5:ゴーストライダー
イタリアのAGV製フルフェイスヘルメットに黒緑の革ツナギとグローブとブーツ。
ユウゴと同じく“ガチ”スタイルのライダーは滑らかな曲線の身体つき――女性だろう。
モータースポーツにおいて乗り手の体重が走行能力にもたらす影響は大きい。たとえば、同じ技量を持った体重70キロの者と体重60キロの者が同じバイクに乗った場合、パワーウェイトレシオに大きな違いが生じ、60キロの者が優位になる。このため、体重制限を設けている競技もある。
そして、女性ライダーは総じて体重が男性より軽く、マシン性能が重要なストレートが速い。ただし、男性に比べて生物学的に体格や筋肉量に劣るため、単純に身体能力が求められるコーナリングやワインディングにおいて、男性より不利になる、という説がある。
まぁそれはそれとして。
高回転エンジンが猛々しく吠え、マフラーが叫び続ける。乗り手がマシンの上で絶え間なく動き、荷重を管理し続ける。回転計と速度計が激しく動き続ける。フロントフォークとリアサスにステアリングダンパーが忙しなく働き続ける。頑健なフレームやスイングアームがしなり、軋み続ける。
ヘルメットの中も全身ツナギの中も瞬く間に汗みずく。一歩間違えれば死傷するスリルと競争の昂奮に瞬きを忘れ、極度の集中力で道路と相手の動きを凝視し続ける。
「流石は最新鋭。速い」
サイドミラーに映るライムグリーンのマシンがぐいぐいと距離を縮めてきて、こちらの真後ろに迫ってくる。
ZX4RRはユウゴを風除けにするスリップストリームへ入り、タイヤが触れ合いそうなほどの超接近。テール・トゥ・ノーズで強烈なプレッシャーを掛けてくる。
気の強い女だな。ユウゴは背後から強烈な圧を感じながらヘルメットの中で冷笑し、ストレートの先で緩やかに右へ曲がる高速コーナーを睨む。
マシンをコーナーのイン側へ向けて寝かせる直前、ZX4RRがスリップ効果で乗ったスピードを活かして飛び出し、先んじてインを刺す。身を乗り出すようにして強引にマシンを寝かせ、膝のプロテクターを擦りながら中央分離帯にぴったり沿ってコーナーへ進入。
気の強い女の相手は得意だ。ちらりとリコの顔を思い浮かべつつ、ユウゴは自分を内側から追い抜いていくライムグリーンのZX4RRへ被せるようにマシンを倒し込む。
ユウゴにプレッシャーを掛けられるも、ZX4RRは退かない。マシンの前半分だけ先んじながら高速コーナーを越えていく。変則的なサイド・バイ・サイドでコーナーを曲がっていく最中、チョッピングポイントで姿勢がぐらりと震えた。強大な遠心力で生じた荷重を抑えきれなかったのか、ライムグリーンのマシンが起き上がりかける。
ZX4RRを駆るライダーの左バックステップとユウゴの右肘が触れた。ステップのバンクセンサーが肘のプロテクターを擦る感触。目と鼻の先で駆動するZX4RRのチェーンがチェーンソーと錯覚する。ヘルメットの中で舌打ちし、ユウゴは咄嗟にリアブレーキを使って速度を調整、先を譲ってZX4RRにマージンを与え、自分自身の安全を確保した。
高速コーナーを越え、二台のマシンが短いストレートへ入った直後。ZX4RRのライダーが詫びるように左手を上げた。
ミラー越しの視線を感じたユウゴは左手を振り返す。意図は単純。
気にすんな。続けよう。
意図が伝わったのか、ZX4RRは前輪を浮かすように加速して駆け出す。
ユウゴは先行するZX4RR――を駆る女性ライダーのプリティなお尻を追い、RVFへ鞭を入れた。
競争が再開する。
短いストレートの先で待ち受けるは緩急様々なコーナーが連なるワインディング区間。
月も星も見えない雨上がりの夏夜。二台のマシンが片側二車線道路のコーナーを踊るように一つ一つ越えていく。
