プロローグ:最後の施術日
銀座の夕暮れは、ガラスのビルに淡いオレンジ色を染めていた。
時計の針は、まもなく18時を指そうとしている。
美容クリニック『セレス・ビューティーラボ銀座院』の一室。
白を基調とした静かな個室で、神谷 湊は、いつも通りの手つきでレーザー機器の準備をしていた。
「じゃあ、左側から始めますね。出力は前回と同じでいきます」
「はい、お願いします。先生、施術がすっごく丁寧で好きです」
施術台に横たわるのは、30代前半の女性客。
この仕事を始めてから、何百人もの肌を見てきたが、
湊はいつだって“初回”のつもりで手を動かす。
毛根の向き。皮膚の厚み。微細な炎症反応。
すべてを読み取りながら、出力を微調整する。
目の前の人間に、一番負担のない“抜き方”を選ぶ。
それが、湊にとっての当たり前だった。
「これで、今日の分は終了です。次回で完了予定ですね」
「うれしいです。ほんと、毛がなくなるだけでこんなに心が軽くなるなんて」
「大げさですよ。でも……わかりますよ、それ」
湊は、照射機をそっと休め、にこりと笑う。
たとえ世間から“贅沢”と揶揄される美容医療であっても、
ここで救われている心があるなら、意味があると彼は信じていた。
「それじゃ、少し冷やしてからお帰りください」
そう言って湊が部屋を出ようとしたそのときだった。
――チチチ……ッ。
照射装置が、異音を立てた。
「あれ……? おかしいな……」
ディスプレイには、見慣れないエラーコードが点滅している。
《出力異常/パルス設定不能/安全モード解除》
「嘘だろ……」
そう呟いた瞬間、装置が点火された。
狭い部屋に高出力のレーザーが、制御不能の連続照射で放たれ始める。
患者が声を上げるよりも早く、
湊は装置の前に飛び込み、腕で照射口を塞いだ。
ガシュウウウッ!
皮膚が焼ける音がした。
目の奥が眩み、世界がぐにゃりと傾いた。
「……俺、何やってんだろな……」
患者の悲鳴が遠のいていく。
倒れ込んだ視界の中で、天井のライトが歪んで見えた。
ふと思う。
毛を、なくしてほしいって言われたから。
ただ、それに応えたかっただけなのに。
皮膚が綺麗になるたびに、笑ってくれる人がいる。
鏡を見るのが楽しみになった、って言ってくれる人がいた。
だから俺は今日も“抜いて”いた。
「……これで、最後か……」
照射音が遠ざかる。
意識が、ゆっくりと暗闇に沈んでいく。
――そして。
次に湊が目を開けたとき、
そこはもう、銀座ではなかった。
目の前に立っていたのは、金色の衣をまとった“神”だった。
「目覚めたか、地の民よ! 職業は何がよいか?!」
「……え、永久脱毛……?」
それが、この物語の始まりだった。