第6話 セリアとの新しい日常
「颯太様、もう七時半ですよ。このままだと遅刻してしまいます」
いつものように、セリアの澄んだ声で目を覚ました俺。六月中旬の朝日が窓から射し込み、湿度が徐々に上がってきた梅雨入り前の季節の空気が部屋に漂っている。相変わらず寝起きが悪い俺は、今日もまたセリアに強引に起こされているわけだ。
布団に顔を埋めたまま無意識に「あと五分……」とつぶやくけど、容赦なくカーテンが開けられて、まぶしい光が部屋全体を明るく照らした。
「ほら、目を覚ましてください。朝食の準備はもうできていますよ」
調理用のエプロンをつけたセリアが俺を見下ろしている。その綺麗な顔を見ていると、まだ夢の中にいるような錯覚に陥る。銀髪が朝日に輝いて、まるで天使のようだ。
「わかったよ……起きる」
重い腰を上げると、セリアは満足そうに微笑み、「朝食ができたら呼びますね」と言い残して部屋を出て行った。彼女が部屋を出た途端、俺はふと我に返る。
セリアと暮らし始めて約一ヶ月。最初は戸惑いばかりだったけど、今ではこの生活リズムがすっかり当たり前になっていた。毎朝こうやって起こしてもらって、美味しい朝食を用意してもらって……一人暮らしの男子高校生には夢のような生活だ。
洗面所で顔を洗い、制服に着替えながら朝の支度を進める。階下からは食器の音と心地よい料理の香りが漂ってきていた。
「颯太様、朝食ができましたよ」
階段を降りて食卓につくと、そこには栄養バランスの整った朝食が並んでいた。トーストに卵料理、新鮮なサラダとスープ。そして季節の果物がさりげなく添えられている。食卓に並ぶ朝食は、ある程度ルーティン化されてはいるものの、味付けは俺好みでセリア曰く栄養バランスも完璧とのことだ。最初のうちは恥ずかしさがあったが、今では俺も素直に「いただきます」と言えるようになっていた。
「今日のスープは特製コンソメです。颯太様の好みに合わせて、少しだけ塩分を控えめにしてみました」
セリアはそう言いながら、俺の向かいに座って朝食を取り始める。彼女は本来食事なんて必要ないはずなのに、俺と一緒に食事をすることを日課にしていた。きっと、それが彼女なりの気遣いなのだろう。
俺は黙々と食べながら、ふと考える。セリアが来る前は、朝は適当にパンをかじるか、時には何も食べずに学校へ向かうことも多かった。コンビニ弁当が主食だった俺の食生活が、こんなに豊かになるなんて思いもしなかった。
「どうですか? 味は」
「うん、美味しいよ。いつも通り」
俺の一言にセリアは満面の笑みを浮かべた。その笑顔を見ていると、いつも胸が温かくなるのを感じる。いつの間にか彼女の存在が、俺の生活に大切な一部となっていた。こんな風に毎日誰かと一緒に食事をするなんて、久しぶりのことだ。
でも朝食を食べ終えると、ついリビングでダラダラしてしまう悪癖は直っていなかった。俺はソファに腰掛け、スマホでニュースをチェックしている。
「颯太様、もう八時を過ぎていますよ。学校の準備をしないと」
セリアが穏やかだが断固とした口調で促す。それでも動かない俺の背中を、彼女は軽く叩いた。
「はいはい。わかったよ……」
渋々立ち上がり、俺は鞄の中を確認し始める。教科書やノートが揃っているか、提出物は入れたか。セリアはそんな俺を見守りながら、忘れ物がないよう手伝っている。
「あっ、今日は美術の時間がありますね。スケッチブックを忘れないでくださいね」
セリアの言葉に、俺は「あ、そうだった」と思い出したように鞄に美術の道具を詰め込む。彼女はどうやって俺の時間割を把握しているのか、いつも俺が忘れがちなものを事前に教えてくれる。その細やかな心配りに、俺は少しだけ恥ずかしさを覚えながらも、心のどこかで感謝していた。
彼女がいなかったら、俺は絶対に忘れ物をして先生に怒られていただろう。実際、セリアが来る前は忘れ物の常習犯だった。
結果、いつも遅刻ギリギリではあるが、それでもセリアと一緒に暮らし始めてから、俺が学校に遅刻したことは一度もない。今日も玄関で靴を履きながら時計を見れば八時十五分。急げば間に合う時間だ。
「じゃあセリア、行ってきます」
俺が玄関のドアに手をかけると、セリアは丁寧にお辞儀をしながら見送る。
「行ってらっしゃいませ、颯太様」
笑顔で見送ってくれるセリアを背に、俺はいつもの通学路を駆け出した。振り返ると、彼女はまだ玄関に立って手を振っていた。その姿を見て、何だか胸がキュンとする。
朝の空気は清々しく、六月の太陽はすでに強い日差しを放っていた。通学路には同じ制服を着た生徒たちの姿が点々と見える。俺は信号待ちで足踏みしながら、ふとセリアのことを考えていた。
彼女は一体、日中は何をしているのだろう? 掃除に洗濯、夕食の準備……そして俺の帰りを待っている。何だか新婚夫婦みたいだ、なんて考えて、一人で顔を赤くする。
そんなことを考えているうちに、校門が見えてきた。時計を見ると、あと三分で始業のチャイムが鳴る。
「よし、間に合った……」
安堵の息を吐きながら、俺は校内に駆け込んだ。今日もセリアのおかげで遅刻せずに済んだ。彼女には本当に感謝している。
でも、まさかこの後とんでもないことが起こるなんて、このときの俺は全く予想していなかった。