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13.

 結局ビーマの言っていた通り、ルディヴィーは二人の申し出を心から喜んでくれた。手際の良いルディヴィーが適度に指示を出してくれて、とんとん拍子にご馳走が出来上がったちょうどその時、厨房の入り口に人影が立った。


「あら、もう出来上がったの? 早いわね」

「でしょ~? 二人が手伝ってくれたからねえ」


 むずがゆさに少しだけ首をすくめ、そっと視線を出来立ての料理に滑らせる。


「……あ」


 ぽつり、と落とされたアマニの小さな声に反応して、アクイラは落とした視線を持ち上げた。アマニの視線の先には、レーヴの背後に静かに立っているビーマがいた。


「……あ、笑って、る?」

「ね、やっぱりそうだよね」


 そんなことを話している間に、ビーマがふいと踵を返してどこかへ消えていく。

 ほんの少しだけ、あの無表情が綻んで、瞳が温かな色を宿していたように見えた。相手は暗がりにいたし、もしかしたら見間違いかもしれないけれど。


「案外、表情も読みやすいのかもね」

「ね」


 くふくふと二人して笑いあっていると、ルディヴィーが軽く手を叩く。


「料理向こうに持って行くよ~。汁物は気を付けて運んでね」

「はーい!」


 明るく返事をしたアマニに続いて、アクイラも大皿を手にする。本当にこれだけの量を食べ切れるのだろうかと戦々恐々としつつ、次々に並べられていく皿は、机の上をより豪勢にしていった。


 空腹を適度に満たすまで、他愛のない話を連ねていた彼らは、腹五分目ほどでようやく本題に入った。

 静かにカトラリーを置いたレーヴが、とりあえず簡単にね、と前置きをしてから微笑む。


「私はレーヴ、泡雪の神継ぎよ」

「はいは~い! 愉悦の神継ぎのルディヴィーだよ~!」

「ビーマ。重渦の神継ぎだ」


 立て続けに紹介された彼らの権能を反芻しながら、アクイラも口を開く。


「アクイラです。迅雷の神継ぎと言われました」

「アマニです、心緒の神継ぎです!」


 うんうん、と頷いたルディヴィーが、「次はなんだろ? この塔の仕事内容とか?」と緩く首を傾げる。


「そうね……貴方たち、だいたいの塔ごとの概要はノーシスから聞いた?」

「ああ……そうですね、聞きました」

「そう。それなら説明は簡単ね」


 ふふ、と柔らかく透き通った金茶が細められる。


「戦闘に携わる塔は知っての通り第二塔と第五塔の二つがあるけれど、そのうち私たちは、弱すぎる、あるいは強すぎる敵を相手にするの」

「普通の敵は、第二塔の方々が相手取るんですか?」

「そういうこと~。まあ、あそこはいわば広報担当だからね。相手が弱すぎても一般人にとっての娯楽性に欠けるし、強すぎると万が一ってことがある。そんなの中継で繋いでたら放送事故もいいとこだもんねえ」


 アクイラの家庭ではそういった生々しいものが避けられていたので、あまり想像がつかずに適当な相槌を返す。


「わ、私、ずっとそういった中継では仕込みの敵と戦ってるんだと思ってました……」


 アマニの瞳が最大限に見開かれ、表情にショックがありありと浮かんでいた。

 その様子を見て、ルディヴィーが楽しそうに笑う。


「違うよ~、あれ全部本物。なかなかにグロいことするよねえ。でもまあ、そのお陰でこれだけ神継ぎと生活域が断絶されてても存在が認知されてるから、ありがたいことにはありがたいのかな」


 そこまで言ってから、ルディヴィーが飲み物のおかわりを注ぎに席を立った。

 それを視線で追いながら、レーヴが続ける。


「強すぎる敵っていうのは、簡単に言うと悪魔憑きのことね。私、この呼称は好きではないのだけれど」


 物憂げな視線と、僅かばかりのため息。

 けれど、瞬きの間に彼女の瞳からその感傷は消え去っていた。


「政府からは討伐の命令が来ているの。でもね、私たちは、その命令に従ったことはない」


 一瞬の静寂。そして、アクイラの喉から「え」と小さな音が零れ落ちた。同時に、隣に座るアマニからも空気を吐き出し損ねた音が聞こえた。

 レーヴから視線を逸らして、ちょうど帰ってきたルディヴィーを見やれば、彼女は不敵な笑みを浮かべていた。そしてそのまま左に視線を流した先には、話を聞いているのかいないのか、未だ劣らぬ食欲とともに次々と料理を腹に詰めていくビーマの姿。思わず微妙な顔になったアクイラに、ルディヴィーが吹き出すのが分かった。


