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ラブロード・フレンジー:ゴーストライダーの夏  作者: 白煙モクスケ


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1/25

プロローグ:前

本作は完結まで書いてあるので、初投稿です('ω' )

 耶蘇暦の2000と数十。

 空気の煮えた夏夜。


 街灯が等間隔に並ぶ夜の道路を、色とりどりのバイク達が甲高い排気音を猛々しく叫びながら壮烈に駆けていく。ストレートを弾丸のように駆け抜け、コーナーをひらりひらりと軽妙に越えていく。路上の一般車の間を縫うように追い抜き、追い越し、時には並走する大型トラックの狭い隙間をすり抜けていく。


 道路交通法の存在を完全に無視した無謀で危険な運転。“剥き身”のバイクが高速で事故を起こせば、高確率でライダーは即死するというのに、色とりどりのバイク達はスピードを緩めるどころかエンジンの許容限界まで目一杯ぶん回す。


 バカ共がかっ飛ばしていくこの道路――某県の沼江津(ぬえつ)市海岸沿いを通る国道バイパスは『ラブロード』と呼ばれている。

 この道を走ると恋が叶うとかそういう素敵な逸話があるわけではなく、この国道バイパス沿いにあるラブホテルの廃墟が非常に目立っているからだ。


 景観の都合と安全面的なあれこれ――バカガキ共やアホ配信者が肝試しに忍び込んだりする――から解体撤去を求める声が少なくないのだけれど、廃墟の権利者関係がはっきりしないため、行政もなかなか手を出せないらしい。


 この地元ネタがネットのコミュニティやSNSで広まり、『ラブロード』という呼び名が定着しつつあるわけだ。


 そんな沼江津のラブロードについて詳細を語っておこう。

 産業港がある猿頭浦から虎毛浜を通り蛇尾岬の先にある某県主要工業地域へつながる高規格道路で総延長は55キロ。片側二車線通行で区間内に信号無し。長大なストレートとテクニカルなワインディングが入り混じった道路だ。


 で。いつの頃からか、頭のおかしいスピード狂共がこの親方日の丸の道路を遊び場にし出した。

 始点から終点までかっ飛ばす傍迷惑な違法公道レース“ラブロード55”。


 走り屋ブームがとっくに過ぎ去っても、ラブロード55に挑戦するバカ共は決して絶えることはなく、彼らは今夜もラブロードへ赴く。

 まるで火に誘われる虫けらのように。


     ○


 梅雨がいまだ明けぬ文月の上旬。

 沼江津市の某所。


 夜を迎えても暑気が濃い。広い敷地を持つ旧家の敷地内。ガレージハウスっぽくイジられた納屋のコンクリ敷きの土間。表から届く夏虫の夜鳴。作業台に置いたタブレットから流れるネットラジオのトーク。

橘輪(きつわ)リコは預かったバイクのメンテナンスを進めていた。


 寒色系グラデーションカラーの波打つ長髪を雑に結いまとめ。勝気な猫目の典麗な細面。身長160センチ代後半のすらりとした肢体。綺麗な鎖骨の下へ目線を移していけば、生意気な胸と滑らかな腰つきと小癪なお尻、優美なラインを描く長い脚。第二ボタンまで開けた半袖シャツと短パンにクロックス、と飾り気のない恰好が生来の美貌と健康な艶気を強調している。


 マイルドヤンキーな美少女が弄っているバイクは、なんともスクラッチビルドな代物だ。

 自動二輪界の最大巨人ホンダがかつて製造販売した中排気量レーサーレプリカCBR400RR。NC29型。通称ヨンダボ。もしくはNC29。


 CBR400RRのNC29型は緩いラインのアッパーカウルに90年代らしいグラマラスなリアカウルを装備していたマシンだが、リコが弄っているCBR400RRは全く違う。


 カウルは全て剥がされてエンジンは剥き出し。顔周りもLEDの小型丸目ライト。ミラーはグリップエンドに装着するタイプ。シート周りもフレームをぶった切って、ぶん曲げて、トラッカー風シングルシートを引っ付けてある。

 いわゆるストリートファイター風と呼ばれるスタイルだ。


 前世紀90年代頃、欧州で型落ち中古の日本製レーサーレプリカを金のない若者が買い、『壊しても直す金なんてないし、カウルなんて取っちゃえ』とか『後ろに乗せるカノジョなんていないし、シート切って単座にしちゃえ』とかやっていたら、バイク雑誌が『攻撃的で格好良いじゃん!』と持て囃し、今では純正のロードスポーツモデルがストリートファイター風になっちゃった、というオチがある。


