23.鮮烈な赤
初戦から半年。
アクイラもアマニも異能の方の成長はこれといって見られず、体術ばかりが伸びていった。
ビーマによって持ち武器の扱い方を体に叩き込まれ、ルディヴィーによって臨機応変で自由な戦い方を叩き込まれ、レーヴによって見えない狙撃手との戦い方を叩き込まれた。レーヴに至っては弓矢の刺さる音が予想とかけ離れていて、初撃はアクイラもアマニも驚きで固まってしまった。まるで地が割れてしまうような轟音だった。
半年もあれば、それなりに体の扱い方も心得てくる。
初戦から何度か出動要請も受け取った。単独であったり、アマニとの合同であったり、まれにルディヴィーやビーマとであったり。けれども、あれ以来一度も悪魔憑きとかち合ったことはない。ルディヴィーだけが何度か遭遇しているようだった。改めて、あの時は不運が重なったのだと思う。そしてそれについて考えるたびに、もしもルディヴィーが着いてきてくれていなかったらと肝も冷える。
神継ぎになってから半年も経てば、この世界のある程度の勝手は分かってくる。
五つの塔は全て防衛拠点を結んだ防壁の外に位置しており、余程のことがない限りその壁を越えて神継ぎが内に入ることない。その逆もまた然りで、人間が外に出ることもない。
そうして神継ぎたちは一般人から地理的に隔絶され、他者との交流は同じ塔に属するものが主となる。生活に必要なものは全て政府によって手配され、街に顔を出す必要すらない。それほどまでに制限された生活の中で、かつて約束したビーマとの食べ放題はルディヴィーの多大なる協力のもと秘密裏に決行された。防壁の内に不法侵入したのである。
塔からの外出は好きにしてもいいが、周りは広大な自然に囲まれているため、移動手段が限られていてほとんどできることはない。渓流釣りはビーマに付き添ってもらって何度か行った。
レーヴはほとんどの時間を庭園で過ごしているからか、彼女はいつも花の香りを漂わせている。薬草から毒草まで、ほとんどの植物種を網羅している彼女の庭園には、たまに第四塔のヘルモーズが薬草を摘みに来る。なんでも、彼の塔は診療所も兼任していて、一般人向けに薬の調合を常日頃からしているのだとか。彼女の庭園で微睡んでいるときに聞こえてきた植物の名前たちは、聞いたこともなさ過ぎて何かの呪文のようだった。
そういえば、悪魔憑きというと毎回『キツネちゃん』の襲来だった。一度も兄が出てきたことはなくて、もしかしてどこかで野垂れ死にでもしてしまったのかと不安に駆られたこともある。けれどもレーヴ曰く、神継ぎも悪魔憑きも、例の予言以外では即死状況でしか死ねないらしい。死んでしまったという証拠がないのなら諦めるにはまだ早いと、そう慰められた。
丘の上で一人、芝生を背に寝転がる。柔らかな風がアクイラを撫で、その心地よさに目を閉じる。最近、ようやっと心が穏やかになる時間をもてるようになってきた。そういった時間を過ごすときは大抵、第五塔から数十キロ離れたこの丘で風を感じている。
一度、一人でこんな遠くまで行ってもいいかとお伺いを立てたときは、想像していた以上に軽く了承を示されて戸惑ったのを覚えている。なんでも、いざというときはレーヴかルディヴィーがすぐに加勢に向かうから大丈夫、とのことだった。瞬間移動が可能なルディヴィーはまだしも、レーヴは数十キロ離れた場所ですら援護射撃をするのか、とさらに戸惑ったのも覚えている。
暖かい陽光に微睡みそうになって、さすがに昼寝は駄目だろうと無理矢理瞼を開く。それでも欠伸が出てくるので、反動をつけて上体を起こす。背中を丸めて胡坐の辺りを見下ろして、群生しているクローバーを眺める。
「……あ、よつば」
珍しくすぐに見つけられたそれに、何となく口元に笑みが浮かぶ。摘み取ったところで何をするでもないので、そっと葉を撫でるだけに留めようと人差し指を伸ばした。
——が、指先はクローバーに触れることはなく、素早く腰の双剣の柄に触れた。
身の竦んでしまいそうな威圧感。呼吸を奪われるような圧迫感。
殺気。
シュウ、と背後で最期の呼吸を吐き出すような、そのまま力尽きて死んでしまったような音が聞こえた。それと同時に鼻を掠めるのは、何かが焦げたような臭い。
考えたくなくとも、脳がかつての記憶を掘り起こしてくる。脳内で警鐘がけたたましくなっている。今すぐ振り返って対峙しろ、戦闘態勢に入れと生存本能が命令してくる。
双剣の柄に触れた状態のまま、アクイラは存外ゆっくりと振り返った。まるで、筋肉の弛緩性が全て失われてしまったかのような、ぎこちない動きだった。
まず視界に入ったのは足。裸足だった。白くて骨ばった足が、焦げて炭になってしまったクローバーの残骸を踏んでいた。
軽い着流しのような薄い衣服が身に纏われていて、両手は自然に下ろされている。
結われていない白と黒鳶の長髪が風になびかれるがままになっており、毛先の金が揺らめいていた。
何の表情も乗っていない端正な顔、赤く染まった瞳、そして、額から伸びる長い角。
「兄さん……」
視線は交わっているはずなのに、相手からの目立った動きは何もない。ただ、ゆっくりと瞬きがされただけ。
けれど、アクイラとてこのまま黙り込んでいるわけにもいかない。
殺さず殺させず、戦意を削ぐだけ削いで、逃がす。
体の強張りは大分ほぐれてきた。思っていたよりも、兄を前にしての調子の崩しようは酷くない。やはり一度目の前にしているからだろうか。それとも、『キツネちゃん』との戦闘経験が功を奏しているのか。どちらにせよ、アクイラは動ける。
一度深く息を吐いて、アクイラは再び兄と視線を合わせる。
「……やろうか、兄さん」
やはり兄はうんともすんとも言わなかった。
その代わり、予備動作なしの容赦のない蹴りがアクイラの横っ面へと迫っていた。