ZX4RRの女性ライダーは攻めっ気が強すぎるのか、技量が足りないのか、操縦やライン取りを誤ったりして危なっかしいけれど、無鉄砲なまでの勇敢さと無責任なほどの挑戦心でガンガン飛ばし続ける。
――ミスしてもお構いなしで攻め続けてる。相当に気が強い……
ユウゴはそこまで攻めない。が、それでもZX4RRへ鮫のように食らいついたまま離れない。公道でもサーキットでも、コーナーは果敢に攻め続ければ速く走れるわけじゃない。マシンを全力で走らせれば速いわけではない。
コーナーはマシンごとに最適解が存在する。二輪であれ四輪であれ、その最適解を見つけ出し、最適解以上の速さで超えるところに乗り手の技量とセンスが発揮される。
だから、ユウゴは全力でなくともZX4RRに食らい続けられる。
黒曜石のような冷たく鋭い目つきで女性ライダーの動きとZX4RRを観察し、
――いや、違うか。気が強いだけじゃない。リスクを冒すことが勇気と速さと思ってるライディングだ。この女……経験が浅いな。
“狩り方”を定め、ZX4RRのテールランプに食いついたまま仕掛けるべき機会を待つ。
そして、内側の車線を塞ぐようにちんたら走るレクサスと遭遇。
“障害物”を避けるべく、女性ライダーはZX4RRを外側の車線に振り、コーナーへ飛び込む。センターラインに沿ってコーナーを越えようとしたようだが、スピードが出過ぎていてアウト側に膨らんでいく。
――ここだな。
冷徹に判断し、ユウゴはリアタイヤを滑らせ、マシンの鼻先をZX4RRが開けてしまったインへ突っ込ませる。まっすぐ進みたがるマシンを力づくで深く寝かし込み、コーナーから引っぺがそうとする猛烈な遠心力をねじ伏せる。
バックステップのバンクセンサーががりがりと削れ。クシタニ製ライダースーツの膝プロテクターはもちろん、肘プロテクターまで擦り削るほどマシンを寝かせる。高性能なミシュラン製タイヤが強力なグリップ力で濡れた路面を掴んで離さず、フランケンシュタインなヨンダボは転倒することなくコーナーを越え、ZX4RRとチンタラ走るレクサスをごりっと抜いていく。
ユウゴは背中に女性ライダーから驚愕の眼差しを感じる。レクサスを運転するおじさんと助手席の同伴キャバ嬢から唖然とした視線を感じる。
悔しそうな女性ライダーがマシンを猛らせる。まだ負けていないと怒鳴るように。
――こりゃ相当に気の強い女だ。
ユウゴは目を細めてアクセルを開けた。カムギアトレインが駆動する甲高い音色が響く。
もっと速く。もっと速く。
もっと。もっと。
もっと。
スピードが全てを削ぎ落すまで。
・・・
・・
・
ZX4RRとバトルしながらラブロードの下り車線を半分ほど過ぎた時。路上に霧が漂い始めた。
――霧。
ひょっとして。ユウゴがそんなことを考えた矢先。
すぐ傍を走るZX4RRのスクリーミングサウンドとは違う、威圧的な重く低い排気音が轟き響いてくる。
ユウゴはアクセルを若干緩め、身を起こして首を回し、背後を窺う。
ZX4RRの女性ライダーはレースごっこを中断するようなユウゴの振舞いに戸惑いつつ、同じように速度を少し落とし、ユウゴの目線を追って後方を見た。
霧を裂くようにヘッドライトが近づいてくる。
等間隔で並ぶ高規格道路の街灯を浴びて浮かび上がるシルエット。
ユウゴはショウエイのスポーティなヘルメット内で静かに、けれど戦意を露わにした。
「ZⅡ」
○
火の玉カラーのZⅡ。
ハンドルを握るライダーは黒いシンプソン製ヘルメットに全身ライダースーツ。
――間違いない奴だ。
ユウゴが好戦的な微笑みを浮かべたと同時に、ZX4RRの女性ライダーがマシンに鞭を入れるようにアクセルをどかん!
