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「……どうしてこんなことをしたんだ?」
「和藤君なら分かるんじゃないの?」
買い被りだ。
俺は正直、廣瀬がどうしてこんなことをしたのか、あまりよく分かっていない。
「……東出先輩と付き合うため?」
「まぁ、それもあったけど、それだけじゃないよ」
だろうな。
ただ東先輩と付き合うことが目的なら、こんな回りくどいことをしなくてもよかったはずだ。
ラブレターを直接先輩に渡せば、それで終わりなのだから。
「私の目的は、先輩の好意を確認することだったの」
「好意の、確認?」
「そう。好意の確認。要は、脈ありか脈なしか。それを知りたかったの。だから、あんな犯行声明を留美に見せて、あの子を焚きつけたの」
廣瀬があんな犯行声明を出したのは、ミステリマニアの明智を焚きつけて、東出先輩に事情聴取をさせるためか。
どうやら明智は、廣瀬の手のひらの上で、まんまと転がされていたようだ。
廣瀬は俺から顔を背け、校舎の壁に体を預ける。そして、空を見上げながらおもむろに口を開いた。
「私、数日前に、あのレターセットを買ったの。東出先輩と一緒に帰ってる時に、東出先輩の目の前で。だから、留美が『先輩宛のラブレターが奪われた事件』の事情聴取に行ったら、私の出したラブレターが奪われたんじゃないかって先輩は思ってくれるはずだから、その反応で先輩が私のことをどう思ってるか、確認しようとしたんだ」
東出先輩に事情聴取をした時、ラブレターの送り主が廣瀬だと簡単に言い当てられたのは、廣瀬が先輩の目の前で、いかにもラブレターに使いそうなレターセットを買っていたからだったのか。
しかし、それだけでは、東出先輩の好意を確認することはできない気がする。
「でも、ラブレターが奪われたことを先輩に伝えても、そのラブレターの送り主が廣瀬じゃないかと先輩が疑うかどうかは分からないじゃないか」
「そこで私の名前が出て来なかったら、先輩にとって私はどうでもいい存在ってことでしょ? つまり、脈なしってことだよ」
それは確かにそうかもしれないが……
「というかそもそも、俺たちが東出先輩に事情聴取をしてる時、廣瀬は教室で待ってたじゃないか。どうやって脈ありか脈なしかを判断したんだよ」
「そんなの、留美の顔を見ればわかるじゃん」
自分の前髪をいじりながら、当たり前でしょ?とでも言いたげな表情を浮かべる廣瀬。
「……あぁ、そうか」
東出先輩の事情聴取を終え、先輩が廣瀬のことを好きだと知った明智は、ニコニコ笑顔で廣瀬の待つ教室に戻って行った。もし仮に廣瀬が脈なしだったら、明智はあんな風に明るく振舞うことはないだろう。
しかし……
「……もし、脈なしだったら、廣瀬はどうするつもりだったんだ?」
今回は脈ありだったから、廣瀬はめでたく東出先輩と付き合うことができた。でも、そうじゃない可能性だって十分にあったはず。
俺のその質問に、廣瀬は「ふぅ」と大きくため息をついてから、ゆっくりと俺の方を向く。
そして、力のない笑顔を浮かべた。
「その時は、今まで通り。東出先輩と仲のいい後輩のままでいるつもりだったよ。もし先輩にラブレターを出したかどうか聞かれても『出してない』って言い張ればいいんだし」
俺はようやく、廣瀬がどうしてこんなことをしたのか、理解することができた。
廣瀬は今の関係を壊すことなく、東出先輩の好意を確認したかったのだ。
脈ありだったら東出先輩と付き合うことができるし、脈なしだったとしても、告白して振られた訳じゃないので、今まで通りの関係を続けられる。
恐ろしいほどに完璧な作戦だ。
「でも、廣瀬と東出先輩は幼馴染だったんだろ? どうして今になって、気持ちを伝えようと思ったんだ?」
幼馴染というからには、十年近い付き合いがあるはず。どうして今、気持ちを伝えようと思ったのか。そこが引っかかる。
「和藤君の言う通り、私は物心ついた頃から、まー君…… 東出先輩のことが好きだった」
だったら尚更、もっと早く気持ちを伝えることもできたはずなのに。
しかし、廣瀬は、でも。と言葉を続ける。
「今までは、先輩と付き合いたいなんて、思ったことなかったの。でも、球技大会が終わってから、先輩のことを好きって言ってる人が増えて。なんというか、取られたくないって思っちゃったんだ」
なるほど。廣瀬がこのタイミングで好意を伝えようと思ったのは、先輩を他の人に乗られてしまうかもしれないという焦りがあったからなのか。
しかし、それならそれで疑問が出てくる。
「なぁ。廣瀬は東出先輩と一緒に帰っている途中でラブレターに使うレターセットを買ったんだよな?」
「そうだけど?」
「じゃあ、二人で一緒に帰れるくらい、仲が良かったってことだろ? それって、十分脈ありだと思うんだけど」
それに、廣瀬は、付き合う前から、たまに東出のことを「まー君」と呼んでいたので、二人はかなり仲のいい間柄だったに違いない。
いくら焦りがあったからとはいえ、わざわざこんな事件を起こさなくてもよかった気がするのだが。
疑問に思ってそう尋ねると、廣瀬は大きくため息をついてから、「和藤君なら分かってくれると思ったんだけど」と呟く。
