24.
視界の端から迫りくる足の甲を咄嗟に顔の横に立てた腕で防御する。
しかし、彼の足に炎が纏われていることに気が付いて、すんでのところで上体を反らした回避に変更した。
反らした顎先を掠めていく右足を迎え撃つように、相手の脛の辺りを左の逆手剣が下から刈上げる。
けれどその刃は兄の足を切り落とすことはなく、硬い何かと衝突して純粋な力勝負で押し負けた。
骨だろうか。否、筋肉すら切り裂いた感触はなかった。それでは筋肉だろうか。否、兄の足はそこまで太くなかった。例え密度が高かろうと、皮膚くらいは裂けてもいいはず。ならば皮膚の頑丈さが増したのだろうか。否、元の器が人間である以上、皮膚の強度などたかが知れている。そういった系統の異能ならいざ知らず、彼は炎の使い手である。
頭で考えている間にも、次の攻撃は飛んでくる。
先程の蹴りの威力をそのままに、今度は右足を軸にして踵から蹴りかかってくる。彼の足に踏まれた草花が、新たに黒く変形した。
咄嗟に左の逆手を順手に持ち替え、双剣をクロスさせて彼の蹴りを受け止める。
「おっっも……」
衝撃で体が右方向に吹っ飛ばされる。
その勢いに勝るスピードで、すかさず兄が突っ込んでくる。
空中で体をひねって繰り出された拳を足裏で受け止め、その威力を利用してさらに後方へと距離をとった。
バク宙の要領で遠く離れた場所に着地したアクイラは、しかし着地の瞬間に足元からした粘着質な音にそちらを見下ろす。
「うわ……まじか」
靴底のゴム部分が溶けていた。それはもうどろどろに。
その感触に鳥肌を立たせながら、もうしょうがないので素早く靴を脱ぐ。
その間にも目の前に迫ってくる兄の顔面目掛けて脱いだ靴を投げた。ごめんと思いながら、しかし相手が殺す気で来ているので容赦ができない。
兄は避けなかった。顔と靴の間に手のひらを差し込んで靴を鷲掴みにする。瞬間、手の中にある靴が燃え上がった。正確に言うならば、引火した。
燃え盛る靴が脇に放られるのを視界に入れながら、アクイラは正しく理解した。
兄の身を守っていたのは、炎の膜である。薄く、しかし強固に、彼の体は炎に纏われていた。
しかし、仕組みが分かっても突破法が分からない。
まともに攻撃をくらうと、否、掠っただけでも大火傷を負うので、アクイラは回避と双剣での防御に徹底する。
当然のように炎が付与された突きと蹴りは、次第に周囲の草地を火の海に変えていく。
まるで一種の舞踏のような美しさで、けれども自然を焼いているのだから世話はない。
そうなると、裸足のアクイラは足の踏み場がなくなってくる。接地時間を極力少なくしても、熱いものは熱い。恐らくすでに、軽傷なだけで火傷は負っている。
それに反して、兄は平然とうねる炎のなかに足を下ろす。彼の異能がそれを可能としているのだろう。
アクイラは圧倒的に不利だった。
兄も状況が分かっているのか、アクイラを遠くに飛ばそうとはしてこなかった。
足場がもうない。次に地面に降りるとき、アクイラの足裏は確実に炎になめられる。
そしてその足裏の痛みに一瞬でも怯んだら、きっと次の瞬間には全身火だるまにされているのだろう。
その光景を想像して、アクイラは顔を歪める。ものすごく嫌だった。
自身が落下するより早く、落下地点に左手に持っていた剣を突き刺し、そこを即席の足場にする。足裏に柄の部分が食い込んで鈍い痛みが走ったけれど、焼かれる痛みよりはマシだと自分に言い聞かせた。
兄の猛攻から逃げ回っていた先程から一転、今度は兄の懐へと突っ込む。
右手の剣に全体重を乗せて、兄の腹へと一直線。
前傾姿勢だった兄が僅かに身を引き、より腹に突き刺しやすくなったと違和感を覚えた瞬間、兄の右手が胸のあたりまで持ち上げられ、何かの粉末を散布するように横一文字に動いた。実際、何か赤く光る粒が砂のように風に舞っていた。
馬鹿正直に頭から突っ込むわけにもいかないので、懐から鉄扇を取り出す。
ビーマに手渡され困惑しているアクイラに、ルディヴィーからも便利だよ~と援護射撃をされたときには両手に剣を持ってるのにいつ使うんだと思っていたが、ものすごく必要だった。あの時変な顔してすみません。
鉄扇を開き、一度の扇ぎで粒を全て吹き飛ばす。
しかしほっとしたのもつかの間、風に流されていったはずの粒が僅かに震え、次の瞬間にはなめるような炎の壁となってアクイラの眼前に広がった。
目と鼻の先。もう触れてしまう。軌道を変えられない。避けられない。炎の壁を割くために武器を構える時間もない。
万事休す。死んでしまう。
否、即死ではないから死なない。痛いだけ。……痛い、だけ。
どちらにせよ火傷は不可避。
けれど、本当に? 本当に不可避なのだろうか。
火傷をしない方法。身を守る方法。バリア、防護壁、……先程の、兄の炎の膜。
自分にもできるだろうか。波動弾しか撃てない自分に。
否、できる。
先程、一度はこの目で見たのだから、できるはずだ。
『——異能は解釈と想像力の世界だし、——』
かつてレーヴが口にした言葉がよみがえる。
想像などというあやふやな領域ではない。アクイラは見たのだ。他でもない兄が、そうしているところを。
体の表面が、薄い雷に覆われる。皮膚のすぐそこで紫電が不穏に音を鳴らすが、アクイラ自身に痛みはなかった。
——いける。
もはや全身に覆いかぶさるように展開された炎の波は、もう怖くなかった。
これを突破したら、今度はこの粉塗しを試してみよう。
果てしない高揚感。
心底楽しいと思った。
しかし存外、世界は上手くはいかないらしい。
炎の波を切り裂くように現れたのは、二本の蔓。
躊躇いもなくアクイラの体に巻き付いたと思ったら、瞬きの間に視界は赤ではなく青で埋め尽くされていた。
すぐさま抵抗するも、異常なほどの強度で蔓を振りほどけない。
焦ったアクイラは、しかしふと違和感に気が付いた。
熱くない。燃えていない。むしろ、冷たい。
冷静さを取り戻したアクイラが自分の体を見下ろすと、そこに巻き付いていたのは思った通り、氷の蔓だった。