 このヨンダボも元々はスクラップヤードで転がっていた不動車で、リコが持ち主と共に修理し、改造し、作り上げたマシンだ。


 見た目こそスクラッチビルドな有様だけれど、キャブレクターはFCR33φ。オーバーピストンを組みこんで排気量もボアアップ。冷却系、電装系、制動系、足回りにマフラーなど、走行性能と速度性能に関してはガチだ(だから外装に金を掛けずに済むストリートファイター仕様になった)。

 ちなみに改造部品の半数はやはりスクラップヤードの不動車から分捕ったもので、『車検に通れば何でもいい』という力業で組み上げられている。


 ある意味、このヨンダボ・ストリートファイター仕様は、リコの作品と言えよう。


 そんなフランケンシュタインなマシンの点検整備を終え、リコはふいーっと息を吐く。

「あっちぃ~……」


 使い捨て手袋をゴミ箱に放り込み、タオルを手に表の水場へ。じゃぶじゃぶと流水で顔を洗い、タオルでごしごし拭う。爽快感に艶っぽい息をこぼし、髪を解く。毛根から毛先へかけて色味が変わる寒色系グラデーションカラーの波打つ長髪がふわりと垂れ下がる。作業台の許へ戻り、ペットボトルのぬるくなったお茶を呷る。うねる喉が酷く官能的。


 一服入れ、リコが自作品のヨンダボを満足げに眺めているところへ。

 べべべっと原付の排気音が敷地内に入ってきて、納屋内の空きスペースに停車。


 リコが貸した花柄シートの白いダックスST50から、名門ショウエイのスポーティなフルフェイスヘルメットを被った少年が降り立った。


 180センチに届く引き締まった長身を、市立沼江津高校の半袖ポロシャツと夏季用スラックスにライダーシューズで包んでいる、斜め掛けバッグを担いだ少年はプロテクター付きグローブと外し、ヘルメットを脱ぐ。

 丁寧に鋏を入れた清潔な黒髪。柔和な顔つきに眠たげな双眸。詩でも書いていそうな優男の名前は篠塚ユウゴ。リコと同い年で同じ高校の二年生で――


 リコが主人の帰宅を待ちわびた猫のようにサッとユウゴへギュッと抱きついた。ごく自然にチュッと軽くキス。今にも甘える猫みたく喉を鳴らしそう。


「アイス買ってきたから食べよう。チョコとバニラ、どっちが良い?」

 ユウゴは美少女にギュッと抱き着かれ、フレンチ・キスをされても頬を染めることもなく、さらりと流す。


「バニラ!」

 ユウゴの淡白な反応に不満を示すこともなく、リコはユウゴが斜め掛けバッグから取り出したカップアイスを受け取り、2人は並べたガレージチェアにぴったり寄り添って座り、カップアイスを食べ始める。当然のようにリコが『あーん』を要求し、ユウゴは自分のチョコアイスをすくい取ってリコの口へ届ける。もちろん、逆もしかり。いちゃいちゃしよってからに。


 もうお察しの通りだと思うが、敢えて言おう。

 リコとユウゴは同い年で同じ高校に通う、恋人同士だ。それも中学時代から付き合って来たこともあって、既に少年誌みたいな清く正しいお付き合いではなく、成年誌が描くような関係に至っている。