先ほどまでとは違う殺気立ったZX4RRの走りに眉をひそめつつ、ユウゴもまた自分を追い抜くZX4RRの背中を追い、ヨンダボのアクセルをどかん!
海岸道路に甲高い排気音を響かせながら2台のライトミドル・マシンが疾駆し、妖気染みた迫力を放つクラシックなビッグ・マシンが追い迫る。
最新鋭のマシンとフランケンシュタインなマシンが大きく倒し込まれ、ライダーが膝を擦りながらコーナーを駆け抜ければ、火の玉カラーZⅡがパワースライドで水飛沫を立てながら、コーナーを荒々しく走り抜ける。
ユウゴもZX4RRも精魂絞り尽くすように全力で走り続ける。特にZX4RRはいつ事故を起こしてもおかしくないほどキレた走りを見せていた。
にもかかわらず――
2台と1台の距離はコーナーを越える度に詰められていく。
2台と1台の間はロングストレートで見る見るうちに近づいていく。
霧がどんどん濃くなり、2台と1台の間はもうほとんど離れていない。
ZⅡは狂おしくまるで身を捩るように駆け、凶悪なまでのプレッシャーを放ってくる。
ユウゴはミラーを一瞥し、思わず冷汗が伝う。信じられない。
こっちは全力だ。
リコの組んだヨンダボの性能を目いっぱいまで絞り出している。一貫してパワーバンドを維持し、幾度もオーバーレブを繰り返しているため、水温計は目一杯で熱ダレを起こしかけている。カムギアトレイン式水冷直4エンジンの歌声はもはや悲鳴のよう。
ヘルメットの中も革ツナギの中も全身汗みずく。膝どころか肘まで擦り、自分が操れる限界のスピードで走っている。
なのに、ZⅡは兎を追い回す狼のように距離を詰めてくる。
――なんでそんなロスの大きなライディングで追いつける?! リコの言う通り本当に妖車なのか?!
月も星も明かりを届けぬ暗夜に加え、濃くなった霧が闇を深めていく。
街灯はもはや意味をなさず、マシンのLEDヘッドライトで照らせる距離はどんどん短くなっていく。
そんな夜と霧の闇が濃くなっていく最中、緩いショートコーナーの先に逆向きへ大きくうねるコーナーで組み立てられた変則S字が待ち構える。
ユウゴは直感的に悟る。ここがこのバトルの肝だ。
ZX4RR、ヨンダボ、ZⅡがほとんど一塊でショートコーナーへ飛び込む。
強引な飛び込みをしたため、ショートコーナーを越えたZX4RRが大きく外へ膨らんだ。ヨンダボとZⅡはその隙を狙っていたかのようにインを刺し、ZX4RRを抜き去る。
「!」痛悔と敗北感を味わされた女性ライダーの視線を背に受けつつ、ユウゴはZⅡに先んじて大きくうねるコーナーへ飛び込む。
タイヤのグリップを失う極限までフルバンクさせ、膝と肘を擦りながら内側車線の最内を攻める。GPライダーさながらの超ハングオン。ヘルメットが中央分離帯のブロックとガードレールに触れそうなほど近い。
ミリ単位以下のアクセルコントロールでリアテールをずりずりとスライドさせながら、遠心力に引っ張られる車体をコーナーのインへ食いつかせ続ける。
イン・イン・インという無茶を押し通すカミソリのような超絶コーナリング。
ユウゴのライディング技能とリコが組んだヨンダボの完全限界コーナリング。
が。
ZⅡは転倒寸前まで倒し込む豪快な前後二輪ドリフトを披露。タイヤと路面の摩擦で生じた水蒸気を濛々と立ち昇らせながら、センターライン沿いにチョッピングポイントを突破し、エンジンの腰下を擦りそうなほど倒し込んだリーンウィズでコーナーのインへ向けて立ち上がっていく。
