33話 ルインスの葛藤
「ここがアブドラハの貧困街っす。夜は昼間よりも危険なので、絶対に一人で近づいたら駄目っすよ」
「……」
家に帰る途中、ルインスが話しかけてくるが、俺は黙ったままだ。
今は一人で考えたいから話しかけないでほしい。
ルインスが悪いわけではないが、このムカムカする気分をぶつけてしまいそうになる。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、ルインスはお構いなしに話し続ける。
「あくまで料理人はついでで、あれを見せるために連れてきただけっす。奴隷を買う案もあるってだけなんで。あそこは紹介制で、信用できる人しか入れないっすから、買うってなったら自分に言うっすよ」
「ルインスはあれでいいと思ってるの!? あんな人を人とも思えないような扱いをして!」
ルインスに当たるのは間違いだと思っているのに、怒りをぶつけてしまった。
「坊ちゃんが怒る気持ちも分かるっすけど、あそこはまだマシなんすよ。もっとひどいところは取り締まってますし、アブドラハは奴隷の扱いには厳しい方っす」
「だからって……何とかならないの?」
「坊ちゃんは気づきませんでしたか? あそこにいるのはほとんどが獣人の奴隷っす」
確かに、思い返してみると、借金で奴隷になった人間もいたが、獣人ばかりだった。
「それがどうしたの?」
「坊ちゃんが生まれるより前の話なんすけど、この国は獣人の国を戦争で打ち破ったっす。その結果、住処を追われた獣人の多くが奴隷となって、今もそれは続いている状況っす。彼らは扱いが難しいんすよ」
そういう過去があったからって、あんな子供が商品として扱われるなんておかしい。
「でも、普通に暮らしてる獣人がたくさんいるよ。それに商人をやってる獣人だって」
「もちろん全員が奴隷になったわけじゃないっすよ。もともとこの国にいた獣人だっているっす。それに昔よりも奴隷の制度は良くなってますし、戦える獣人は軍や傭兵、狩猟団に買われて、いずれは自分を買うことができる。戦力はどこも欲してるところが多いっすから。問題は戦えない獣人たちっす。運が良ければ商会に買ってもらえるかもしれないっすけどね。そういった獣人はまれで、あの獣人の料理人みたいに売れ残った獣人が多いっす」
獣人は魔法使いにとっては何とか対処できる相手だが、魔法を使えない者たちにとって、その強大な力は脅威となる。
このような理由から、さらなる戦力を求めるこの国にとって、獣人の存在は貴重な戦力として期待されている。
「それじゃあ、獣人たちはみんなこの国の人たちを恨んでるんじゃない?」
「そういう獣人も実際いるっす。だから、昔は反乱もありましたし、今でも反乱軍は密かに動いてるっす。それがあって、奴隷制も変わってて、今は獣人がこの国に馴染み始めているってところっすかね」
獣人たちにそんな事情があったなんて……。
うちの屋台に来てくれている獣人はみんな良い人がばかりだったが、中には心の奥底で葛藤を抱えている者もいたに違いない。
「そんなことも知らないで……」
そんなことも知らずに俺は呑気に商売をやっていたのか。
「騎士団もこれは必要悪だと思ってるっす。アブドラハだけが奴隷を撤廃するわけにもいかないっすから。そんなことしたら、この国中の獣人がここに集まって、結局受け入れられ無くなるっす」
これはアブドラハだけじゃなく、この国の問題だ。
その根本を変えなければ、結局何も良くならない。
そして、その根本となる原因は戦争だろう。
「この貧困街も同じように、なくなれば多くの弱い立場の人が住処を失うっす。悪の温床になってる場所っすけど、上手く管理すれば最低限の被害で済むっすから。だから、こればかりは本当に坊ちゃんが気負う必要はないっす」
ルインスはそういうが、助けを求めてる少年のあの表情が俺の頭から離れない。
「あっ、坊ちゃんにこれを渡しておくっす」
ルインスが俺に渡してきたものは、小さな石の入った袋だった。
「これは?」