 けしからぬ。


 ユウゴはチョコアイスを食べながら、“自分の愛車”であるヨンダボを見つめ、リコへ尋ねた。

「定期健診の具合は?」

「どこも問題ねーよ」リコは断言し「オイルに鉄粉は混じってなかったし、キャブも調子崩してない。見た目はアレだけど中身は健康優良児だよ。花丸つけても良いぞ」

「そうか」ユウゴは難しい顔で「でも、なんかミッションの機嫌が悪いんだよな……」

「ラブロード55をやり過ぎなんだよ。一往復100キロ越えだぞ? そんな耐久レースみたいなこと頻繁にやってりゃあ、メゲるわ。それより」


 リコは飾らぬ言葉遣いでユウゴに答え、まだ残っているカップアイスを作業卓に置き、半袖シャツの第三ボタンを外しながら頬を薄く朱に染め、

「メンテした御褒美をちょーだい♡」


 男勝りな喋り方をした同じ唇で、誘惑の言葉を口にする。もちろん『御褒美』とはアレだ。

 けしからぬ。


 男性的征服感を刺激し、性衝動を駆りたてる蠱惑的な媚態。されど……

「俺、走りに行きたいんだけど……明日じゃダメか?」

 中学時代から付き合って五年目だけあって、ユウゴはそのくらいの『お誘い』には転ばない。


「ざけんな! 女が据え膳してんだぞっ! 男ならがっついてこいや!」

「や。据え膳してくれたから食べたいんだ。今すぐがっつきたいんだ……あっちを」

 ケツに棘が刺さった虎みたいに吠えるリコへ、ユウゴはメンテしたばかりの愛車を指した。今すぐに走りへ行きたい、と。


「このスピード狂のスットコドッコイっ!」リコは眉目を吊り上げてフグみたいに頬を膨らませ「しまいにゃ浮気すっぞテメー……ッ!」

「明日。な? “御褒美”は明日必ずするから。だから」

 ユウゴは憤懣やるかたないリコのしなやかな肢体を抱きよせて唇を重ね、当然のように舌を絡ませる。

食べている最中だったチョコとバニラの味がする濃厚な口づけ。舌から届く快感にビクンッと身を震わせたリコから一度唇を離し、ユウゴは典雅な優男顔にリコの耳元へ甘く囁きかける。

「今夜はこれで勘弁してくれ」


「仕方ないなぁ♡ 大目に見てあげる♡」

 細めた猫目を潤ませた蕩け顔を浮かべ、リコはあっさり堕ちた。

 ちょろいけど仕方ない。だって――

 リコはユウゴが『好き好き大好きチョー愛してる』から。


     ○


 時計の針は深夜帯へ。

 キスでカノジョを宥めることに成功し、篠塚ユウゴはメンテしたばかりの愛車を駆り、国道海岸沿いバイパス通称『ラブロード』へ進入する。


 地方都市の平日深夜となれば、高規格道路と言えども自動車の姿は非常に少ない。二トン貨物車を追い越した先、彼の眼前から“障害物”が完全に消える。


 瞬きを忘れるほど集中し、ユウゴはヘッドランプと路肩の街灯が照らす海岸沿い道路を睨み据え、車体を抱きしめるように前傾姿勢を強める。来たる走行風圧と加速荷重に備え、ガソリンタンクに上体を乗せ、少しでも風圧から逃れられるように頭を低くした。


 道交法など知ったことか。倫理も常識もクソ食らえ。

 迷うことなくスロットルを全開。加工済みエアクリーナーボックス内で加速ポンプ付33φFCRキャブレクターが生ぬるい夏夜の空気とハイオク・ガソリンを取り込み、混合気をシリンダー内へ流し込む。


 どかん。


 フルカスタムで総排気量399CCオーバーのカムギアトレイン式水冷4ストDOHC4バルブ直列4気筒高回転型エンジンが甲高い駆動音を響かせた。アルミ製のエキパイとステンレス製集合管による高周波の排気音が、風と共に路上へ広がる。


 速度に比例して視界が絞られた。名門ショウエイのスポーティなフルフェイスヘルメットに装着したミラーシールド越しに見える世界は外縁が大きく歪み、月夜の景色が溶けていく。


 呼吸を忘れるほどの加速と疾走感。沼江津の海から届く潮風。強烈な走行風圧。加速荷重。風圧の直撃を受けるメーター周りがカタカタと震え、体の血液が背中側へ向かって押し流される感覚を抱く。


「……今日はミッションの機嫌がいいな。リコがメンテしたからか?」ユウゴはヘルメットの中で呟く。


 高性能キャブレクターとオーバーサイズピストンなどを組み込み、リコが丁寧にチューニングしたエンジンは、ライトミドルとは思えぬパワーとトルクを発揮する。ストレートとコーナーに合わせて忙しなくスロットルとブレーキとギアを操作し、回転計の表示が目まぐるしく踊る。速度計の数字は法定制限速度を明後日に蹴り飛ばしていた。


 エンジンの強化に合わせて冷却系や駆動系なども改造してあるけれど、フランケンシュタイン染みたマシンの手綱取りは容易くない。

 それでも、ユウゴは臆することなくマシンを猛々しく、ひたすらに走らせ続ける。スピードに対する狂気的な飢渇が叫び、病質的な衝動が吠える。


 足りない。こんなもんじゃ足りない。


 もっと速く。


 もっと。もっと。もっと。


 もっと。


 スピード以外の全てを削ぎ落とすまで。


 不意に背後から排気音が迫ってくる。赤白青の特徴的なトリコロールが施されたフルカウル。個性的な逆スラントノーズ。車体左右にマフラーが見えないから後方排気だろう。


 ホンダのミドルスポーツCBR600RR。通称ロクダボ。世代はPC40後期型か。

 ロクダボはその名の通りユウゴのヨンダボの上位モデルで、PC40型は初期型から最終型までの国内外のレースを席巻した名機だ。市販モデルのエンジンは12000以上回り、カタログ公証78PS。しかし、スピード狂達はECUを交換して必ずフルパワー化させる。このロクダボも例に漏れない。


