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19.彼岸はこちら

 アクイラとアマニは状況を完全には把握できないまま、最大限の警戒をもってして彼と対峙していた。

 風体は完全に不審者だが、果たして本当にそうなのか、そう見えるだけで実は拠点から派遣されてきた味方なのか、はたまた全くの敵なのか。


「そんなに警戒をされると、どうにも手を出してからかいたくなりますね」


 体制は変えずににっこりと笑みだけが深められて、彼の赤眼が完全に瞼の裏に隠される。


「……まあ」


 テノール気味の声が、ほんの少しだけ低められる。


「警戒されていなくとも、手は出しますが」


 その言葉を聞いた瞬間、アクイラとアマニは同時にそれぞれ逆方向の真横に飛び退った。

 けれど、覚悟していた攻撃は追いかけてこない。

 肩透かしをくらったような気分になった瞬間、辺りの空気がざわめいた。

 探るように辺りを見渡して、一つ瞬きをした、そのあと。

 再び目を開けた先に広がっていたのは先程までとは似ても似つかない景色だった。


「彼岸花……?」


 アマニはまだ隣にいた。けれど、先程まで戦っていたはずの異形は跡形もなく消え去っていた。

 そして、アマニが零した通り、辺り一面に咲き誇っていたのは彼岸花であった。


「綺麗でしょう? どうにも現世の人々には疎ましがられているようですが。どうですか、この場で私と鑑賞会でも」


 あろうことか、目の前の男はその場に座り込んでしまった。

 にこやかな表情と朗らかな声音に、先程感じた害意は嘘であったのかと勘違いしそうになる。


「……帰してほしいんですけど」

「おや……。それは聞けない願いですね。彼岸花はお嫌いですか」


 悲しそうな顔。

 片手で彼岸花を掬うようにして問うてくる。


「いえ……。あの、待っている人がいるので、すぐに帰らないと」

「ですが、仕事は片付いたのでしょう? 少しくらい休憩したところで誰も文句は言いませんよ」


 このままではお茶でも出されてしまいそうである。

 否、この場にはティーセットもテーブルも椅子もないのだけれど、どうにも目の前の人ならさらっとどこかから出してきそうであった。


「ほら、もっと近寄ってください」


 何よりも、未だどういった対応を取ればいいのか分からないのだ。彼の立ち位置が、まったくもって見えてこない。

 アクイラとアマニがその呼びかけに答えすらせずにいると、小さく手招きしていた手のひらをそっと膝の上に戻して再び悲しそうな顔をする。ものすごく、良心に訴えかけてくる表情だった。


「はあ……。そんなに帰りたいのですか」

「はい……すみません」


 そこまで悲壮感を出されてしまうと、何故だか申し訳なくなって謝罪の言葉を紡いでしまうのが人間の性である。

 けれど、次の瞬間、ぞわりと悪寒が背筋を駆け抜けていった。


「それならば」


 伏せられていた瞳が、ゆっくりと持ち上げられる。

 初めて彼の視線を真正面から浴びて、アクイラは思わず息をつめた。


「仕方がないですね、先人のように私を倒してみてはどうですか」


 彼の赤の瞳は、無機質で人外じみた——悪魔憑きのそれだった。

 反射的に兄を思い出したアクイラが身を固めてしまったのを、アマニが咄嗟に引いて初段の攻撃から守ってくれた。


「何してるのアクイラ! 避けなきゃ死ぬ、ビーマさんがいつも言ってるでしょ!」

「……ごめん」


 つい先ほどまで自分が立っていた場所の地面が横方向に抉れている。

 何によって抉られたのか、まったく見えなかった。彼はその場から動いていないはずだ。でも、彼は何の武器も手にしていないように見える。否、もしかしたらそのゆったりとした袖の中に隠し持っているのかもしれない。

 そして何より、彼の神権が分からない。この領域が彼の異能そのものなら、攻撃系の異能ではないのだろうか。


「アクイラ、あの人は敵ってことだよね?」

「うん。悪魔憑きだね」

「そっか、あれが……」


 アマニが納得したように呟いて、警戒をより高める。

 そう、疑問点ばかりのなか一つだけはっきりしているのは、彼が悪魔憑きであるということ。であれば、やることは一つ。


「『殺さず殺させず、戦意を削ぐだけ削いで、逃がす』」


 隣でアマニが小さく頷いた。


「動ける? さっきの戦闘で大分疲れたんでしょ?」

「……アマニこそ、大丈夫?」

「私はまだ平気。でも、アクイラの方が戦闘スタイル的にもよく動くし——」

「そう。それなら俺も大丈夫。いつも訓練で先にへばってたのはアマニでしょ」

「……生意気」


 アマニの顔に微かに笑みが乗ったのが声の調子で分かる。

 それから一つ呼吸をおいて、二人は同時に飛び出した。

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