幕間2:沼江津神社第二社務所特別資料室。
沼江津市猿鳴山の麓。緑が濃い鎮守の森のほとりを啓き、立派な神社が建っている。
年季の入った大鳥居を潜り、石畳の参道を進む。手水舎や神楽殿、宝物殿、戦没者忠魂慰霊碑、海難鎮魂碑などの前を通り過ぎて、二の鳥居を潜る。
勇壮な面構えの狛犬が参道の両脇に数対も並ぶ。大きな社務所の前を過ぎ、大きく重厚な造りの社殿――賽銭箱が置かれた拝殿の前へ。
社殿の周りを窺えば、幾つかの小柄な、されど見事な造りの末殿や摂社、それに雅な稲荷神社が並ぶ。
そして、拝殿の奥にはこの地に街が築かれる以前からそびえ立つ巨大な御神木を背に、拝殿より少し小柄な本殿が建っている。
沼江津神社の本殿と御神体は決して一般公開されない。そこに立ち入ることが許されているのは、神社に勤める神職の中でも限られた者達だけだ。
なにせ、其処には旧き世に討伐された妖怪の骸が封じられている。
13にも及ぶ退魔刀を突き立てられ、注連縄で繋がれた巨大な怪物の骸は、悪鬼羅刹の如き面構えのマシラ顔。虎の如き模様が入った真っ黒な巨躯。尻から伸びた蛇状の尾。
“鵺”。
平安の御世、源頼政が退治した伝承で知られる悪名高き妖夷。
鵺は度々現れ、記録に残されている。日本紀略。殿暦。拾芥抄。台記。平家物語。吾妻鏡。太平記。看聞日記……
この沼江津の地もまた、かつて鵺津と呼ばれた鵺討伐伝承が綴られる地であり、この沼江津神社は討伐してなお屍を残し続ける鵺を封じ、この地の神霊を鎮め奉り、この地に暮らす人々を霊的に守護するべく築かれたのだ。
陰陽秘伝の技で打たれた退魔刀を四肢と尾に1本ずつ、体躯に7本、眉間に1本突き立てられ、注連縄で繋がれた妖怪の死骸は1千年を超えてもなお朽ちることなく、破邪祓魔の結界を施してなお、おぞましき妖気をこぼしている。
この大妖の屍から漏れ流れる妖気が原因なのか、沼江津の地は怪異の厄事や摩訶不思議な怪事が絶えない。
そのため、沼江津の地で生まれ育ち暮らす者達は信心が篤い者もそうでない者も、幼い頃から当然の習慣として寺社をよく詣で、市内のそこかしこに建つ道端地蔵や道祖神の碑を大切にしている。それこそ職業的犯罪者や世の中の全てを舐め腐っているクソガキ共でさえ、だ。
沼江津という地はある意味で大妖に祟られた土地と言えるが、見方を変えれば、文明の発展に伴って神秘と幻想の多くが暴かれた人界にあってなお、不思議の濃い土地と言えよう。
ゆえに。
この沼江津の地において、神職の務めはただ神仏に祈祷し、修行するだけではない。
人に仇なす狭蠅な邪鬼妖怪をブッ倒し、人の世に要らぬ混乱を招かぬよう魑魅魍魎の存在を上手く隠蔽することもまた、立派な聖務なのである。
たとえば、沼江津神社第二社務所特別資料室の職員達のように。
○
大妖、鵺を封じる沼江津神社の広大な敷地の脇に、これまた大きな駐車場がある。
職員と参拝客(観光客)が利用するこの駐車場の端に、頑健な見た目の第二社務所が接していた。
関係者以外立ち入り禁止の看板と背の高い鉄柵で覆われ、ガチで部外者が入ることは敵わない。某地域に暮らす人々は『ヤクザの親分の家みてぇ』とか思うかもしれない。
その沼江津神社の駐車場にダイハツの軽自動車ミライースが駐車され、実に胡散臭そうなスダレ頭の中年男が降り立つ。
ブラウンの背広にピンクのワイシャツという胡散臭いスダレ頭は懐から写真付きIDカードを取り出し、首に掛けた。IDカードに記載された名前は杉浦とある。
胡散臭いスダレ頭の杉浦は猫背を伸ばすことなく歩き、IDカードキーと指紋認証で第二社務所のゲートを開け、屋内に入る。廊下と階段を進み、自身が長を務める第二社務所特別管理室へ入室。ビジネススーツ姿の職員達とひと通り挨拶を交わした後、部下達へ抱えている案件の報告を求めていく。