 100PSを超すフルパワー化ロクダボを駆るライダーは男性。ユウゴと同じく名門ショウエイのフルフェイスヘルメットを被り、バイクと同色の全身ライダースーツを着こんでいる。

 ラブロード55の参加者だ。名前も知らないまま、度々レースごっこを興じている相手の一人。


 ロクダボが翼を得たように加速を始めた。レースごっこを御所望らしい。

 向こうのカスタムがECU交換のみと仮定しても、余力を持ちながら時速250キロを越えられる。フルカスタム・フルチューンのこちらは限界までぶん回し、条件が揃ってなんとか時速240キロに届くか否か。単純なパワー勝負では完全に不利だ。コーナー勝負でも、名機ロクダボは決して易い相手ではない。


 まあ、細かいことをどうでも良い。


 ユウゴは勝負に乗ったと言いたげに、マシンをさらに加速。排気量とパワーに優るロクダボから逃げるようにラブロードを駆け抜けていく。

 背後のロクダボが歓喜したように甲高い排気音を奏で、追走してくる。


 CBRの兄弟機が夜のラブロードで鎬を削り合う。スピードによって外縁が大きく歪む視界の端、ユーゴの目にこの国道バイパスのあだ名の由来となった廃墟のラブホテルがちらりと映る。


 パワー勝負のストレート区間。2台の水冷4スト直4エンジンの絶唱、2台のエキゾーストの放つ絶叫が夜の閑静を引き裂く。サーキットならパワーに優るロクダボがユウゴのヨンダボを容易に抜き去っただろう。

 しかし、ラブロードは公道。路面の状態や条件はサーキットと比べるべくもない。何より一般車の存在がスピード狂達の愚行を妨げる。


 深夜ドライブの一般車。夜勤中のトラックや社用車。速度差が大きすぎて停止しているように見える。それら“障害物”をかわすために車線を右へ左へ移らねばならず。時には並走する大型トラックの間を駆け抜けねばならない。四トントラックと接触したり巻き込まれたりしようものなら、バイクなど蛙のように容易くペシャンコになってしまうだろう。然れども、頭のネジが足りないユウゴもロクダボのライダーもそんな死のリスクへ迷うことなく挑む。


 並走する2台の四トントラックの狭間を抜け、ストレート区間からワインディング区間へ。

 ユウゴとロクダボのライダーはひらりひらりとマシンを寝かせ、コーナーを一つ一つ越えていく。ツナギの膝プロテクターを擦るロクダボのライダーと違い、学校の制服姿であるユウゴは膝擦りなど出来ない。それでも路面に膝が触れる寸前まで車体を寝かせ、自身もマシンから身を乗り出す。


 2台のホンダ製マシンはぎゅむぎゅむとタイヤを軋ませ、頑健なフレームやスイングアームをしならせ、サスペンションをめりめりと伸縮させ、コーナーをがんがん攻めていく。


 ロクダボがインを刺せば、ユウゴはアウトからまくり。ユウゴがフルバンクしながら一般車の脇を抜いて先んじれば、ロクダボがハングオンしながら商用車を追い越して前に出る。


 そして、ラブロード往路の終点間際、角守大橋手前の大きな高速コーナー。

 コーナー手前を走るトッポい赤のアルテッツァ。こいつもラブロードを飛ばすスピード狂かもしれない。が、後方から頭のおかしい勢いで迫ってくる二台のホンダに気付いたのか、路側帯へ寄り、道を開けた。


 ロクダボとヨンダボは遠慮なくかっ飛ばしたまま高速コーナーへ突入。

 ユウゴはロクダボのスリップストリームを利用して前に出る。次いで、高速コーナーの深くでフロントブレーキを効かせながらシフトダウン。マシンを迷うことなく深く倒しこんだ。


 硬めにセッティングしたフロントフォークとリアサスペンションが高荷重を苦もなく抑え込む。LCGフレームとガル式スイングアームが柔軟にしなり、ステアリングダンパーが深く沈み込んでいく。