「これは共振石っす。互いに魔素を込めておくと、片方が振動して、もう片方に伝わる仕組みっすね。何かあったときはこれで知らせてください。今渡したほうには自分の魔素を込めてあるんで、坊ちゃんの方にも魔素を注いでほしいっす。」
俺は言われたように、ルインスが持っている共振石と渡された共振石に魔素を注ぎ込むと、手の中でブルブルと震え出し、ルインスの持つ方も同じように揺れていた。
「これ、便利なんすよ。騎士団でも連絡用に使ってます。ただ、少しお高いのと魔法使いしか使えないのが玉に瑕っすね。じゃ、自分はこれで失礼するっす」
気付けば、家の前まで来ていた。
ルインスは別れを言うと、どこかへ歩いて行った。
―――ルインス視点―――
坊ちゃんの指導をする任務が終わったので、兵舎に戻った。
暗くなり始めたので、ここからが仕事の本番だ。
諜報活動用の服に着替え、兵舎を出ようとした時だ。
「ルインス」
その声の主は後ろから、静かに自分の名前を呼んだ。
それだけで、まずい! と本能が警告を鳴らし、背中からは冷や汗が出てきた。
振り返ることもなく、全速力で外へ向かう。
「やれやれ、上司への礼儀がなっていませんね」
しかし、動き出したときには、すでに肩をつかまれていた。
仕方なく振り返る。
「いやー、聞き間違いかと思ったっすけど。なんだ副団長じゃないっすか。自分はこれから仕事なんで、肩を放してもらえます?」
すごい力だ。魔法を使おうにも捕まれていたら逃げられない。
「あなたが逃げようとしなければ放しますよ。逃げても捕まえますが」
その言葉で逃げることは諦めた。
力を抜くと、諦めを悟ったのか、副団長も肩を放した。
「いやー、副団長もお疲れみたいっすね。ずいぶんとお怒りのようっすけど。あっ、肩でも揉んで差し上げましょうか」
副団長はそっと近づき、顔を寄せて耳打ちしてきた。
「言葉を選びなさい。あまり舐めてると潰しますよ」
つぶっ……冷や汗が背中だけでなく、体から出てきた。
副団長はかなりの美貌の持ち主だ。
はたから見たら羨ましい光景なのかもしれないが、命を危険が危険な状況でそんなことを言ってる余裕などあるわけがない。
見た目でごまかされてはいけない。彼女は人の皮をかぶった猛獣だ。
副団長は向き直ると、あるものを見せてきた。
「これを勝手に私の引き出しから取り出して読みましたね?」
それはジョゼフ様からの手紙だった。
副団長は自分が手紙を見たことに怒り心頭といった様子だ。
バレてしまったなら仕方がない。
「はい。読んだっす」
正直に犯行を告白した。
嘘をついたところで、それこそ本当に男性としての最後を迎えかねない。
「一応、理由だけは聞いておきましょう」
副団長の表情は変わらない。
ここからは言葉を間違えることは許されない。
「副団長が手紙を受け取った後から、悩んでいる様子だったもので、坊ちゃん関係のことだろうと。それで、気になっちゃいまして。へへ……ぶはっ」
副団長の蹴りをもろに食らってしまった。
「次はありませんよ」
「暴力はんた」
「はい? 何か言いましたか?」
「申し訳ございませんでした」
痛みを我慢して土下座をした。
気になったからとはいえ、自分がやってしまったことだ。
次に同じことをやったら副団長は本当に許さないだろう。
副団長の目を欺くのは難しいが、反省をいかして次は完璧にやろう。
「イテッ……じゃあ、これで失礼するっすね」
「どこへ行くつもりですか? まだ大事な話の途中だというのに」
「もう何もやましいことはしてないっすよ!」
一瞬心が読まれたか、と思ったが、さすがにいくら副団長といえども、人の心までは視えないはずだ。
手紙を読んだこと以外にやましいことなどしていない。
「まだ、あなたが勝手にクラウ様を貧困街まで連れて行った理由を聞いていません」
「どこからそれを?」
「あなたの部下からです」
裏切者め! 誰だ、副団長に報告した奴は。
副団長の表情からは先ほどよりも怒りが見える。
「言っておきますが、部下を責める権利はあなたにありませんよ。報告もなしに勝手な行動をしたのはあなたですから」
ぐうの音も出ない正論だ。
