7
あれから甘いコーヒーを飲んで元気になった明智の話を聞いていたら、いつの間にか図書館の閉館時間になってしまっていた。
閉館を知らせる館内アナウンスに追い出されるように、図書館の外に出る。
図書館の中に居た時には気づかなかったけど、外はもう真っ暗になってしまっていた。
「それじゃあ、また明日学校でね」
「……いや、家まで送ってくよ」
手を振って歩き出そうとする明智を呼び止める。
暗い夜道を明智一人で帰すのは少し心配だ。俺は連れまわされた側とはいえ、送って行ったほうがいいだろう。
「いいの?」
「うん。俺、自転車取ってくるから、ちょっと待ってて」
俺が明智を家まで送るのはこれが初めてじゃない。というか、数えるのが面倒なくらいには送ってる。
自転車なら、明智の家から俺の家までは十五分もかからない。だから、明智を送って行くのはそこまで面倒な事じゃないし。
「ワトソン君って、いつも『早く帰りたい』って言うくせに、なんだかんだ最後は私の事を送ってくれるよね」
「まぁ、一応な。俺が家まで送らなかったせいで明智が事件や事故に遭ったら、目覚めが悪いだろ」
明智は相当かわいい。
いや、これは俺の意見ではなく、客観的な事実だ。
何せ明智は、たった数分目を離しただけでナンパされるのだから。
とにかく、そんな女子を一人で帰らせたら、なにが起きるか分かったものじゃない。
そんな余計な心配はしたくないので、だったら明智を家まで送ったほうが、楽というものだ。
しかし、明智はいまいちそういう危機感が薄いらしく、へらりとした笑顔を浮かべる。
「大丈夫だよ! 車が突っ込んできたらどうしようもないかもだけど、不審者くらいならバリツで撃退してみせるから!」
シュンシュンと、シャドーボクシングをしてみせる明智。
バリツというのは、ホームズが得意だという、架空の日本式の格闘技だ。
架空の格闘技なので、現実世界に使い手など存在しないし、バリツがどんなものなのかを知る人もいない。
だから、明智の言うバリツとは、早い話がただの暴力だ。
ちなみに、俺も明智のバリツを喰らったことがある。
明智おすすめのミステリー小説を読んで感想を求められた時、「あれだけのトリックを思いつく犯人だったら、殺し方を工夫する前に死体を隠す工夫をすると思う」と言ったら、「だから君は友達がいないんだよ!」と、バリツという名の背後からの首絞めを喰らった。
あの時はマジで気絶するかと思った。
でも、それとこれとは話が別だろ。
「いや。頼むから不審者に襲われたら、迷わず逃げてくれ」
「大丈夫だよ。ワトソン君が守ってくれるでしょ?」
しかし明智は、ふわりと笑顔を浮かべながら、まるで当たり前のことのようにそんなことを言ってきた。
こいつ。俺がそんなことができる人間だと思っているのか?
信頼されているのは嬉しいけれど、俺は別に武道の心得がある訳でもないし、そもそも運動部でもないので、体力は平均以下だ。
残念ながら、明智を守る力なんてない。
「俺には明智のことを守る力はないから、俺のことなんて信頼せずに逃げてくれ」
「ワトソン君は、なんだかんだ言って私を助けてくれるでしょ? いつもそうだもん」
俺が明智のことを助けたことなど、あっただろうか。
むしろいつも、助けられっぱなしな気がする。
しかし、とりあえず、もし不審者に襲われそうになったら、明智がバリツで対抗しようとする前に、明智を連れて一目散に逃げよう。
俺はそう心に決めた。
◇ ◇ ◇
「ねえ、ワトソン君。今日の放課後は暇?」
次の日の昼休み。昼ご飯を食べ終え、昨日読み終えることができなかった明智に借りたミステリー小説を読んでいると、明るい声が俺の耳に届いた。
ここで暇だと答えれば、きっと昨日みたいに連れまわされることになるだろう。
でも、なぜだか俺は、明智に嘘を伝える気にもなれなかった。
「……暇だよ」
「よかった! じゃあ、また放課後ね」
太陽みたいな明智の笑顔が眩しすぎて思わず目をそらすと、ふと窓の外を見ている廣瀬の姿が目に入った。
窓枠に頬杖をつき、校庭にいる誰かを眺めているみたいだ。
廣瀬の目線の先を見ると、昨日、めでたく廣瀬の彼氏になった東出先輩が、校庭で何やら作業をしていた。
そう言えば廣瀬が、今は地域のイベントの準備で忙しそうとか言ってたな。
「茜、かわいいよね」
俺が廣瀬を見ていたことに気づいたのか、明智がそう呟く。
「茜ね、昨日の昼休みも、外で仕事をしている東出先輩を眺めてたんだよ。本当に東出先輩のことが好きなんだよね」
そうなのか。俺は廣瀬の行動を逐一把握なんてしていないので、知らなかった。
……待てよ。
「明智。廣瀬は昨日の昼休みも、外にいる東出先輩を眺めていたのか?」
「うん。そうだよ」
明智はこくりと頷く。
......それじゃあ、ラブレター泥棒の犯人はあいつしかいないではないか。
「どうしたの? ワトソン君」
俺が急に黙ったのを心配したのか、明智がぐっと、俺の顔を覗き込んできた。
だから、近いってば。
「なんでもない」
しかし、まだ俺の推理が正しいと決まった訳じゃない。
とりあえず、俺の推測が当たっているかどうかの確認をしなければ。
明智に伝えるのはその後だ。
「なあ、明智。昨日買ったレターセットって、持ってるか?」
「うん、持ってるけど?」
明智は制服のそれはそれで胸ポケットから、昨日買った、廣瀬が出したものと同じレターセットを取り出した。
「ちょっと貸してくれないか? 今日中に返すから」
「いいよ」
明智は特に何も聞かずに、俺にレターセットを貸してくれた。
詳しく聞かれなくてよかった。
犯人が確定していない以上、こんな適当な話を明智にすることはできないし。
……いや、もし、俺の推理が正しかったら、それはそれで明智に言うことなんてできないな。
「茜~~! ちょっといい?」
「あ、うん!」
クラスメイトに名前を呼ばれた明智が、元気よく返事する。
どうやら明智を呼んだのは、クラスのカーストトップの女子集団のようで、こちらに視線を向けてきている。
なんだか明智と話しているところを彼女たちに見られたのが気まずくて、慌てて明智から借りた推理小説を読んでいるふりをした。
「ごめん、私は戻るね!」
俺に手を振りながら去って行く明智の背中を、推理小説越しに盗み見る。
というか明智、俺といるよりも、あの女子たちといるほうが楽しいんじゃないのか?
どうしてわざわざ俺の所に話に来るのだろうか。
……いやいや。そんな事より、今は推理だ。
とりあえず、もう一度しっかりと考えてみるか。
もしかしたら、俺の推理に間違いがあるかもしれないし。
しかし、もし俺の推理が正しかったら、明智になんて説明しよう。
俺は推理小説を読んでいるふりをしながら、クラスメイトと楽しそうに談笑する明智から目を背けた。