「岩野くん。廃ラブホの件、後始末は完了した?」
胡散臭い容貌と違い、裏腹の声はいぶし銀の美声で、ゴスペルを歌わせてみたくなる艶やかなバリトンだった。
中年の男性職員が報告を始める。
「廃墟には改めて護法印を施術。結界を張り直しました。件の配信者の車両は解体して屑鉄に出しました。住居の方は手つかずのままです」
「それで良い」杉浦は首肯し「突発的な失踪行方不明者なんて珍しくないからね。下手な小細工はしない方が良いわな。配信の方は? リスナーが騒いでない?」
「チェックしましたけど、例の実況を視聴していた人数は10人足らずでした。アーカイブが残っていますが、モノノケはカメラに映りませんし、マギーが現着した時には配信が断絶していたので、視聴者が騒いでも手繰れないかと」
「そっか。じゃあしばらくは経過観察だ。場合によっては本庁に情報操作の協力を仰ごう」
杉浦は若手2人へ顔を向けた。
「国道海岸沿いバイパスの方は何か分かった?」
「マギーの言う通り、妖気の残滓が確認できました」清楚系美人の久継シズカが答え「ただ私達が到着した時点ではかなり薄れていましたので、妖気の主がモノノケか霊か特定するには至っていません」
「六月末頃からラブロードで事故が急増しています。死者は出ていませんが重軽傷者多数。一名が意識不明の昏睡状態ですね」
二年目の若手である『平凡そうな雰囲気だけどよく見ればイケメン』というラノベ主人公みたいな青年の皆本トウマが報告すれば。
「死者は出てない? 確かか?」
杉浦は随分と後退している生え際を掻きながら、眉間に微かな皺を刻む。
「警察の官報と搬送先の病院記録で確認しましたから、間違いありません」トウマは確信を込めて「ラブロードは今年に入ってから事故が幾度か起きていますが、死者は出てないです」
トウマの報告に、杉浦は判断に惑う。
暴力拝み屋マギーは超一流のモノノケ殺しだ。祟り荒ぶる神さえバットで撲殺する破格の霊能者。そのマギーがことモノノケ絡みで誤認や勘違いをするだろうか。
「妖気の正体を特定するまで調査を継続、早急に答えを出してくれ。国道海岸沿いバイパスはこの地方の経済で重要な役割を担ってる。妖気で汚染されて禁足地へ堕とされたらシャレにならない」
「わかりました」「了解です」
久継シズカと皆本トウマは異口同音の答えを返す。
杉浦はそれぞれに任せている仕事の進捗や報告を聞き、指示を出した後、自身のオフィスへ入った。
バッグを置いてデスクのPCを立ち上げ、思案する。
先ほど若手2人に告げた自身の言葉――ラブロードが禁足地に堕ちる可能性――を反芻し、決断。スマートフォンを手にして登録してある電話番号を選ぶ。
相手は暴力拝み屋マギー。
○
篠塚ユウゴと橘輪リコが藤咲スミレと喫茶店で対峙していた頃。
夏の夕暮れ。西日を浴びてオレンジ色に焼かれる空。山から注ぐセミの合唱。
沼江津神社の関係者以外立ち入り禁止な第二社務所。利用頻度がとても低い質素に過ぎる応接室。
応接用ソファで、悪羅悪羅系ジャージ姿のDQN女性がアイス珈琲を飲みながら煙草を吹かし、新品の灰皿へ灰と吸殻を落としている。
なお、第二社務所は館内完全禁煙です。
応接室のドアが開き、胡散臭いスダレ頭の猫背オヤジが姿を見せ、室内にこもった紫煙と煙草の匂いに貌をしかめた。
杉浦はこれ見よがしに部屋の窓を開けた。煮えた暑気が津波のように室内へ流れ込む。
応接テーブルを挟んでDQN女性の向かい側に腰を下ろす。ブラウンのスラックスで包んだあまり長くない脚を組み、挨拶や雑談を省いて話を切り出す。
「国道海岸沿いバイパスを調べてみたよ。確かに妖気の残滓が確認された」
「だろうな」
暴力拝み屋マギーは短くなった煙草を灰皿に押し付けて消火。鋭い目つきで杉浦を定め、問う。