無理矢理イン・イン・インへ斬り込むヨンダボ。
豪快にアウト・アウト・インへ叩き込むZⅡ。
コーナーの出口が迫る中、ユウゴの後方からZⅡが追い上げてくる。ヨンダボはエンジンは既にレッドゾーンまで回っている。これ以上加速を伸ばせない。ギアを上げても無駄だ。息継ぎで抜かれてしまう。
「そんなバカな……っ!!」
ユウゴの目が驚愕と戦慄に見開かれる。自身に追いつき、真横を追い抜き、追い越していく火の玉カラーから目を離せない。
到達する変則S字の出口。
先に飛び出したのは火の玉カラーのZⅡ。
ユウゴと女性ライダーが否応なしに敗北を認識させられた、刹那。
濃密な霧が立ち込める数メートル先。突如、自動車の真っ赤なテールランプが見えた。
「「!」」
ヨンダボとZX4RRが反射的にフルブレーキ。そして、揃って左へマシンをフルバンクさせて隣の車線へ逃れる。も、
「!?」
逃れた先の車線。その先にもテールランプ。そして、霧の中に描かれる2トン貨物車の威圧的なシルエット。
ユウゴは瞬間的にアクセルを戻して加速を即座に中止。前のトラックとの相対距離を把握、サイドミラーで背後から迫る車がいないことを確認。
前後フルブレーキ+エンジンブレーキ。油圧式高性能キャリパーが前後両輪を猛然と押さえ込む。マシン+ライダーの重量と速度エネルギーが荷重となって倒立フォークとタイヤに襲い掛かった。限界まで沈み込むフォーク。強くたわむ前輪。ヨンダボの頭が思いっきり下がり、反比例してリアタイヤが浮きかかる。
急制動で吹っ飛ぶように下がる速度計の針。エンジンブレーキの絶叫。ミシュラン製タイヤのグリップが濡れた路面をグリップしきれなくなる寸前。ブレーキを解放し、半クラッチ。前輪のグリップを解放させつつ、ハイサイド・ローサイドを防ぐために後輪のグリップを繊細に制御。
ユウゴが衝突と転倒の回避に成功した刹那。
勢いを殺し切れなかったZX4RRがユウゴの前へ飛び出し、大きく姿勢を崩して左側へ倒れかけた瞬間。唐突にライダーを振り落とさんばかりに右側へ向けて勢いよく立ち上がった。
ハイサイド。
「―――――――ッ!」
女性ライダーが声なき悲鳴を上げながらマシンから投げ出されかける。
永遠に感じられるほど引き延ばされた時間感覚の一秒間。
ユウゴは見る。
今まさに女性ライダーの身体がシートから投げ出され、両手がハンドルから離れようとしている。
あの両手が離れたら、女性ライダーは宙を舞って濡れた路面に叩きつけられるだろう。
視界の中で、ZⅡの真っ黒なライダーがこちらを見ていた。旧型のシンプソン製ヘルメットの厳めしい面構えがこちらを向いている。濃いスモークシールドの向こうから強烈な目線を感じる。
いや、目が合ったというべきか。
ゾッとする不気味な圧力に全身の毛が逆立つ。人智の及ばない何かを覚え、ドッと冷汗が噴き出す。ぎゅっと心臓が縮みこむような恐怖感と同時に脳の奥から燃え盛るような衝動が込み上がる。
今すぐZⅡとの戦いを再開したい。女性ライダーを見殺しにすれば、まだ戦える。
ユウゴは即断する。
ヨンダボをZX4RRの右真横へ飛び込ませた。視界の端でZⅡのライダーがどこか失望したようにユウゴから目線を切り、傲然と速度を上げて去っていく。
がつん、とZX4RRがヨンダボへぶつかってもつれ合う刹那、ユウゴは全身の体幹をミリ単位で動かしてヨンダボの姿勢を保つ。同時に左足を車体から離し、ZX4RRの右ステップへ蹴りつけるように乗せ、車体の跳ね上がりを力づくで止める。
