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短編のつもりで書いていたら文字数が増えてしまったので、分けて投稿します。
数話で完結します。
「ワトソン君! 大変だよ! 事件だよ!」
放課後。窓側の一番後ろの席、いわゆる主人公席で一人、推理小説を読んでいた。まぁ、放課後に一人で小説を読んでいる俺みたいな人間は、主人公になんて決してなることはできない。
「事件だって言ってるじゃん! そんな小説を読んでる場合じゃないよ!」
主人公っていうのは、今、俺にはじけるような元気いっぱいの声をかけてきた奴みたいのことを言うんだろう。
ゆっくりと顔を上げると、うちのクラスの……というか、学校のヒロイン。明智留美が、大きな瞳をキラキラさせながら俺の前に立っていた。
「ねえ、ワトソン君。聞いてるの?」
明智よ。頼むから、その呼び方はやめてくれ。
俺の名前は和藤蒼汰。わとうそうた→わとそう→ワトソン君。ということらしいけど、正直そう呼ばれるのはかなり恥ずかしいのでやめて欲しい。
しかし、このまま無視していたら、ひたすら変なあだ名で呼ばれそうなので、読んでいたミステリー小説をぱたりと閉じてから、ゆっくり口を開く。
「……この小説、明智が読めって言ったんじゃん」
俺は別にミステリー小説がそこまで好きって訳じゃない。嫌いって訳でもないけど、明智に「読め!」と強制されなければ、ここまで熱心に読むことはなかったと思う。
「今は現実で事件が起きてるんだよ! 私たちの出番だよ!」
明智留美は、誰もが認めるヒロイン女子。
身長は女子の平均よりやや低いくらいの、ふわっとした雰囲気と、持ち前の明るさと人当たりの良さで、みんなから愛されるという、ヒロインとしては完全無欠の女の子だ。
「謎なら一人で解けばいいじゃん」
「ダメだよ。ホームズにはワトソンが必要でしょ?」
まったく。そんなヒロイン女子が、なぜ、パッとしない俺のことを「ワトソン君」と呼び、構うのだろうか。
ともかく、今までの発言からも分かる通り、明智はミステリオタクで、特に、シャーロックホームズに憧れている。
しかし、とても残念なことだが、明智がホームズに並ぶ名探偵になる日は来ないだろう。
明智は探偵にしては素直過ぎる。根がいい奴過ぎるので、人を疑うという行為が苦手なのだろう。
彼女は推理が好きなだけで、真実を見つけ出すことが得意というわけではない。下手の横好きというか、なんというか。ともかく、致命的に探偵に向いていない。
そんな訳で、彼女は今までいくつもの事件を迷宮入りにしてきた、筋金入りの迷探偵なのだ。
ヒロインとしてはほとんど完璧な明智でも、苦手なこともあるんだな。と、出会ったばかりの頃はかなりの衝撃を受けたものだ。
「ワトソン君は洞察力が高いからね。一緒に来てくれると、心強いの」
明智はそう言ってくれるけれど、俺は自分の洞察力が高いと思ったことはない。
俺はただ、ひねくれ者なだけ。だから、素直な明智には気づくことのできないことに気づくことができるだけだ。
まぁでも。まぶしい笑顔を浮かべる明智にそう言われると、ほんの少しだけど、やる気も湧いてくるものだ。
仕方ない。手伝うか。
「それで、何があったの?」
そう訊くと、明智の後ろから、ひょっこりと小柄な女子が顔を出した。明智も女子の平均以下の身長だけど、そんな明智よりもさらに小さい彼女の名前は、確か廣瀬茜。
いつも明智と一緒にいる、明智の友達だ。
「実は……」
そう言い淀む廣瀬の代わりに、明智が俺の机に、バン! と手をついて口を開く。
「茜の出したラブレターが、誰かに奪われたの!」
「……は?」
「だから、茜が出したラブレターが、誰かに奪われたんだよ! 恋泥棒が出たんだよ」
「いや。恋泥棒って、そういうものじゃないだろ……」
恋泥棒っていうのは、いわゆる『奴はとんでもないものを盗んでいきました……あなたの心です』って感じのやつだろ。決して、人のラブレターを奪う人のことではない。
しかし...... 人の出したラブレターを奪うなんて、ずいぶん暇な人もいたものだな。
「ちょっと留美。あんまり大きな声でラブレターとか言わないで。恥ずかしいじゃん」
廣瀬が顔を赤くしながら、明智の制服の袖を引っ張っている。