「モノノケと霊。どっちだ?」
「今のところはまだはっきりしない」
杉浦は即答した。見た目と違ってバリトンの響きが美しい。
「モノノケにしては被害が少なすぎる。モノノケなら間違いなく人を食う類なんだがね。死人が一人も出てないんだよ。妙だよなぁ」
「善玉のモノノケが居ない訳でもねェ。ラブロードで人にじゃれついてるだけって線もあり得るぞ」マギーはアイス珈琲を口へ運ぶ。
モノノケはその全てが人に仇なすわけではない。日本全国各地の妖怪伝承には、人を好み、人を愛する朗らかなモノノケがいくつもいる。悪戯目的で人に迷惑をかける程度のモノノケも多い。
「もっとも……アタシが嗅いだあの臭ェ妖気からして善玉の訳がねェな」
マギーの軽口へ首肯し、杉浦は話を続けた。
「霊というのも考え難い。国道海岸沿いバイパスほど広域を動き回れるなら怨霊クラスだ。でも、あの道路にそれほどの怨恨憎悪の由縁や因縁はないんだな、これが。道路工事の際に何かしらの祠や塚を取り壊したという記録もないときた」
「ふむ。その辺はアタシが調べたことと同じだな。ラブロードにゃその手の由縁や因縁はねェ」
小さく頷き、マギーは腕組みして思案顔を作る。
しばし生じる沈黙の静寂。暑気を取り込む窓の外から蝉の合唱がよく聞こえる。
背もたれに体を預け、マギーは回答を出す。
「モノノケでも霊でもなく、あの妖気の臭いと残滓から考えられる線は……呪物から転じた付喪神の類か。もしかしたら百鬼夜行を招くか疫神に成るかもな」
「その可能性に行きついちゃうよなぁ……」
杉浦は胡散臭い顔貌をしかめさせ、細く長く息を吐いた。
永き時を得た物や人の強い想いを宿した物は霊魂を獲得したり精霊を宿し、付喪神に転じる。大抵の付喪神は最も近き人間の影響を受ける。大事に扱われた物は忠犬のように人を愛し、粗雑に扱われた物は人を祟る。
そして、悪性の強い付喪神は同類を呼び集め、危険な災厄を招く百鬼夜行を起こすか、荒ぶり祟る疫神へ昇り、危険な禍を引き起こす。
厄介なことに、付喪神は最底辺の神格ながらも神州八百万の神々に属する。並みの破邪退魔の技は通じず、祓い鎮めるしかない。沼江津神社の現場要員で対処は可能だけれど、犠牲が生じる危険性が高い。
ならば――
「……頼んじゃって良いか?」
「受けることはやぶさかじゃねェけど」
マギーは赤白のパッケージから紙巻煙草を取り出し、柔らかな唇の許へ運びつつ、
「もしも付喪神が走り屋共の真似事をしてたら、簡単にはいかねェぞ。ラブロードは高速道路に準じる高規格道路だ。待ち伏せはムズい。かといって狩ることも厳しい。軽く調べてみたが、付喪神が撃墜したらしき走り屋にゃあ、ガチで200キロ以上出してるパープリンも混ざってた。つまり」
「こちらも同等以上の速度を出せるアシを用意する必要があるな。当ては?」
「有るにゃあ有るが……ちっと時間が掛かる」
杉浦の問いへ答え、ジッポで煙草に火を点す。スッパーッと豪快かつ傲岸に紫煙を吹かしてから、杉浦を挑発するように冷笑する。
「多分、ギリギリだ。下手すりゃ間に合わねェかもな。その場合はラブロードで百鬼夜行が発生するか、疫神がラブロードに巣くうことになる。まあ、アタシなら両方起きてもぶっ潰せるけど」
「でも、被害が出ちゃうなあ」
顔を険しく歪め、杉浦は深い深い生え際を掻く。
「七月の下旬までは待つ。間に合わないなら、こっちでやる。その備えも始める」
「まあ、そのくらい慎重に構えた方がいーだろうよ」
杉浦の判断を嘲ることなく、マギーは紫煙を燻らせながら、真剣な顔つきで言った。
「なんせ相手は神の端くれだからな」
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