8:ファクトリーΓ
一週間以上振りの情交を存分に楽しみ――けしからぬ――リコは大いなる満足感と倦怠感を味わいながら、ベッドから身を起こす。
リコの求めに全て応えたユウゴは今だ睡魔に囚われていて、静かな寝息を立てている。
心魂の底から愛しているオトコの頬に口づけし、リコは裸のままベッドを降り、脱ぎ捨てたショーツを拾って着込み、ブラをつけずにTシャツを羽織る。
まぐわいの臭気が仄かに漂う部屋の窓を開け、空気を入れ替える。
窓から注ぎこまれる朝の爽やかな涼を堪能した後、小柄な冷蔵庫から紙パックのアイスコーヒーを取り出してグラスに注ぎ、フレッシュミルクとガムシロップのパックを一つずつ垂らす。グラスを持ってマルチモニターのデカいPCの前に座り、火を入れた。
PCのクイックな立ち上がりを見守りつつ、リコはグラデーションカラーの波打つ長髪をヘアゴムでポニーにまとめる。PCの立ち上がりが終わり、リコはアイスコーヒーを口に運びつつ、メールや保有株のチェックを済ませ、本題の作業を始める。
キーボードの上で綺麗な指を踊らせてネットの広大な海を泳いで回り、めぼしい情報やデータをマルチモニターに貼りつけていく。ついでに、トーアでダークウェブに潜ってアングラなバイク系コミュニティから400Γのサービスマニュアルをゲット。もちろん法的には限りなく黒寄りのグレー。よい子は絶対に真似しちゃダメだぞ。
集める情報は主に二つ。
一つはRG500/400Γについて。古いマシンだが、それゆえに国内外のレース関係者のブログやフォーラム、コミュニティなどから様々な情報が得られる。
もう一つは藤咲スミレが語った内容の裏取り――彼女の兄が本当に事故を起こし、入院中なのかということ。こちらはスミレを起点に友人知人などのSNSを漁って情報を探す。
「思った以上に面倒だな」
RG500/400Γはスクエア4エンジンという特異な構造の超高回転型エンジンを持つ、が80年代の技術的未成熟から、下手に弄るとトラブルが生じ易いらしい。また経年劣化によってクランク軸が大きくズレたり、といった故障が起きることもあるようだ。
それに、旧車らしくイグナイターやハーネス、ジェネレイターなどの電気系も経年劣化が進み、それらの問題も大きい模様。
「こりゃ純正に近いものより、改造されてるものを買う方がいろいろ手っ取り早いな」
藤咲スミレの方はウソ偽りなしだった。スミレ兄は事故に遭い、入院している。
「全世界へ個人情報を垂れ流してる自覚が足りん奴ばかりよなぁ」
投稿された文章や画像を篩に掛けてあれこれと分析した結果、スミレ兄の個人情報は勿論、入院先の住所や部屋番号まで特定できそうだった。
並行して二つの情報を調べ続け、小一時間ほど経ったところで、ユウゴが目を覚ます。
「おはよー」
「おはよう……早いな……もう起きてたのか」
ユウゴが目元を擦りながら身を起こす。
文学青年みたいな容貌だけれど、身体付きはしっかり引き締まっている。小中学時代にチャリンコでスピードを味わうべく、毎日アホみたくペダルをこぎまくった成果に加え、バイクに乗り始めてからマシンを操るために筋肉を増やした結果だ。
乱れ髪で裸体を晒すユウゴが小さく欠伸をこぼしつつ、ベッド脇に脱ぎ捨てた下着を探す様を、リコは鼠を見つけた猫のような目で見つめ――ムラッとした。
欲望に忠実なリコは素早くPCチェアから腰を上げ、虎が子鹿を襲うようにユウゴをベッドへ押し倒す。
「マジで?」押し倒されたユウゴは、自分の上に覆い被さり、鼻息を荒くするリコに慄く。昨晩あれだけしたのに?