そりゃそうだ。放課後とはいえ、教室にはまだそれなりに生徒が残っている。ラブレターを出したなんてことを大声で話されたら、恥ずかしいに決まっている。
でも、このまま放っておいても話が進まなさそうだ。
「それで、奪われたって話は本当なのか?」
明智から借りていた推理小説の表紙を撫でながらそう訊くと、さっきまで恥ずかしそうに明智の袖を引っ張ていた廣瀬がこくりと頷く。
「どうしてラブレターが奪われたって分かったんだ? ただ、失くしただけって可能性は?」
出したラブレターが消えただけなら、どこかに行ってしまった可能性や、間違えて違う人の奪われたと決めつけることなんてできないはずだ。
「それは……」
廣瀬は少し言い淀んでから、ノートの切れ端を手渡してきた。
受け取ると、直線的な文字で【あなたが書いたラブレターは頂いた】と、シャープペンか何かで書かれている。
……なるほど。明智のテンションがここまで上がっている理由が分かった。
「これは間違いなく犯行声明だよ!」
「そうみたいだな」
ミステリオタクでホームズのような名探偵に憧れている明智が、こんな犯行声明まがいの文章を見せられたら、興奮するなというのが無理な話だろう。
「筆跡鑑定は無理そうだね」
犯行声明の文字は、定規か何かを使って、直線的な文字で書かれている。
明智の言う通り、筆跡鑑定は無理だろう。
まぁそもそも、筆跡鑑定なんてことをする技術は俺たちにないので、どちらにせよそんなことはできないのだが。
「とりあえず、何があったか説明してくれる?」
廣瀬は小さく頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「今朝、まー君…… 東出先輩の下駄箱に、ラブレターを入れたの」
「(……東出先輩って誰だ?)」
「(東出正孝先輩。この高校の生徒会長じゃん)」
小声で明智に尋ねると、呆れながらもそう教えてくれた。
もちろん知っていたぞ。ただ、ど忘れしていただけだ。
「ごめん、続けてくれ」
「うん。先輩にラブレターが届いたか心配になって、帰りのHRが終わってすぐ、先輩の下駄箱を見に行ったの。そうしたら、私の書いたラブレターが無くなってて…… それで、もしかしてと思って自分の下駄箱を見に行ったら、この犯行声明が入っていたの」
俺の机の上に置かれた犯行声明を人差し指でトントン、と叩きながら廣瀬の話を頭の中で反芻する。
「ラブレターが無くなってた時に『もしかして奪われたかも』って思ったのは、どうして?」
普通、自分の出したラブレターが下駄箱から無くなってたら、相手に届いたんだと安心すると思う。
まぁ、俺はラブレターなんて出したことがないので、そこら辺はよく分からないのだけど。
「それは…… 前に、東出先輩に出したラブレターが奪われたって話を誰かから聞いたことがあったから」
なるほど。ということは、こんな事件が起きるのは初めてじゃないってことか。
「そうなの? そんな事件を見逃していたなんて、私、名探偵失格だ……」
廣瀬の話を聞いて、肩をがっくり落として落ち込む明智。
いや、お前はそもそも名探偵としては落第生だから、そんなに落ち込むことはないぞ。
なんてったって、明智は今月だけで既に二回、事件を迷宮入りにした迷探偵なんだから。
まぁ、明智は持ち前の明るさと人当たりの良さで、『なんかいい感じ』に事件を迷宮入りにするので、そこまで問題はなかったりするのだが。
「やっぱり私、東出先輩ファンクラブの誰かが犯人だと思うんだよね」
しかし、犯人はいったいどうして廣瀬の出したラブレターを奪ったんだろうか。
俺の頭に浮かんだ、そんな疑問に答えるように、明智が顎に手を当てながらそう呟く。
「そんなクラブ、本当にあるのか?」
また明智が適当なことを言っているだけだろうと思ったけど、俺の疑問に廣瀬がこくりと頷く。
「東出先輩、身長高くて格好いいし、生徒会長だし、バスケも上手いし、憧れている人はいっぱいいるんだよ」
私も含めてね。と、廣瀬はどこか自嘲気味に呟いた。
そういえば、この前の球技大会で女子からの黄色い声援を浴びていた先輩がいたな。あれが東出先輩だったのか。
あれだけモテる先輩なら、ファンクラブがあるという話も間違いじゃなさそうだな。
「それで、どうして東出先輩ファンクラブの誰かが犯人だと思うんだ?」
