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第9話 屋上への誘い

 キーンコーンカーンコーン……

 午前の授業終了を告げるチャイムが教室中に響き渡った。澄んだ電子音は、どこか心地よく、解放の時を告げるファンファーレのように生徒たちの耳に届いた。

 この瞬間を待ちわびていた生徒も多く、辺りを見渡すと、席に座ったまま両腕を大きく伸ばす者、机に顔を埋めて深いため息を吐く者、そっと教科書を閉じる者など、各人がそれぞれの形で長い授業から解き放たれる喜びを表現していた。

「はい、それでは授業を終わります。次回は波動方程式の応用問題をやりますので、教科書の該当ページを予習しておいてください」

 物理担当の教師が、理系特有の淡白な挨拶だけを残して、黒板の数式を消すことなく教壇から離れていく。その背中には長年の教師生活で染みついた粉塵の跡が微かに見えた。教科書をパタンと閉じる音が教室中に響き、それが合図のように学級委員が立ち上がる。

「起立、礼、ありがとうございました」

 学級委員のメリハリのある声に合わせ、クラスメイト全員が立ち上がる。椅子が床を擦る音が一斉にガタガタと鳴った。そして「ありがとうございました」の部分だけ、クラスメイト全員で復唱する。声の大きさも温度もバラバラで、ハーモニーとは程遠い合唱だった。中にはダルそうに口パクだけしている生徒もいるが、教師もわざわざそれを指摘したりはしない。長年の経験から、学生の気持ちも理解しているのだろう。

 教師が教室を出ると同時に、教室内の空気が一変した。緊張感が解け、生徒たちの間から開放感に満ちた声が上がり始める。窓際では男子グループが昼食の計画を立て始め、女子たちは席を寄せ合ってスマートフォンの画面を覗き込んでいる。

 そんな賑やかな教室の中、俺は自分の席でぼんやりと外の景色を眺めていた。六月の陽射しが窓から差し込んで、机の上の教科書を暖かく照らしている。もうすぐ梅雨の季節だけど、今日は雲一つない青空が広がっていた。

「颯太〜、購買でパン買おうぜ!」

 物理教師が教室を出た途端、理人が自分の席に座ったまま俺に呼びかけてきた。彼の声は教室の喧騒を軽々と突き抜け、俺の耳にはっきりと届く。理人は高校で初めてできた親友で、二年連続同じクラスだった。彼の明るい性格は俺にとって、時に羨ましく、時に鬱陶しくもあったが、何よりも信頼できる存在だった。

 理人の呼びかけに返事をしようとした瞬間、別の声が耳に入ってきた。

「颯太様、申し訳ありませんが屋上まで来てもらってもいいですか?」

 理人には聞こえないぐらいの控えめな声色で、セリアが俺に話しかけた。彼女の声は、まるで風に乗せて届けられるかのように軽やかで、それでいて確かな意志を感じさせるものだった。銀髪を揺らし、真っ直ぐな瞳で俺を見つめるセリアの姿に、俺は一瞬息を呑んだ。

 一ヶ月前から俺の家に住み込んでいる彼女は、自己進化型人工アンドロイドでありながら、見た目は完璧に人間の女子高生そのものだった。制服も自然に着こなしていて、周囲の生徒たちは彼女が転校生だということ以外、何も疑っていないようだった。

 でも俺にとって彼女は、俺の命を狙う何者かから守ってくれる頼もしいボディーガードでもある。そんな彼女が屋上に来てほしいと言うということは、何か重要な話があるのかもしれない。

 俺は少し考えてから、理人の方へ振り向いた。

「悪い理人、ちょっと野暮用があるんだ」

 俺の言葉に、理人は椅子から半身を乗り出して首を傾げた。

「野暮用ってなんだよ? まさか昼飯も食わずに勉強するつもりじゃないだろうな?」

 理人はそう言いながら、俺を訝しげに見つめる。

 そして一瞬、理人の視線がセリアの方を向いたかと思うと、何かを察した様子で「なるほど」と言った。理人の唇が微かに笑みを帯び、からかうような視線を俺に送ってくる。

「まあいいや、また明日な。セリアさんとゆっくり話してこいよ。青春だねぇ〜」

 理人が完全に邪推したことは俺にはバレバレだったが、それでも彼なりに気を遣ってくれたことはありがたかった。もし理人がしつこく食い下がってきたら、セリアとの関係を説明するのに困っていただろう。

「ありがとう、理人。また明日な」

 俺は軽く手を振り、セリアと共に教室を後にした。


 廊下に出ると、他のクラスの生徒たちも昼食を求めて移動し始めており、俺たちはその流れに逆らうように階段へと向かった。みんなが下の階の食堂や購買に向かう中、俺たちだけが上の階へ向かうのは少し目立つかもしれないが、仕方がない。

 階段を上がりながら、俺はセリアに小声で話しかけた。

「セリア、なにかあったのか? 急に屋上なんて……」

「はい、颯太様。少しお話ししたいことがあります。人の少ない場所の方がよいかと思いまして」

 セリアの返事は相変わらず丁寧で、まるで執事のようだった。確かに人の少ない場所で話すのは賢明だろう。教室や廊下では、いつ誰が聞いているか分からないからな。


 階段の踊り場で振り返ると、理人が他の友人たちと談笑しながら購買へ向かう姿が見えた。彼らは楽しそうに笑い合いながら、今日の昼食について話し合っている。どこか寂しい気持ちが一瞬俺の心をよぎったが、すぐに目の前のセリアへと意識は戻った。

 俺には俺の事情がある。普通の高校生活を送りたい気持ちもあるけれど、今の俺にはそれが許されない状況なんだ。

 屋上へと続く階段は、普段あまり人が通らないこともあって少し埃っぽかった。窓から差し込む陽の光が、舞い上がる埃を照らし出している。俺とセリアの足音だけが、静かな階段に響いていた。

「もうすぐ屋上だな。久しぶりに上がるけど、景色はどうだろう」

「きっと綺麗だと思います。今日は天気もよいですし」

 セリアの返事は相変わらず丁寧だったが、その声には何となく楽しみにしているような響きがあった。アンドロイドでも景色を楽しむことができるのだろうか。それとも、ただ俺との会話を楽しんでいるのだろうか。

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