「冗談だよな? 流石に冗談だろ?」
リコは興奮で耳まで上気させ、猫目を潤ませながら食らいかかる寸前の虎みたいに笑う。
「“俺”はいつだって本気だぞ♡」
「待て。話せばわかる」
「問答無用♡」
ユウゴが青年将校を思い留まらせようとした犬養毅の言葉を用いるも、リコは青年将校と同じく言葉を拒絶し、自身の唇でユウゴの口を塞いだ。
朝っぱらからけしからぬ。
○
週末土曜日の午前。沼江津の海に臨む閑静な新興住宅地。
アッパークラスからアッパーミドルを対象とした住宅地で、並ぶ家々もお高そう。軒先や自宅駐車場に置かれた車もお高い車種が目立つ。地域内で見かける人々も装いのグレードが高い。何より散歩中の人達が連れている犬が皆、高級品種ばかりだ。
そんな新興住宅地の一角に、藤咲家のお宅があった。広い敷地。大きな邸宅に立派なガレージ+屋根付きカーポート。
「お金持ちだ」
ポンコツのカブから降り立った一般家庭の坊主がしみじみと呟く。昨日に学校帰りのままリコのガレージハウスに泊まったため、市立沼江津のポロシャツとスラックス姿だ。
花柄シートの白ダックスから降りた沼江津市富裕層の御令嬢が鼻を鳴らす。こちらはスキニーデニムにキャミソールを着て、アロハを小粋に羽織っている。
お宅の前でユウゴがスマホをぽちぽちしている間に、リコが長い髪をヘアゴムでざっくりお団子に。
玄関が開き、カジュアルなワンピース姿の眼鏡っ娘――藤咲さんちのお嬢さんが姿を見せる。
「こ、こんにちは……」
おずおずと挨拶する人見知りのスミレ。知り合って二日目。まだ慣れない。
「こんにちは」「よぉ」
ユウゴとリコが手を挙げて応じ、リコは袈裟に担いだスポルディングバッグから上等な風呂敷で包まれたお土産を取り出して、スミレに渡した。
「これ、御家族とどうぞ」
「えっ!?」手土産など予想していなかったのか、吃驚を上げるスミレ。「な、なんで?」
「あのな」リコはスミレを諭すように「“アタシ”らのナリを見ろ。特にアタシ。付き合いがあったら、あんたの親が心配する類だろ。だから、見た目と違ってしっかりしてるお嬢さん、っつぅ印象が大事なんだよ」
「リコは如才ないんだ」と隣でユウゴが苦笑い。
「はぁ……と、ともかくありがとう。いただきます」
イイトコのお嬢さんらしく折り目正しく礼を述べ、スミレは受け取ったお土産を置きに一度、家の中へ戻る。その間、ユウゴとリコは屋根付きカーポートの下を抜け、立派なガレージの前へ。
「この立派なガレージ……藤咲さんの親は車かバイク好きだな。子供二人がバイク好きな辺り、きっとバイクだ」
「外車とみた。ハーレー、ドゥカティ、BMW、大穴でロイヤルエンフィールドとか」
そんな会話をしているところへ、スミレが戻ってきた。リモコンを押してガレージの自動シャッターを開ける。
自動で照明が点灯。ガレージ内は所有車を停めるための空きスペース、洗車道具や各種工具、物置として置かれたいろいろな荷物、それにピカピカのZX4RRに自転車。そして2人の予想は……
「車だったかぁ」
「マツダのロードスターか」
バイクではなく自動車でした。
ガレージ内に駐車されていた車はマツダのコンパクト・オープンスポーツ、ロードスター。海外ではミアータの名前で販売されている“お手頃価格”の小型スポーツカーだ。お金持ちが乗るにはちょっと“安すぎる”かもしれない。でも、とても大事にされているらしくピッカピカだった。
ちょっとがっかりしている2人へ、スミレがどこか恥ずかしげに。
「それ……お父さんとお母さんが二人だけでドライブする時に乗ってるの……」
素敵な逸話にほっこりするリコとユウゴ。
最後に――シートを掛けられた物体。
「これか」
リコの指摘にスミレが頷き、ユウゴがシートを剥がした。
全損したRG400Γが――今や死骸と化したマシンが痛々しい姿を晒す。
沈痛な面持ちを浮かべるスミレを余所に、リコとユウゴは400Γの許へ近づき、しげしげと観察を始めた。
