不遇な公爵家次女が幸せになるまで
助けてといえたなら、どれだけ良かっただろう。レアンは思う。
例えば、酒癖の悪い父に罵倒された時。例えば、7つ離れた優秀な姉と比べて、お前は姉と違って優しくもなく、そこそこなのだから、何事も人よりも何倍も努力しないといけないと母に言われた時。
軋む胸を隠して、表情を取り繕わずに、怒ればよかっただろうか。
そうして、年回りが近いからと物心着く前から決まっていた婚約者に嫁ぐために、厳しい教育を受けて、苦しくて辛くてめげそうになった時に、逃げ出したらよかったのだろうか。
レアンは今、幼かった頃から理不尽に扱われていた自分を不憫に思う。怒ってよかったし、逃げてよかった。だけど、子供にそんなことができるはずがない。レアンは周りの大人や人に恵まれなかった。それは、レアンのせいではないと、いまのレアンはわかっている。
レアンは、この国の公爵家の次女として生を受けた。可愛らしい姉とは違って、地味な色みの髪の毛や瞳に両親はがっかりした。3年前に生まれた第一王子の側近か、婚約者の候補に子供が欲しいと思っていた両親にとっては、取り立てて目立ったところのない容姿の娘が、気に入られるとは思えないようだった。
結局高位貴族の中に、同じ年頃の女児がいなかったとこで、レアンは幼い頃に第一王子の婚約者になった。
しかし、両親の予想通り王子に気に入られることは無く、心を通わせることのないまま、王子は無関心を貫いた。最低限の付き合いはあるものの、全てが侍従が用意したであろう贈り物と手紙だった。終始話の弾まないお茶会の回数はどんどん減って行き、最後には3ヶ月に1回あるかないかというギリギリの体裁を保つほどである。
家族は、同格の公爵家への嫁入りが決まっている姉をもてはやし、レアンに愛情を与えることはなかった。
10歳を超える頃には、レアンはすっかり擦り切れて、マナーで学んだ微笑み以外は浮かべられないようになっていた。その日は、特に勉強がわからず、講師に背中を打たれた。いつもわからなければ打たれるのだが、今日は何度もひどく打たれたので、痛みから発熱しているようだった。
ぼうっした頭で、王城の隅のベンチに腰掛ける。ここは、物陰になっていて人通りが少なく、レアンの逃場の一つだった。馬車止まりからさほど遠くない為、馬車を待つ間、ここで過ごすこともある。
レアンのために、時間ちょうどに馬車を回してなどもらえないのだ。
ああ、もう消えてしまいたい。
私がいなくなっても、誰も心配しないだろうな。不利益を被ったと怒るだろうけど。
消えてしまいたいけど、痛いのは嫌だな。
朦朧とした頭で、レアンはこのところよく考えるようになったことを、今日も反芻していた。
ぬっと影が差した。
「君大丈夫?」
レアンより幾分か上の少年と青年の間のような男の子が声をかけてきた。
レアンは驚きと熱が手伝って、とっさに何も答えられなかったが、弾かれたように立ち上がり、挨拶をした。
すると彼は、眉を寄せた。
レアンは謝罪しようと思ったが、それより先に彼が
「失礼。」
といって、レアンの額に触れたのだ。
「熱がある。」
彼は、辺境伯子息のダリウスだと名乗り、レアンに歩けるか聞いた後、馬車まで送るといい、レアンが馬車はまだきていないむねを伝えると、送っていくといい、エスコートしてレアンを自らの馬車に乗せてしまったのだ。
レアンはびっくりした。
熱があるからとそんな風に気遣われたことなんてなかった。むしろ、熱があるときは、誰も近寄らず、一人ベットの中で耐え、回復すれば体調不良を罵られ、遅れた分の勉強をしなければならなかった。
ダリウスは、レアンの体調を気遣いつつも、馬車の中でもゆったりと辺境のことや、王都で見つけたことなどを話してくれる。
レアンに普通に話しかけてきたのはダリウスが初めてだった。
レアンは、感動していた。ダリウスの話を聞くことが嬉しかった。
レアンは消えてしまいたいと思う代わりに、もう一度ダリウスと会いたいと思うようになった。
ダリウスは年に1、2度こちらに父親と共にきているようで、王城の妃教育の折に、すれ違って挨拶できることもあれば、全く会えないこともあった。
15になり、デビュタントを迎えると、夜会でダンスをする時に、ダリウスと踊れるようになった。その時に話をすることだけが、変わらずレアンの楽しみだった。
いつからか、ダリウスはレアンの不遇に気づいていて、いつも気遣ってくれた。まともな扱いを受けていないことに恥ずかしい気持ちがあったが、優しいダリウスの気持ちが嬉しかった。
いつからか、またダリウスと話したいと思うようになった。
レアンは、ダリウスへの気持ちは恋だと気づいていたけれど、自分が自由の身でないこともまたよくわかっていた。
心の中で思うのは自由だわ。私はダリウスへの気持ちを抱いているから生きていける。
王子妃の自覚も、王子や家族への情も、国への忠誠心も、レアンの中には育たなかった。
そんなある日、レアンは王城で耳を疑う噂を聞いた。
王太子とレアンの姉が不義の仲だというのだ。
姉は、半年後に結婚する予定で、いまは結婚式や輿入れの準備の只中である。レアンは、真偽を疑ったが、侍女の話す内容に信ぴょう性を感じた。
レアンは、ゾッとした。このままでは、姉の代わりに公爵家に嫁ぐことになるか、妃の仕事を任され、姉と王子がよろしくやるの2択じゃない?と思ったのだ。
いつかは、王子に嫁がないといけないと思っていた。だけど、あの男に触られるのは無理だ。家族に義理立てする必要も感じない。
そうだ!辺境へ行こう!