「坊ちゃんの指導は自分の任務っすからね。フリード様の後を継ぐつもりなら、いずれは貧困街のことも知る必要がある。副団長も奴隷を雇うって案が思い浮かんだんすよね? 交友関係の狭い副団長にそんな伝手があるとは思えないですし、一番楽な解決方法っすから。伝えるのを先に延ばしても仕方ないと思うんすよ」
「……あなたも知っているでしょう? クラウ様は他人のことになると放っておけない、自分で抱え込んでしまう人だということを。それなのに、私たちでもどうにもできない問題を教えてしまったら、どうなるか……」
「副団長は坊ちゃんに甘すぎるんすよ。だから、自分が教えたっす」
これは半分本音だ。この人は坊ちゃんのことになると甘すぎる。
「クラウ様がいくら成長したとはいえ、まだ精神も安定していない子供です。それに、クラウ様は私にも言えない何かを抱えている。それが原因でまた自分の殻にこもってしまったらどうするんですか? いくら成長したとはいえ、それが解決したわけではないんですから、もっと慎重になるべきです」
「……それならその方が良いんすよ」
坊ちゃんが後継ぎを諦めるなら、それで良い。
もちろん、フリード様や副団長の考えも分かる。
坊ちゃんには人とは違う何かがある。
一言で言い表せないが、自分なりの理想があってその考えをぶつけられるところや他を思いやれる優しさ、ひらめきもそうだ。
そういった色々なものが人の心を惹きつける。
アブドラハの未来を考えるなら、後継ぎにするのは良い考えかもしれない。
実際、坊ちゃんが将来どうなるのかを期待している自分もいる。
問題なのは、副団長が言うように坊ちゃんは他人のことまで抱え込んでしまうところだ。
それは自分も影を通して見てきた。
フリード様は坊ちゃんに足りない戦闘面での強さを騎士団が補い、支えていけば良いと考えているんだろうが、それは違う。
後継ぎになるには強さも大事だが、精神が強くなければできない。
他人のことまで抱え込んでしまう坊ちゃんにとってその道は、進む過程も進んだその先も辛く苦しいものになるだろう。
それに、坊ちゃんはまだ子供だ。
やりたいことだってこれからできるはずだし、今も自身で考えた商売を成功させている。
そのいくらでもある可能性を大人の都合で閉ざしてしまうくらいなら、無理に後継ぎをさせる必要もないはずだ。
自分はなるべく多くの人の未来を守るために騎士になった。
フリード様がいなくなってもそれは変わらないし、この命はそのためのものだ。
だから、今日は諦めてもらうつもりで指導を行った。
諦めるなら早い段階の方がいい。
とはいえ、今日は任務に私情を挟みすぎたのは反省だ。
「はぁ。……なるほど、あなたの考えは概ね分かりました。おそらく、そういう考えを持つからこそ、閣下はあなたにクラウ様の指導を命じたのでしょう。ですが、あなたは指導者です。迷っているうちはまともな指導ができませんよ。辞めるか続けるか、クラウ様のためにも早く決断しなさい。その責任は私がとりますし、私の責任は今頃、狩猟団と魔物狩りで遊んでいる放蕩じじいの責任です」
副団長には今の話だけで、自身の迷いを見破られてしまったようだ。
それにしても団長を放蕩じじい呼びはまずい気がするが……いつものことか。
「はっ!」
副団長の指摘通り、坊ちゃんをどうするべきか決断する必要があるだろう。
ただ、今日の出来事は坊ちゃんをかなり追い込んだはずだ。
自分が決断する前に指導は終わるかもしれない。
「それじゃ、自分は見回りに……ぶへっ」
見回りにいくっす、と言おうとしたら、顔に拳が飛んできた。
「行けるとお思いですか? あなたが私の引き出しから手紙を抜き出した方法も聞いていないというのに。それに、思考は視ることはできませんが、あなたが心から反省していないことぐらい分かりますよ? 私の交友関係が狭い? 確かにそれは事実ですが、それを面と向かって人に、それも上司に言えるその神経を一度正してあげましょう」
「ずびばぜんっす」
二度と副団長宛の手紙は盗み見たりしないっす。