「フロント周りの被害が酷いな。タイヤ、ホイール、フォーク、ディスクにキャリパー、マスターとホース、全部ダメだ。左ハンドル周りもダメ。これブリッジを通じてフレームの首元もイッてるだろ」
「あー……たしかにな。ひずみとクラックが走ってる」
検視官染みた目つきのユウゴへ首肯を返しつつ、リコは車体脇に屈み込んでポケットから出したフラッシュライトであちこち照らし、検分を進める。
「フロントとフレームは完全にダメ、と。んー……やっぱりエンジンはイケそう。全バラ点検は確定だけど、少なくとも見た感じガワにクラックや損傷はない」
「リア周りはそれほどでもないな。カウルとスイングアーム周りに擦り傷があるくらいか。チャンバーにへこみやヒビはないっぽい。ただイグナイターやレギュレーター、ハーネスは無事か分からん」
スミレが見守る中、ユウゴとリコは不躾なまでに淡々と400Γの観察と点検を行い、
「なんだこれ」
リコはメーター周りの基部に御守りが仕込んであることに気付く。
「お兄ちゃんがこの400Γに乗り始める時、沼江津神社で買った御守りを入れたの。神様の御加護がありますように、て」
スミレの話を聞き、リコは冷ややかに思う。
――事故に遭ってんだから御利益はなかったか。いや、これだけの損壊する事故に遭って死んでないんだから、御利益があったのか。
流石にこれは声に出したりはしない。リコは腰を上げてスミレへ顔を向けた。
「エンジンを移植するとして、他の部分はどうする? 廃棄して良いのか?」
「お兄ちゃんはZX4RRが届いたら手放すつもりだったし、エンジンを使って貰えるなら、他のところをどうするかは、お任せします」
「親御さんの御意見は?」とユウゴ。自分達は未成年なのだ。親の意向を無視して話を進めたら、後々余計なトラブルになりかねない。
「私に任せるって」スミレは可憐な顔に濃い翳を浮かべ「ウチは今、お兄ちゃんのことで手いっぱいだから……」
その昏い表情から、ユウゴはスミレの心情を察した。自分も似たような覚えがあるから。
「まあ、家族が大変な時だ。廃車するしかないバイクに構っちゃいられないわな」
リコは努めて何でもないような口調で話を終わらせ、水先を変える。
「書類は揃ってんだよな? 保険とかもう処理してあるのか?」
「書類は全部ある」スミレがリコに首肯する。「保険の方は4RRを登録した時に移したよ」
「なら、近日中に陸運局行って400Γの廃車手続きをやって。フレームを再利用できない以上、このΓは復活させられない。名義変更じゃなくて廃車にした方がいい」
「そう」スミレは肩を落としつつ「……分かった。週明けから短縮授業だから、午後から行って手続しておきます……」
「話がまとまったし、早速運び出すか」
リコが言った。
「え」スミレは眼鏡の奥で二重どんぐり眼を瞬かせた。「運び出すって……え?」
「ここに置いといても作業できねーもん。まずは“俺”んちまで運ぶ」
戸惑うスミレを余所に、リコはスマートフォンを取り出して電話を掛け始める。
「――マーちゃん、今暇? ユニック出せる? うん。バイク積むの。え、違う違う。ユウゴじゃないよ。知り合いの部品取り車を引き揚げんの。そうそう。動かない。うん。運ぶのにドーリーもいる。うん。道路まで動かしたらクレーンで吊り上げちゃえば。あー、大丈夫。通りから入って来られる。うん。スマホへ住所送るね。よろしくー」
テキパキと話をまとめ終え、リコはスミレに告げる。
「知り合いが小一時間くらいでこのガンマを取りに来るから」
「え? え? え?」
困惑するスミレが助け舟を求めるようにユウゴを見る。ユウゴは控えめな微苦笑を返した。
「これがリコだ」
○
400Γの回収まで時間があるので、ガレージ内にあったチェスター付作業台とガレージチェアを引っ張り出し、昼飯前のちょっとしたお茶会が催された。作業台に並ぶ冷たい麦茶とよく冷えた羊羹をお共に、あれこれと雑談を交わす。