レアンは、その日王都から姿を消した。
ダリウスは、我が目を疑った。いつもの辺境の都の視察に出ると、レストランの店先で、レアンにそっくりな女性がオーダーを取っていたのだ。
まさか、と思ったが、1ヶ月前レアンが疾走したことは、騎士団を通じてダリウスも知っていた。行き先に気を揉んで、今日の視察が終わったら、謁見に格好をつけて王都まで行く段取りまで組んでいたのだ。
そうして、ふと視線を上げたレアンがダリウスを見て、固まったことからダリウスは確信した。
レアンだ。
レアンと後で面会の約束を取り付けたダリウスは、店の閉まる時間にレストレンを訪れた。二人は、馬車への移動して、車内はしばらく沈黙が訪れた。
「それで、どうしてレアンはここで働いているの?」
レアンは、どう話そうか考えあぐねたがシンプルな答えを送った。
「逃げてきたの。どこに逃げようかなと思ったんだけど、辺境がいいかなって。一度来てみたかったのよ。」
とふわりと笑った。
ダリウスは初めて見るレアンの柔らかな微笑みに、目を見開いた。
それから、二人はレアンのいままでの話や、ダリウスの持ついまの王城の情報の話をした。
「レアンはもう王都に戻りたくないんだね?」
「ええ。これからはただのレアンとして、生きて行きたいの。覚えることはたくさんだけど、私今が一番楽しいわ。」
レアンはレストランでの失敗ばかりの話を楽しそうにダリウスに聞かせた。
ダリウスは、柔らかな表情でその話を聞いた後で、レアンに言った。
「ねぇ、レアン。僕はね、ずっとレアンが好きだった。初めてあってから、今までずっと。
辛いことばかりなのに、周りを気遣って耐えて頑張っているレアンに守ってあげるから逃げようってなんども言いたかった。誰かのものになって欲しくなかった。だから、僕もう、遠慮しないからね。」
レアンは、ダリウスの言ったことが信じられなかった。だって、レアンはずっと無価値だと言われてきたから。出来損ないで、いいところがないから努力くらいしか出来ない。見目も麗しくないと言われてきたのだ。
ダリウスのことは、大好きだけど、レアンは、その気持ちをうまく受け止められず、気がつけば涙がこぼれてきた。
喉に何かが張り付いたように言葉が出てこない。何かを言わないといけないのに。焦るレアンをダリウスはそっと抱きしめた。
「レアン、大好きだよ。これから何度でもいうから、いまは聞いてくれるだけでいいよ。
レアン。無事で本当に良かった。ずっと心配してた。本当に、良かった。」
それから、半年ほど経って、レアンはダリウスと正式にお付き合いすることになった。
ダリウスはレアンにかけられた呪いを一つずつ解いてくれた。
王家や実家の公爵家は、その後醜聞まみれになって、今は火消しに追われているらしい。その噂の中には、レアンへの虐待やもちろん王子の噂もあるらしい。
けれども、レアンはもう気にしない。興味もないのだ。
柔らかに微笑むレアンを膝に乗せた優しいダリウスの顔が近づいてきて、レアンはゆっくり瞳を閉じた。