12.
「あれ、ビィちゃんが帰ってきてる。おかえり~、ちゃんと玄関から入ってきた?」
目の前の男の視線が、硬さをそのままにアクイラたちの背後へと投げられる。
男の視線の圧から解放され、アクイラもつられて振り向けば、予想通りルディヴィーが扉から顔を出してひらひらと手のひらを振っていた。
「ああ」
短い相槌と小さな頷きだけを返した男は、ちらと視線をアクイラたちに落とす。
「……この二人は」
「……アクイラです。昨日ここに配属されました」
「あっ同じく昨日配属されたアマニです!」
自己紹介をした二人をじっと見下ろした後、再びこくりと頷きが返される。
「そうか。ビーマだ。……よろしく頼む」
申し訳程度に持ち上げられた口角も、すぐにすっと下ろされて無表情に戻っていく。それに酸っぱい気持ちになっていると、ルディヴィーが小さく肩を震わせながら口を挟んだ。
「あのね、ビィちゃんはガタイがいいし声にも表情にも色がないけど、基本的に何も考えてない脳筋さんだから怖がらなくても大丈夫だよ~」
「……あー……そうなんですね」
散々な言われようにほんの少しだけビーマの顔色を窺っても、無表情が仕事をしすぎていて何を考えているのか全く分からない。
「ビィちゃんが帰ってきたなら今日の晩御飯はご馳走だねえ、アクイラちゃんたちの正式な歓迎会兼情報交換。美味しいものたくさん作るから、楽しみにしててね~」
昨日今日とすでに十分なほどのご馳走を食べさせてもらったと思っていたのだが、作り手であるルディヴィーの認識としてはそうでもなかったのだろうか。
言いたいことだけ言ってその場から通り魔的に去っていくルディヴィーの後ろ姿を見送っていると、アマニが躊躇いがちに声をかけてきた。
「ねえアクイラ。私たち、昨日からずっと散々ルディヴィーさんにもレーヴさんにも甘やかされてきたけど、そろそろ客人気分から抜け出さなきゃだよね」
「そうだね。俺もちょうど同じこと考えてた。……今日の晩御飯の準備、手伝わせてくれるかな」
「うーん……」
自分たちの正式な歓迎会だと言われてしまった以上、断られる可能性の方が高いかもしれない。日が沈むころであるいま、もうすでにほとんどの仕事が片付けられていて他に特段やることはない。
二人してとんだ難問に突き当たったような顔をして首をひねって、そして。
「——どんなに足手まといであっても、何とかしてその好意を無下にしない道を探す人だ。安心していい」
体の奥底まで響くような低音に、二人して飛び上がった。否、正確には飛び上がったのはアマニで、アクイラはせいぜい縮み上がった程度だったが。
そういえばいたのだった。ルディヴィーだけが去っていったのだから、背後の彼がまだいるのは道理である。
恐る恐るといった風体が気づかれないように、さりげなく背後を振り向く。
「ビーマさん……」
「俺は炒める蒸す煮るを知らずに厨房に入って、何の指示も理解できなかったことがある」
「それは……何というか……」
「自分が世間知らずだったという自覚はある。遠慮せず言うといい」
「あ、はい……」
隠せずに引きつった顔が、ビーマの鉛色の瞳に映っているのが見えた。じっとアクイラを見つめていた彼は、ふいと隣のアマニにも視線を移した。
「俺が焼くことだけはできると知ったあの人は、わざわざその日の献立を変えてまで俺に魚の番を任せてくれた」
「あ、魚。いいですね」
ぽやぽやと笑ったアマニに、ビーマがゆっくりと頷く。
「毎日のように焼いていたからな。魚を捕まえるのも得意だ」
「渓流が家の近くにあったんですか?」
「まあ……渓流のある山が家だった」
「山育ち!?」
現代で山育ちなんてほぼ無いに等しい。目の前の彼はどれだけ年を重ねているのだろうか。このひとに料理を教えたルディヴィーなんて、いったいどれだけ生きているのだろうか。
ひたすらに驚いているアクイラを他所に、アマニとビーマが会話を重ねていく。
「とにかく、あの人がお前たちを迷惑に思うことなど決してない。俺たちと共にいられることが、最上の喜びだと思っている人だからな」
「確かに……昨日も今日も、本当に全身から楽しそうで幸せそうな雰囲気を出してましたね」
「そうだろう」
「ノーシスさんと久しぶりに会えたのも嬉しかったみたいで、本当に、楽しそうでした」
アマニが、納得した様子で何度も頷く。
つられて出会ってからのルディヴィーを思い返したアクイラも、確かにそうだと心の中で頷いた。始終楽しそうに笑って喋っていた記憶がある。
「……ノーシスが来ていたのか」
「はい、私たちの付き添いで。今朝早くに帰られたようですけど」
「それは……惜しいことをしたな」
相も変わらずよく読み取れない表情でそう落としたビーマは、静かにルディヴィーが出ていった部屋の扉を指さした。
「厨房はその扉を出て右の階段を降りたところにある。ルディヴィーもいるだろうから声をかけてみるといい」
「……ビーマさんは?」
「俺はレーヴに呼ばれている。庭の植物についての話らしい」
夕飯を楽しみにしている、と声をかけて部屋から出ていったビーマの後ろ姿を眺める。
「なんか……ルディヴィーさんが言ってた通り、見た目はちょっと怖いけど、すごく優しい人だったね」
「うん。……正直、アマニがすぐに打ち解けたのは意外だった。君って少しビビりだと思ってたから」
アマニは緩く笑って不思議な光彩の瞳を細めた。
「よく言われるし、私も自分がビビりだと思うけど……でも、ビビりのせいで根が優しい人に気が付けないのって、すっごく悲しいことだと思うから。そんなもったいないこと、私はしたくないの」
ね? と小首を傾げた動作に合わせて、柔らかな亜麻色の髪が流れる。
「君は、すごい人だね」
どうにも、アマニと一緒にいると、自分まで柔らかくなれる気がした。