「だって、茜のラブレターを奪ったってことは、犯人は茜の恋路を邪魔したいってことでしょ? だったら、犯人は東出先輩のことを好きな人に決まってるじゃない!」
ただでさえ大きな瞳をさらに大きくして、俺にぐいっと顔を近づけてくる明智。
「でも、廣瀬の邪魔をしたいだけなら、犯行声明なんて残さず、ただラブレターを奪うだけでよかったんじゃないか?」
犯行声明を残したせいで、ラブレターが奪われたということがバレてしまったのだ。
それに、犯人は定規を使って犯行声明を書いていることから分かる通り、証拠を残さないように気を遣っているように見える。
そんな犯人が、どうして証拠を残すリスクを冒してまで、犯行声明を残したのだろうか。
「ワトソン君は分かってないな。あの犯行声明は牽制なの。『私たちの東出先輩に手を出すな』みたいな」
初歩的な事だよ、ワトソン君。とでも言いたげなドヤ顔で胸を張る明智。しかし、悔しいことに、今は明智の推理を否定する材料がない。
要は、容疑者候補の東出先輩ファンクラブの方々は、東出先輩に好意を向ける女子を片っ端から威嚇しているということか。
まぁ、ありえない話じゃなさそうだな。
でも、なんだかなぁ。人の恋路を邪魔するために、人が書いたラブレターを奪うなんてこと、する奴がいるんだろうか。
「む! ワトソン君。君、私の推理を疑ってるね?」
しまった。疑念が顔に出てしまっていたみたいだ。
そのせいで、明智の名探偵魂に火を点けてしまった。
「だったら、証拠を集めに行くよ!」
はぁ、またこの流れか。
事件が起きると、明智はいつも『証拠集め』と称して、俺をいろいろなところに連れまわす。
そのせいで、俺が明智と付き合ってるんじゃないかという噂が学校中に広がってしまっているのだ。
明智は特に気にしていないように見えるけど、それでも、俺みたいなパッとしない男子と付き合っていると噂されて、嬉しい訳はないだろう。
まったく。学校で一、二を争うヒロイン女子が俺みたいなパッとしない男子と一緒に居て、何が楽しいんだか。
「証拠集めって、どこに行くの?」
「決まってるでしょ? 下駄箱だよ。そこにラブレターを盗んだ犯人の証拠があるかもしれないんだから」
廣瀬の質問に、明智が自信満々に答える。
しかし、本当に証拠なんて残っているのだろうか。
今回の犯人は、かなり用心深い。
それに、廣瀬の話が本当だとすると、犯人は今までに何回もラブレターを奪ってきたということだ。
それが同一犯かどうかは分からないけど、仮に同一犯だった場合、その犯人は何回も犯行に及んでいるのに捕まっていないということになる。
そんな犯人が、下駄箱に証拠を残すなんて間抜けなことをするとは思えない。
それに、学校内で明智と一緒に居たら、俺が明智と付き合っているとかいう変な噂が広がってしまう。
「明智と廣瀬で行ってきなよ」
「何言ってるの! ワトソン君がいないと、私がホームズになれないじゃん!」
明智はワトソンがいてもホームズにはなれないよ。
なんてツッコミをする間もなく、明智は椅子に座っている俺の腕をグイっと引っ張りながら歩き出そうとする。
明智のような陽キャにとって、腕を掴むなんてことは、ごく普通の、ありふれた日常なのだろう。でも、俺にとってはそうじゃない。
明智と出会ってから、もう、かなり経ったけど、それでもこういうふとした瞬間のスキンシップには全く慣れる気がしない。
しかし、こうなっては、抵抗すればするほど長い時間明智に腕を掴まれることになってしまい、それだけ長い時間精神攻撃を喰らい続けることになる。
仕方ない。大人しく明智の言うことを聞くか。
「分かった。ついて行くから、手を離してくれ」
そう伝えると。明智はすんなり腕から手を離してから、下駄箱に向かって歩き始めた。
自分の腕を掴んでいた明智の手のぬくもりがなくなってしまったことにほんの少しの寂しさを感じてしまった気がしたけど、そんなはずはない。
明智から借りた推理小説を制服のポケットに突っ込み、俺も明智の後を追いかけて教室を後にした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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