄はああなった瞬間もさっきも喋らなかったのに、どうして同じ境遇のレイナードは喋るんだ、とか」

「た、しかに……」


 思い返してみれば、戦闘中のレイナードはそれはもうよく喋っていた。こちらから話しかけることなんてなかったのにも関わらず、である。

 先程兄に会えた時なんて生きていてくれたことに感動してしまって、それ以外の考え事は二の次だった。

 そんなアクイラを、ヘルが優しい眼差しで見下ろす。


「彼らは大体一年経ってから、ようやっと言葉を喋るようになる。きっとそれくらいで体が順応し始めるんだろうね。だからもうあと半年待てば、お前の兄も話せるようになる」


 よかったね、とでも言うかのように、アクイラの毛先を指で梳いたあと、ヘルはそっとアクイラから身を引いた。


「それだけ教えてあげようと思って。これ以上お前を拘束していたら、お前の塔の長に怒られてしまうし」

「……帰るんですか? どこの塔へ?」

「内緒だって言ったでしょ」


 憮然とした表情のアクイラに、ヘルは緩く笑む。


「次に会ったときに俺がお前にいろいろ教えてもいいかなって思うように、祈っておくといいよ」

「祈るだけじゃ何にもなりませんよ」

「言うね……」


 苦い顔をしたヘルは、少しだけ考えるように目を伏せた。


「今から問題を出そう。次に会ったときにもしその答えを当てられたら、そのときお前にいろいろ教えてあげる」

「……ええと、やっぱりそこまで知りたいわけじゃないので——」

「そんなに悲しいことを言わないで。それにとっても簡単な問題だよ」


 面倒事を察知して引き下がろうとしたアクイラを引きとめて、ヘルはそっと後ろを振り向いた。

 彼の伸ばされた襟足と衣服が風に揺らめいていて、今にも空へと飛び立てそうだった。


「——俺はいつ、お前の兄を殺すでしょう?」

「……え」


 不意の言葉に、彼の雰囲気からは到底想像のつかないような強い言葉に、アクイラは一瞬理解に手間取った。

 そして、慌てて彼を問いただそうとしたときには、もうすでにヘルの姿はなかった。

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