ユウゴはカノジョについて語り。
「俺は小3の時に沼江津の父方実家に越してきて、小4の時にリコと同じクラスになった。リコはあの頃からメカ好きだったな。周りがゲームだのなんだので遊んでる時に農機や電動工具を直したりバラしたりしててね。クラスで浮いてたよ」
リコ本人曰く『機械弄りはパズルみたいで楽しいし、成功すれば動くから達成感や満足感も大きい』とのこと。
逆にリコはカレシについて語る。
「こいつは“アタシ”が出会った時からスピードキチだった」
→回想シーン・スタート。
ユウゴは沼江津に移り住んで間もない頃。叔母一家から『ウチの子はもう乗らないから、ユーちゃんにあげる』と従姉のお下がり――ジュニア向けマウンテンバイクを貰った。それも競技用の。
以来、ユウゴは毎日マウンテンバイクをかっ飛ばすようになり、ウィリーやストッピーなどトリックからBMX紛いの空中アクロバットが出来るほど扱いに長け。
アーバン・トライアルを真似て住宅地や商店街の細道や裏路地を激走し、警察に捕まったり(超怒られた)。仕舞いには学校の裏山でダウンヒルごっこをした結果、転倒滑落。危うく死にかけたり(救急車が出張る騒ぎになり、バチクソ怒られた)。
この事故がきっかけで警察署から交通課のお巡りさん達が小学校へ派遣され、校庭で自転車の安全運転講習が開かれる事態に至った。
→回想シーン終了。
「ああ。裏山の斜面か。あれはちょっと焦ったな」
ははは~と笑うユウゴ。
「見ての通りだ。手の施しようがない」「えぇ……」
げんなり顔のリコ。引き気味の呆れ顔を浮かべるスミレ。
でもって超絶人見知りなスミレも自分の話をする。
「私がバイクに乗り始めたのは、お兄ちゃんの影響なの」
情報誌曰く――女性が釣りと乗り物を好むケースは男家族かカレシの影響という可能性が高いとのこと(ケースバイケースの気もするが)。スミレは乗り物好きな父やバイク乗りの兄の影響で乗り始めたという。このRG400Γも同じく乗り物好きな祖父の知人経由で兄が入手したものらしい。
「去年の夏休みに免許を取って、お兄ちゃんの知り合いからヤマハのSRを買って乗ってた」
ヤマハ・SR400。ヤマハを代表する単気筒バイクで、1978年に初代が発表され、排ガス規制で生産終了する2023年まで外観とキックスターターを変更せずに販売され続けた名車だ。
SRはスポーツ系みたいな『スピードが全て!』という癖の強いバイクやクルーザー系のように『とにかく遠くまで行くぜ!』という重たいバイクと違い、街乗りとツーリングにぴったりの『気楽にいこうや』なバイクである。
また長く販売され続けたため、社外のカスタムパーツが豊富。逆説的に『中古ではノーマル車が見つからない』とまで言われている。
スミレはSR400を大事に乗りつつ、時に一人で時に兄と共にショートツーリングを楽しんでいたらしい。もちろん、RG400Γ乗ったりすることもあったという。
兄が事故に遭うまでは。
「SRを売って、そのお金でヘルメットやライダースーツとか揃えて……」
伏せがちだったスミレの目に強い感情が宿る。
「私、あのZⅡを負かしたい」
絞り出された言葉は『やっつけたい』とも聞こえた。
リコはスミレの気持ちが分かる。スミレの兄のようにユウゴを病院送りにされたら、そりゃもうZⅡが幽霊だろうがなんだろうが、絶対に潰す。だが――
「このガンマのエンジンで作るマシンに乗るのは、ユウゴだ。お前じゃない。それは分かってるよな?」
リコは400Γを一瞥してから、釘を刺すようにスミレへ言った。
こくりとスミレは無言で首肯し、挑むように答える。
「私にはZXがある。お兄ちゃんが乗るはずだったバイクで、あのZⅡに勝つ」
マイルドヤンキー娘と眼鏡っ子が目で会話する様を横目に、ユウゴは密やかに思う。
……なんか大事になってきちゃったなぁ。
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