加えて左腕を伸ばし、投げ出されかけていた女性ライダーの身体を掴み、車体ごと支える。
時間感覚が元に戻る刹那。ユウゴが叫ぶ。
「ハンドルを絶対に放すなっ!!」
ユウゴの怒声を浴び、なんとかZX4RRにしがみついていた女性ライダーが慌ててハンドルを握り直し、暴れかけていたライムグリーンのマシンを落ち着かせる。
ヨンダボを運転しながら不安定なライムグリーンのマシンを支え、ユウゴは急激に速度を落としつつ路側帯へ逃れた。
直後、ヨンダボのエンジンから金属が擦れ合う不快な異音が響き、ギアが三速に入らない。
限界を続けて走った代償が訪れたらしい。
低く重たい排気音が遠ざかり、霧が急速に薄まっていく。ZⅡのテールランプはもう見えない。
ユウゴが二重の意味で敗北感を味合わされたところへ。
――ぽつり。
雨足が戻ってきた。
○
ざあざあと音を奏でながら雨が降り注ぐ。
ラブロードの始点傍にあるコンビニ。駐車場にスピード狂の暇人達の姿はない。夜勤の一般人がちらほら。
店の前の駐車スペースに並ぶフランケンシュタインなヨンダボと真新しいZX4RRが雨に打たれている。
ユウゴは湯気を燻らせるホットコーヒーを両手に持ち、どこか悄然としてコンビニから出てきた。
なんとかこのコンビニまで自走してこられたが、ここまでだった。
エンジンは止まり、再始動を図るも、うんともすんとも言わず。どうやらミッションが壊れ、シリンダーが焼き付いたっぽい。エンジンブローだ。
自分でも驚くほどに心理なダメージが少ない。
スクラップヤードに転がっていた鉄屑同然の不動車をリコと一緒にせっせと直し、リコが丹念に丁寧に改造してくれた、世界一台しかないマシンを壊してしまったのに。
憤懣も悲哀も後悔も自己嫌悪も喪失感も、自分自身に失望を覚えそうなほどに薄く、ただただ愛車を壊した、壊れたという現実を諦観的に受け入れている。
だからこそ、深夜にリコや家族へ救援を呼び出すことは気が引けたため、コーヒーを買いつつコンビニの店員へ事情を説明し、明日までマシンを敷地の端へ停めさせてもらうよう話をつける精神的余裕まであった。
ひとまず残る問題は今夜、どうやって自宅に帰るかだけだ。
ユウゴは軒下に体育座りしている女性ライダーへ一つを差し出す。
「どうぞ」
「あ……ありが…ご…ます……」
女性ライダーはユウゴと目を合わさずにボソボソと答えながら、微かに震える手でホットコーヒーを受けとり、口に運ぶ。
「……あちゅっ!」と顔を盛大にしかめるも、コーヒーの温かさに緊張がほぐれたのか、ゆっくりと安堵の息を吐いた。
ZX4RRを操り、強気のライディングでガンガンかっ飛ばしていた女性ライダーは歳若かった。ユウゴと同世代だろう。
背中に届くくらいの黒髪を飾り気なく結いまとめ。どこか翳のある二重のドングリ眼。背丈はリコより小柄で、150台後半くらいか。レース用全身ツナギという色気が欠片もない恰好でも分かる滑らかな線の身体つき。シート高があるマシンに乗るためかソールが厚めのブーツを履いていた。
名前は知らない。聞く気もない。
“ラブロード55”の走り屋は基本的に路上以外の付き合いを求めない。だからユウゴは『ヨンダボ』とか『NC29』とか呼ばれているし、他の面子も愛車の名前で呼ばれている。この少女もチャレンジャーになるなら『ZX4』とか『4RR』と呼ばれるようになるだろう。
