剣の根に触れる者
——風の匂いが違う。
目を開けたとき、湊は見知らぬ森の中にいた。
巨大な木々が天を覆い、葉の隙間から差し込む光はどこか青みがかっている。鳥とも獣ともつかない鳴き声が遠くから聞こえ、地面には苔が生い茂っていた。
「……どこだ、ここ」
湊は呟いた。手術着のままの自分に気づき、ますます混乱する。
「いやいや、ちょっと待て。これ、まさか……異世界転移ってやつか?」
頭がまだ現実に追いつかない。確かに直前まで、施術室にいた。患者の最終確認をして、脱毛器がエラーを起こして。
(あの光……あれが、転移のきっかけ?)
思考が整理できないまま、湊は周囲を見渡す。
そのときだった。
「ちょっと誰かいるの〜? いたら返事ちょうだいよぉ〜」
……声が、聞こえた。妙に軽く、若い女の声。どこかギャルっぽい語尾が印象的だった。
湊は思わず、声の方向へ足を向ける。
森を抜け、やがてぽっかりと開いた洞窟の入口へとたどり着く。
中は静かだった。草木のざわめきも、鳥の声も消えている。奥へ進むと、湊の視界にそれは現れた。
「……なんだこれ」
目の前にあるのは、地面に突き刺さった一本の剣だった。
剣の根元はまるで木のように広がっていて、岩を貫くように生えている。いや、正確には「生えている」という言葉がしっくりくる。
「剣が……地面から生える?」
湊は思わずつぶやいた。
困惑しながらも剣に手を伸ばしかけた。
と、そのときだった——
「おおっとぉ〜? 抜こうとしてんじゃないわよ〜?」
再び洞窟内に響く、あの声。
(……まただ。誰だ、これ)
声の方向を見ると、剣の上部に小さな光が浮かび、やがてそれは、人型——妖精の姿をとった。
謎の妖精:「ハーイ☆ うちはフィーナっていうの。見ての通り、剣に宿る妖精ちゃんだよ〜!」
(……異世界って、こんなテンションなのか)
湊:「……剣に宿る……ってどういうこと?」
フィーナ:「まーた説明からか〜。ほんっと人間ってゼロから聞いてくるよね〜。かわいいけど☆」
湊は眉をひそめながらも、目の前の事実を否定しない。
フィーナの姿は確かに妖精らしい。羽がある。光っている。
でも、髪にはピンクのメッシュ、ショートカット風で、
今にも渋谷に出没しそうな勢いだった。
フィーナ:「この世界じゃね〜、剣ってけっこう勝手に生えるんよ。
うちみたいに“誰かの想い”が形になった剣もあれば、
ただの魔素だまりから“無感情”に生えるヤツもある」
湊:「……毛根みたいなものか。その魔素ってやつが栄養分で、場所が土壌」
フィーナ:「それな〜。そういう例えする人、初めて見たけどわかりやす〜い」
「けどさ〜、この剣、“誰でも抜ける”わけじゃないのよ?」
湊:「……何か条件があるのか?」
フィーナ:「YES! 抜けるのは基本、勇者か、あんたみたいな“永久脱剣師”だけ!」
その言葉に、湊はぴくりと眉を動かした。
“永久脱剣師”——その響きが、記憶の奥底をかすかに揺らす。
湊は神に職業を聞かれたことを思い出す。
(……そうか、あのとき……)
「そのジョブ……俺、“永久脱毛”って言っただけなんだけどな」
「ギャハハ! それ聞き間違えで転移とかマジでウケる〜〜!」
「でもまあ、どっちにしろ、本物ならステータス見ればわかるしね!」
そう言って、フィーナは目をきらりと光らせ、
空中で指をくるくると回した。
「【鑑定(Appraisal)】発動〜☆」
淡く光る魔法陣のようなものが湊の周囲に現れ、
フィーナが読み上げ始めた。
◇ 神谷 湊
▶ ジョブ:永久脱剣師(Eternal Sword Removed Master)
▶ 特性:魔素共鳴感知・剣根操作・感情共鳴抜去
「はい、ガチでした〜☆」
湊:「……ほんとに、そうなんだな。俺、永久脱剣師なんだ」
「そうよ。しかも、“想いごと、記憶ごと”抜くから、ちゃんと相手の声を聞けない人にはムリなの。
あんた、医者だったんでしょ? だから適正あったんだと思うよ」
フィーナの言葉は、軽そうでいて芯があった。
“声を聞く”。
“抜くことの責任を知っている”。
“何を、どう扱うべきか、決められる人”。
そういう人にしか、このジョブは託されない。
「じゃあ、君の剣……抜いた方がいいのか?」
フィーナはふっと笑う。
「うちはいいよ。まだ抜かれたくないし。
ここに残って、“想いの居場所”でいたいの」
湊は目を閉じた。
剣の根に手を触れるまでもなく、フィーナの剣は**“生きていた”**。
だったら、無理に抜く必要なんて、どこにもない。
「とりあえずさ、あんた、近くの町に行きなって。
“ミルナート”ってとこ、剣がめちゃくちゃ生えて困ってるって噂あるよ〜。
人手不足らしいし、腕試しにはちょうど良き!」
「……助かる」
「まーた迷ったらうちに会いに来なよっ! ギャルに相談すると運気上がるから☆」
湊は、フィーナの声に背中を押されながら、洞窟を後にした。
剣を抜く。
でもそれは、単なる“除去”じゃない。
痛みを伴う決断かもしれない。
記憶と命に触れる作業かもしれない。
それでも。
この世界で抜けるのが、俺しかいないのなら。
「やるしかないか。永久脱剣師として」
彼の冒険は、静かに、だが確かに始まった。