 フランケンシュタインなマシンは見た目とは裏腹に驚くほど滑らかに旋回し、ユウゴがイメージした通りのラインで大高速コーナーのチョークポイントを越える。

 MotoGPの超一流ライダーがサーキットで披露するような、滑らかで美しいコーナーワークに、ロクダボのライダーが歯噛みして悔しがり、赤のアルテッツァの搭乗者達――三人の若い女性達が思わず息を呑む。


 ユウゴはイメージ通りのラインを走破した爽快感を味わいながら、マシンを軽々と起こして立ち上がりの再加速。ここぞとばかりにマシンへ鞭を入れる。

 加速ポンプ付33φFCRキャブレクターが大きく息を吸い、フルチューンされた高回転型直4エンジンが大きく歌い、GSXR用ステンレス製マフラーが強く吠える。風圧で体が押され、カウルや車体が身を捩るように震わせる。ヘルメットのミラーシールドが軋む。


 ヨンダボが先んじ、ロクダボが続いてロングストレートの角守大橋へ進入。

 ワーレントラス構造の長大な橋を二台のホンダが激走する。


 速度計の針はとっくに時速200キロを超えていた。回転系がレッドゾーンへ迫る。エンジンを狂おしいほどに鼓動させ、継ぎ接ぎ怪物なヨンダボは最高速を伸ばし続ける。


 角守大橋のロングストレートを疾駆激走する中で、ヨンダボとロクダボの排気量と出力、パワーウェイトレシオなどの差が現れる。

 ロクダボが上位車種の意地を発揮してユウゴに追いつき、ぬらりと抜いていく。


 覆し難い性能の差を見せつけられ、ユウゴはヘルメットの中で思わず苦笑いをこぼした。それでも諦めることなくロクダボを追いかける。


 速度に比例して走行風の圧力が高まり、直撃を受ける体が辛く苦しくなっていく。運動エネルギーの増大と海から潮風が吹き込む橋上というコースが、マシンの制御と操縦を難しいものにする。


 事故と死傷の想像が具体性を増し、恐怖が心と体を快感で焦がしていく。スリルが頭蓋内を快楽物質で満たしていく。

 狂気の愉楽。

 スピードが何もかも削ぎ落とし、心地良い孤独感に浸らせる。

 この冷たい多幸感と充足感にいつまでも耽りたい。


 しかし、楽しい時間は長く続かない。

 数秒で角守大橋を走り抜け、隣市へ通じる短い沿道を過ぎれば、街灯の照らす青看板がバイパスの終点まで数百メートルだと伝え、視界の先で信号が赤々と輝いている。


 先行するロクダボが『ここまで』というように減速を始めた。

 ユウゴもスロットルをリリース。回転数を落としながら減速を始め、順次、ギアも下げていく。


 エンジンが拗ねるように鳴き、マフラーが不満を訴えるように怒鳴る。速度計と回転計が数字をぐんぐんと落していく中、上体を起こしつつブレーキング。右手人差し指と中指でブレーキレバーを握り込み、右足でブレーキペダルを踏みこむ。ギアを2速まで落としてクラッチをリリース。エンジンブレーキを発動。

 前後輪のディスクブレーキとエンジンブレーキが制動を掛け、数秒前まで時速200キロを超えていた車体を、停止線前で完全に停止させた。


 ギアをニュートラルへ入れ、名門ショウエイのスポーティなヘルメットの中で恨みがましく息をこぼす。

 ――物足りない。

 夜空に月が煌々と輝いている。ステムトップのホルダーに付けたスマートフォンを一瞥。時間はまだ余裕がある。ガソリンも充分。タイヤも熱を保っている。

 隣に停車するトリコロールカラーのロクダボを窺う。


 ホンダのミドルSSに跨るライダーはヘルメットのミラーシールドを上げぬままユウゴを見て、右手で対向車線を指さす。


 スピード狂仲間も同じ気分らしい。

 ユウゴはヘルメットの中で声を出さずに笑い、ロクダボのライダーへ首肯を返す。

 決まりだ。


 信号が変わり、ロクダボと共にバイパスの復路へ向かう。

 まだだ。まだ走り足りない。まだ味わい足りない。


 もっと。もっと。もっと。


 もっと。


 スピード以外の全てを削ぎ落すまで。

感想評価登録その他を頂けると、元気になります。


他作品もよろしければどうぞ。

長編作品(いずれも未完)

 転生令嬢ヴィルミーナの場合。

 彼は悪名高きロッフェロー

 ノヴォ・アスターテ


おススメ短編。

 スペクターの献身。あるいはある愛の在り方。

 1918年9月。イープルにて。

 モラン・ノラン。鬼才あるいは変態。もしくは伝説。

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