「あ……あの、さっき」
ZX4RRの少女は紙コップを両手で包み持ちながらユウゴを見上げ、おずおずと切り出す。
「さっきは、あの、助けてくれて、ありがと……ございました……」
「まぁ、なんとかなって良かったよ」
ユウゴはコンビニのガラス壁に背中を預けてZX4RRを見つめ、ホットコーヒーを口に運ぶ。
「良いバイクだ。新車?」
「あ……う、うん。そう」
少女は頷き、ふーふーとコーヒーの水面へ息を吹きかけ、呑む。フルカスタムのRVFへ二重どんぐり眼を向ける。眉を大きく下げて。
「そっちのは、その……大丈夫?」
「ダメだな。エンジンブローした」ユウゴはしょんぼり顔で「コンビニに話をつけたし、今夜はここに置いて明日引き上げに来るよ」
「ごめんなさい……」大きく項垂れる少女。
「君のせいじゃないよ。俺が無理させ過ぎた」ユウゴは溜息を吐き、どこか達観した顔で「ラブロード55のリスクは事故や警察に捕まることだけじゃないってことさ」
いくらか悩んだ末に、少女は探るように尋ねた。
「……あの、バイクのこと……何か、知ってる?」
「あのZⅡか? 詳しくは知らないが……俺はこれで二敗だ」
「えっ」少女は弾かれたように顔を上げ、ユウゴの顔をまじまじと見て、目が合うと慌てて顔を背けた。
「……何か知ってそうだな」
ユウゴがじろりと少女を見据える。と、少女は目を泳がせながら紙コップで口元を隠す。
……なんというか。超強気な走りをしていたライダーと同一人物とは思えんな。ハンドルを握ると人が変わるタイプか? それとも人見知り……いや、コミュ障って奴か? まぁなんでも良いけど。
ユウゴは真っ黒な夜空からざぁざぁと音を立てて降り注ぐ雨を見つめ、次いで、しとどなく濡れる愛車へ目線を向けて大きく嘆息。
……後始末が大変だな。明日は日曜日だから、爺ちゃんか叔父さんに軽トラ出してもらって、や、置かせてもらうんだからコンビニに御礼の手土産を買わないとな。ああ。リコにも連絡しないと。怒るだろうなあ。怒られるだろうな……あ。
ハッとしてユウゴはウェストポーチからいそいそとスマートフォンを取り出し、着信とメールとメッセージがたっぷり。特に最後のメッセージは文字数制限いっぱいに≪連絡しろ≫
あかん。
そして、見逃せないメッセージ。
≪お前……まさかラブロードに行ってないよな?≫
≪それで赤点なんぞ取りよったら、ただじゃ済まさんぞ≫
そーだよ、明後日には期末試験だ。ともかく、明日のことも含めて今日はもう帰らないと……
心底困り切った顔でユウゴは少女へ切り出す。
「あの、お願いしたことがあるんだけど……聞いてもらえるかな」
「お、お願い?」少女は何を言われるのかと不安を滲ませてる。
「初対面でこんなこと頼むのは気が引けるし、図々しいとは思うんだけど、本当に困ってて……」
長々と前置きしてから、ユウゴは名前も知らぬ初対面の少女へ、深々と頭を下げた。
「家まで送ってください。お願いします」
雨はざあざあと降り続けている。
感想評価登録その他を頂けると、元気になります。
他作品もよろしければどうぞ。
長編作品(いずれも未完)
転生令嬢ヴィルミーナの場合。
彼は悪名高きロッフェロー
ノヴォ・アスターテ
おススメ短編。
スペクターの献身。あるいはある愛の在り方。
1918年9月。イープルにて。
モラン・ノラン。鬼才あるいは変態。もしくは伝説。