俺が人の気持ちを理解できる訳ないだろ。明智じゃないんだし。
「東出先輩は格好良くて頭もよくてスポーツ万能で、生徒会長も立派に勤め上げている、雲の上の存在でしょ?」
それは廣瀬の言う通りだ。
俺も昨日、東出先輩に会った時、先輩は雲の上の存在なのだと感じた。
なんというか、明智と同じようなオーラがあったのだ。
「それに比べて私は、身長は小さくてスタイルも自信はないし、留美みたいに可愛いわけでもないし、勉強はそこそこできるけど運動は苦手だし……」
「そんなことはないだろ」
明智はよく、廣瀬のことを褒めている。昨日だって、小さくて可愛いとか、クールで格好いいとか、脈絡もなく褒めていたし。
それに、廣瀬は明智の友達なのだ。明智の友達に、悪い奴はいない…… と、思う。
「和藤君って、意外と優しいんだね」
いや、別に優しいわけじゃない。ただの客観的事実だ。
「早い話が、自分に自信がなかったの。こんな私じゃ、東出先輩に釣り合わない。そう思ったの」
廣瀬は目を細めながら空を見上げ、まるで独り言のように呟いた。
俺は正直、人の気持ちが分からない人間だ。共感力が足りないとでもいうべきか。
でも、そんな俺でも、廣瀬の気持ちに共感することができた。
俺が明智と一緒に居る時、そんな気持ちになるから。
「それと、和藤君の推理はちょっと間違ってる。確かに私はあのレターセットは開けてないけど、ラブレターは書いたよ。下書きだけどね」
廣瀬はどこか寂しそうに、そう言った。
どうやら廣瀬は元々、ラブレターを出すつもりでいたらしい。
「じゃあ、なんでそれを出さなかったんだ?」
「……ラブレターに、自分の気持ちを書けば書くほど、『あぁ、私。先輩のこと、大好きなんだな』って強く思うようになった。それと同時に、『嫌われたくない』っていう思いもどんどん強くなってね。だから、魔が差したというか……」
魔が差した、か。
廣瀬はさっき「恋は人を狂わせる」と言っていたけれど、もしかして、廣瀬も、恋に狂わされてしまったのかもしれないな。
ラブレターを書いているうちに、自分の思いの強さを自覚してしまい、東出先輩に嫌われるのが怖くなった。
だから廣瀬は、明智を利用して、東出先輩に自分の気持ちがバレないように、脈ありか脈なしかを調べようとしたということか。
ようやく事件の全貌を理解できた俺に、廣瀬はゆっくりと俺の方に近づいてくる。
そして、小悪魔のような笑み浮かべ、上目遣いで俺のことを見上げてきた。
「これが私の動機。どう? 納得した?」
俺は今まで、廣瀬のことを、大人しくて優しい性格の女子だと思っていた。
でも、どうやらそれは大間違いだったようだ。
「和藤君。都合のいいお願いなのはわかってるんだけど、私が犯人ってことを、留美には言わないで欲しいんだ」
「……言える訳ないだろ」
廣瀬は、自分の好意を東出先輩に隠しながら、脈ありか脈なしかを判断するためにこんな事件を起こした。
つまり、明智は廣瀬に騙されて、利用されていたってことになる。
まぁしかし、騙されて、利用されていたなんて、ひねくれ者の俺の考え方。
きっと明智なら、廣瀬のことを笑って許すと思う。
だから、これは俺のエゴ。
友達の廣瀬に騙されていたなんてことを、明智に知って欲しくない。ただ、俺が明智に知って欲しくないだけだ。
「ごめんね、ありがとう」
廣瀬は力なく笑う。
別に俺は、廣瀬に謝れる筋合いも、感謝される筋合いも無い。
ただ、俺が明智に言いたくないと思っただけ。それだけのことだ。
あと、もし、廣瀬が犯人だなんて明智に言ったら、廣瀬に何かとんでもない仕返しをされそうで怖い。
廣瀬は敵に回してはいけないタイプの人間だ。今回の事件で、よく分かった。
「……まさか、ここまで完璧に見抜かれるとは、思ってなかったよ。さすが、留美に気に入られているだけあるね」
さっきまでぞくりとするような笑みを浮かべていた廣瀬が、急にあっけからんとした様子でそう言ってくる。
「それとも。和藤君も私と同じで、高嶺の花に恋をしてるから、気持ちが分かっちゃったのかな?」
「別に俺は、明智のことが好きって訳じゃ……」
「私、別に留美のことだなんて、一言も言ってないけど?」
俺の不用意な発言に対して、廣瀬はニヤリと笑いながらそう返してくる。
クソ。やっぱり廣瀬は敵に回しちゃダメなタイプだ。
このままではどんどん墓穴を掘らされる気がする。
こうなったら手段は一つ。黙秘権を行使するしかない。
しかし、廣瀬はそれ以上俺をからかうことはせず、再び力のない笑みを浮かべて、俺の目を見てくる。
「それに、そんなことを言っていられるのも今の内だよ。どうせすぐ、自分にも嘘を付けなくなるくらい、好きって気持ちが溢れちゃうんだから」
私みたいにね。と、廣瀬は自嘲気味に付け加えた。
それから、手を顔の前で合わせ、ウインクしてくる。
「ごめん。和藤君に犯人だってバレたのが悔しくて、ちょっと仕返ししたくなっちゃった」
今の、仕返しだったのか。それにしては質が悪すぎるぞ。
やっぱり、こいつは敵に回しちゃダメだ。
俺の前でくすくすと笑う廣瀬の姿を見ながら、俺は強くそう思った。