「いいんですか。だって、ミスラさんとの契約、破ったことになるんじゃ……」

「別に、国家の命令に背いてなんていないもの。私たちは、己の力不足が故に、いつも()()()()()()()()()()()()()()()()()

「へ、屁理屈……」


 その堂々たる言い草に、アクイラもだんだん何と言っていいのか分からなくなってくる。


「いつかミスラさんから問答無用で処罰されたりしないんですか……?」

「あら、この抜け穴はミスラ自身が作ったものよ。第三塔の彼が一役買っているのだから、誰にも処罰はできないわ」


 ふふ、と悪い顔で笑ったレーヴに、隣でアマニが「いい顔……」と呟いた。

 しかし、アクイラにとってこれ以上ない朗報である。兄は、少なくとも神継ぎの手によって、殺されることはない。

 安堵に包まれるとともに、それでも、と身内云々の問題を抜きにした疑問が頭をもたげる。


「でも、それって問題の対処を先延ばしにしているだけになりませんか? いつまでも逃がし続けるわけにはいきませんよね?」

「いいえ? 私、希望のない策はとらないの」


 自信に満ちた表情でそう口にしたレーヴに、つられて背筋が震えた。


「悪魔憑きは、なにも殺されるまで暴虐の限りを尽くすわけではないわ。正気を取り戻すことはあるの。そして、私はその事例を実際にこの目で見たことがある」

「……本当に……?」

「ええ。瞳の色は赤く染まったまま戻らなかったけれど、そんなのは命の前では些末事よね」


 アクイラは一筋の希望を見た。

 何も分からないまま今日この時まで来てしまったけれど、あの日から初めて自分の軸が再び定められたような心地さえした。


「どうやって、どうやって正気を取り戻したんですか? 何か条件があるんですか?」


 はやる気持ちを抑えて問うたアクイラに、しかしレーヴは申し訳なさそうに眉を下げて首を振った。


「残念だけれど、分かっていることはほとんどないの。彼が正気を取り戻してから七百年間、他に悪魔憑きから生還したものはいない。尤も、そもそもの母体数が少ないのだけれど」


 憂うように瞳が伏せられ、けぶる睫毛が影を落とす。


「もしもそれが内発的な働きかけから起きたものなら、私たちはこのまま持久戦を続けていればいい。でももしも外発的なものだとしたら、その要因が分からないの」


 きっと、彼女はありとあらゆる手を片っ端から試したのだろうと、不思議とそう思った。

 七百年という膨大な時間がありながら、どうして未だに謎が解明されていないのかなんて、噛みつけるはずもなかった。


「……七百年前のその時は、何をしたんですか」

「そうね……。当時悪魔憑きになったのは、私とミスラが特別可愛がっていた子だった。変異したてで私たちでもなんとか手に負える彼を押さえつけて、そして、最終的にミスラが契約を結んだ。彼の了承も何もない無理矢理なものだったけれど、確かに結ばれた契約だったし、効力もあった。……でも、後の悪魔憑きに同じことをしても、何も起こらなかった」


 そっと事実を並び立てたレーヴの言葉を引き継いで、ルディヴィーが肩をすくめる。


「だから結局、手詰まりなんだよね~……。せめてあと一人でも正気に戻ってくれれば、共通項を探し出せるんだけど」

「でも、私たちはあれを奇跡として片付けたくはない。一度成功例を見ているのだからなおさら。私たちの力は人を殺めるためのものではないのだし、そうせずに済むのならそっちの方が素敵じゃない?」


 夢物語だと切って捨てられてしまいそうな話を、本当に実現できると信じ込ませる響きがあった。否、アクイラがただそう信じたいだけなのかもしれないけれど、それでもなお感じる圧倒的な統率の才。この人であれば全てを投げ出してでもついていきたいと思うような、そんな引力。


「だが、そう言っていられるのは彼らがまだ誰も殺していないからだ。人に害をなした瞬間、俺たちは確実に彼らを庇えなくなる」


 いつの間にか料理から視線を上げて、ビーマが正面のアクイラとアマニを見ていた。


「分かるな。俺たちは強くあらねばならない。ここに配属された以上、彼らの襲来を無被害でやり過ごす技量が必要だ」

「話を最後まで聞いちゃった以上、君たちも共犯者だからね?」


 頬杖をついた少女の琥珀がにんまりと細められる。


「……悪徳商法だ……」

「ふふ、じゃあ君たちは可愛いカモちゃんだね~」


 せいぜい、アクイラもアマニもまだ親の後をついていくしか能のないコガモである。

 果たしてその親が導く先が明るいか否かはまだ未知数であるけれど、どちらに転んでも後悔はないだろうという予感だけはあった。

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